2014年09月03日

食事

食事というのは本当に大切です。
私は学生の頃、遅刻をしてでも朝食を食べる人でした。いや、今も基本的にそのスタンスです。
(遅刻を肯定している訳も、正当化している訳でもありません)

最近は、朝食を食べない子は集中力がないとか、いろいろ言われていますね。
学校給食のあり方なども見直されています。
また、社員食堂に力を入れる企業も増えていますね。

そんな食事について、興味深い記事を2点紹介しておきます。


明治期までの日本人の体力と食事

学校給食を変えたら子供が変わった!



明治期までの日本人の体力と食事

 明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。
今回はその中の幾つかを紹介してみたい。
 
 ベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。
 普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆である。この体力はいったいどこから来るのだろう。
ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。
聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。もちろん肉など食べない。彼からみれば相当の粗食だった。
 そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みた。

「ベルツの実験」である。
 22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。
 然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。

 当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。ベルツの思惑は見事に外れたのだった。彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかった。
また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしている。それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったという。
 
 西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が、実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙にいとまがない。
例えばフランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に、「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。ただし野菜や山菜は豊富だ。それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」と書き残している。

《中略》

 開国の頃、日本人は西欧人が、そして今の私たちが驚くほどに健康で頑強な体をしていた。
なりは小さいながらも実力では西欧先進国の水準を遥かに超えていた。
これがやがては日清・日露、そして二度に亙る世界大戦で、人的能力では実質「世界最強」を示したわが国軍事力の礎ともなるのである。
それは白人優越主義時代のただ中にあって、生の日本人の姿を見た欧米人にとっては信じがたい、けれども歴然とした事実だった。

しかし、にもかかわらず明治政府は、ベルツの研究結果よりもドイツの「栄養学理論」を重んじて、フォイトの「欧米人並みに体を大きくする栄養学」の方を選んでしまった。

《中略》

最後にベルツ関連として、もうひとつの実験を紹介して終わりとしよう。
これは、とあるアメリカの大学において行われた「肉食と耐久力に関する実験結果」である。肉食をしている人と、全く肉を食べない人との体力と耐久力についての比較検証だ。






学校給食を変えたら子どもが変わった!?

長野県の旧真田町(現在の上田市)では給食の改革が行われ、素晴らしい実績をあげました。
パン給食を止め、完全米飯の和食に変えたのです。
この改革を行ったのは平成9年に旧真田町の教育長に赴任した大塚貢さんでした。

当時は地元の学校は生徒の非行が問題になっており、大塚さんは生徒の食事内容に問題があることに氣づきました。
なんと約30%の生徒が朝食を食べていませんでした。
朝食を食べる生徒の食事内容も菓子パン、ハム、ウインナー、レトルト食品、ジュースなど化学薬品で味つけされたものが多かったのです。

そこで、大塚さんは保護者に向けて食生活の重要性についての説明会を開きました。
ところが、保護者はなかなか関心を持たず、非行を起こしている生徒の保護者ほどそれは顕著だったそうです。
ならば学校給食を変えるしかないと給食改革に乗り出します。
しかし、それは大変なことでした。
それまでの給食は、菓子パンや揚げパンが出ることがありました。
ご飯は週に1回程度で、それ以外の主食はスパゲッティや中華麺やソフト麺などで、このような食事に慣れているので、美味しいイワシの甘露煮を出しても、教師や子どもから魚臭いなどと非難されました。
パンや麺類のときは、どうしてもおかずが油が多い物や加工品になってしまい、ちゃんと営養が摂れません。

そこで、大塚さんは完全米飯の和食給食に変えることを決めました。
しかし保護者からも批判され、「給食費を出しているんだから好きなものを食べさせろ」と言われたそうです。
安全なお米を探し回り、農家と契約すると、「1農家のために給食を私物化している」などと叩かれました。
そこで農協と契約することになり、無農薬か低農薬の米や野菜を生産してもらうようお願いしました。
それでも批判が出る中で、地元の方達の協力によってお米や野菜、大豆製品、果物などが無農薬か低農薬で提供されるようになりました。
また、町長からの全面的な協力により、給食費の値上げをすることもなく平成14年に完全米飯の給食に変えることに成功しました。

実際に給食を変えたら、アトピーやアレルギーの子どもが劇的に少なくなり、精神面でも影響が表れ、キレる子どももほとんどいなくなりました。
この学校では、給食の改善のほかにも授業内容を工夫して生徒の興味を惹きつける、校内で花を育てて心豊かにするなど改革を行いました。
その結果、生徒の勉強への意欲が増して学力が向上しました。
旧真田町では、塾に通う生徒が全体の10%くらいとそれほど多くありません。
塾に通わずに学力が上がれば、家計の負担も減ります。
また親も食へ対する意識が変わり、家庭の食事ではインスタント食品が減り、手作り料理が増えたそうです。

大塚さんが教育長になる前には40名ほどの不登校の子どもがいましたが、平成17年には小学校でゼロ、中学校で3名までに減りました。
旧真田町では、平成13年頃には成人の犯罪件数が140件を超えるピーク時から平成24年頃には約半分までに減りました。
様々な圧力や反対にも負けず、給食改革を行った大塚貢さんの信念は本当に素晴らしいと思います。

全国で学校給食を変えたいと思っている人達に大きな勇氣を与えていることでしょう。
食で子どもの未来は変わります。


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