2018年11月24日

「即位」と「在位」

明年は歴史的御代替わりが行われる予定です。
明年5月1日に皇太子殿下が「即位」されるという報道をよく見かけますが、正確には「践祚(せんそ)」されるのです。
尤も、現行の日本国憲法皇室典範では「践祚」と「即位」の区別がなくなり、共に「即位」という表現にされているから誤りとは言い難いのですが、そうすると「践祚の意味の即位」と「元々の意味の即位」が混同されてしまいます。

旧皇室典範
第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク

(現)皇室典範
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する。


「即位と践祚」については前に触れた記事もありますので、今回はこれ以上触れません。
http://itakiso.ikora.tv/e1365101.html

さて、今年は明治維新150年という節目でもあります。
明治天皇が即位されて、元号が「明治」と改められて150年なのですが、「即位」と「在位」について書かれた記事がありましたので、転載しておきたいと思います。

平成30年11月19日付け神社新報(第3424号)の記事です。

「即位」と「在位」
植戸 万典

 慶応4年の明治改元から150年を経た。御一新にあたり明治大帝は、諸事神武創業の始に原かんとの御沙汰を発し、新体制を樹立される。本紙でも年初から諸々連載されてきたとほり、今年は神社界にとっても重要な節目の年であった。
 大政奉還を受け、「神武創業の始」を顧みる王政復古の大号令が発布されたのは慶応3年、今から151年前。抑々「明治維新」とは、学説により始点も終点もまちまちだが、概ね明治初年ごろの十数年といふ「期間」におこなはれた改革を指す。今年はその中核たる五箇条の御誓文や改元を「基点」とした150周年、といふことだったのであらう。
 基点と期間の違ひといへば、先日面識を得たとある若い行政筋の人物にこんなことを問はれた。陛下は来年「即位」30年なのか、「在位」30年なのか、と。彼の人曰く、内閣や財務省は「在位」を使ってゐるが、宮内庁や神社界は「即位」であり、意図的なものを感じるとのこと。
 受け売りと個人的理解だが、その人にはおほよそかう答へた。「即位」は皇位に即くといふ「基点」の行為で、「在位」は皇位に在るといふ状態の「期間」、「在位」も誤りでないが御歴代それぞれの在位年数を指すものでもあり、今後も続けて皇位におはす期間未定の陛下の御代をお祝ひする表現としては、期間を限定しない「基点」をより望ましく神社界は考へたのであらう、と。説明はもう少し嚙み砕いたが、納得してもらへたやうだった。
 さて、そこでその人とさらに話が及んだのは、これをどう訳すか。「即位」の訳でよく目にするのは「enthrone」。しかしこれには若干の難も感じる。「throne」は「玉座」や「王位」の意味を持ち、これに「~にする」といふ使役の意を作る接頭辞「en-」を付けたのがこの単語だ。厳密には「即位させる」が訳語になる。英王国の場合は、突き詰めれば神の威光により即位させられるもの。しかし本邦の天皇は、何者かが「即位させる」のだらうか。
 また「在位」の訳も難しいが、「君臨」を意味する「reign」が恐らく無難だ。現代の天皇像には些か語感が強いが、統治時代を意味する単語でもあり、期間を含意する「在位」にもあてはまる。
 政府はこれまでの御在位記念式典では「在位」の訳として「Accession to the Throne」が用ゐられてきた。直訳すれば「玉座の継承」。寧ろ「即位」に近い。正確な対訳に拘泥しない柔軟性は見習ひたいものだ。
 来年は今年以上に歴史的な年とならう。斯かる折を、杜に想ふ「基点」とできたことは一学徒として望外の幸ひである。もっとも、重要なのはこれを「期間」とできるか。精々己を尽くしたい。
(一部、漢数字は算用数字に改めています。また神社新報は歴史的仮名遣いで書かれた新聞です。)

践祚 と 即位 の区別と同様に、即位 と在位 についてもきちっと使い分けたいものです。

◆追記◆
端的にまとめると・・・
まだ天皇の御位にある場合は「即位◯◯年」というのが適切で、
すでに天皇の御位を退かれて、その年数が確定している場合は「在位◯◯年」というのが良いということです。

「在位◯◯年」という表現は、ちょっと大げさに言うならば「享年◯◯歳」というイメージでしょうかね。  


2018年11月24日

パラリンピック

2020年に予定されている東京オリンピック・パラリンピックですが、そのパラリンピックを見据えてこんな動きがあるようです。

「碍」の常用漢字入り、結論先送り 使用は妨げず
2018年11月22日 21:06朝日新聞デジタル

 2020年東京パラリンピックを見据え、法律で障害を「障碍(がい)」と表記できるよう「碍」の1字を常用漢字表に加えるよう求めた衆参両院の委員会決議に対し、文化審議会国語分科会は22日、常用漢字への追加の是非の結論を先送りし、「常用漢字表は自治体や民間組織が『碍』を使うことを妨げるものではない」とする考え方を示した。


例によって削除対策の転載をさせていただいております。

一般には「障害」としるされ、害という文字の印象から「障がい」という表記が新聞などで見られます。
しかし本来は「障碍」という表記であり、戦後「碍」という文字が当用漢字に含まれないことから「障害」を広く用いる様になったと言います。

「碍」という文字は馴染みが薄い気がしますが、電気の絶縁に用いられる「ガイシ」の「ガイ」という文字です。
「ガイシ」を漢字で書くと「碍子」なのです。  

2018年11月23日

新帝の大嘗祭

皇太子殿下が皇位就かれ、最初に行われる新嘗祭の日取りが決まったそうです。
御代最初の新嘗祭を現代では大嘗祭と呼びます。

古代は、現在にいう新嘗祭も大嘗祭と呼んでおり、特段の区別は無かったようです。
しかし律令が整備される中で、御代一度の大嘗祭は特別なものとして区別をするようになってゆきました。
そして「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」と呼ぶようになりました。
践祚(せんそ)というのは、新たに天皇の位に就くことを言います。
現在では「即位」という言い方をしますが、戦前まで「践祚」と「即位」は明確に区別がされていました。
天皇の位に就くことを「践祚」、そのことを広く世間に知らすことを「即位」と呼んでいました。

さて、今日11月23日は新嘗祭です。
新嘗祭(大嘗祭)の日取りは律令では11月下卯日と定められていました。
卯日が3回ある場合は中卯日に行うと注釈があります。
ところが明治6年に太陽暦を採用することになった際に、新嘗祭の日は11月23日と定めました。
これは明治6年の11月下卯日が23日だったからです。
こうして、以来11月23日が新嘗祭と定められて脈々と祭祀が行われてきました。

今上陛下が皇位に就かれて最初の新嘗祭、つまり大嘗祭も平成2年11月23日に斎行されました。
ところで、明年には天皇陛下が譲位され、皇太子殿下が皇位に就かれることとなっていますが、その大嘗祭の日程が発表になったそうです。

天皇陛下、23日に最後の新嘗祭
2018.11.22 15:20ライフ皇室

 天皇陛下は23日、在位中最後の新嘗(にいなめ)祭に臨まれる。陛下自らその年に収穫された穀物を皇居・神嘉殿(しんかでん)に供えられる新嘗祭は最重要の宮中祭祀とされる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝し、国家国民の幸せを願う祈りは、陛下の側で新嘗祭に臨まれてきた皇太子さまに受け継がれる。
 新嘗祭は皇居・宮中三殿に隣接する神嘉殿で、同日午後6時から「夕(よい)の儀」が、同11時からは「暁(あかつき)の儀」が、同様の次第で2時間ずつ行われる。陛下は平成26年から暁の儀へのお出ましを控えているが、夕の儀は30分間に時間を短縮して続けてこられた。儀式には神前での御告文(おつげぶみ)の奏上や、新穀を神々と食べる直会(なおらい)という天皇しかできないご所作がある。
 新嘗祭では男性皇族方も拝礼されるが、陛下と同じ殿上に上がられるのは皇太子さまのみ。皇太子さまは来年11月14~15日にかけ、即位後初の新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」(大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀)に臨まれる。


いつものことながら、削除対策に転載しています。
さて、記事によると明年の大嘗祭は11月14日から15日にかけてとなっています。

新嘗祭は明治の新暦採択の際に11月23日と定められました。
律令では11月下卯日(卯日が3回ある場合は中卯日)と定められていましたが、新暦採択の明治6年の11月下卯日が23日であったため、新暦採択にあわせて新嘗祭は11月23日と定めたようです。

今上陛下の大嘗祭は平成2年11月22日から23日にかけて斎行されました。
昭和天皇の大嘗祭は昭和3年11月14日から15日、大正天皇の大嘗祭は大正4年11月14日から15日となっています。
つまり、大嘗祭に関しては必ずしも11月23日には行われていません。

もう少し詳しく見てみましょう。
明年の大嘗祭が斎行される11月14日は乙卯で中卯日。
今上陛下の大嘗祭が斎行された平成2年11月22日は辛卯で下卯日(卯日は2回)。
昭和天皇の大嘗祭が斎行された昭和3年11月14日は戊午。
大正天皇の大嘗祭が斎行された大正4年11月14日は乙酉。

つまり、平成以降は律令に記される下卯日に大嘗祭を行う様になっています。これは偶然なのか、そうでは無いのか、そこまでは定かではありませんが・・・。  

2018年11月23日

ブラック・フライデーではなくて新嘗祭です!

先日から 「ブラック・フライデー」 というポスターを目にします。
一体なんだろうと思っていたら、要は 「安売りの日」 ということなんですね。

何でもアメリカの風習で、感謝祭の行われる11月第4木曜日の翌日を意味するのだそうで、この日は感謝祭プレゼントの売れ残り品一掃セールのため安売りがされたのだとか。
そういえば 感謝祭 を Thanksgiving Day として広めようという動きが過去にあった気が・・・。
結果は皆さんご存知の通り定着しませんでしたが・・・。

アメリカやカナダではThanksgiving Day は祝日だそうで、その翌日の金曜日は祝日ではないけれどお休みとするところも多いのだとか。
仕事や学校が休みで安売りしているとなれば、買い物客は殺到しますよね。


とまぁ、突如降って湧いた感が私には満載のブラック・フライデーの正体はわかりましたが、今日11月23日はブラック・フライデーよりも日本人としては大切にしなくてはならない新嘗祭の日です。
新嘗祭とは宮中祭祀の1つで、天皇陛下が神嘉殿で親しく執り行われるお祭りです。
五穀豊穣を祝って、夜に2回神事を行われるのです。
そして、全国の多くの神社でも新嘗祭が執り行われます。(宮中の祭祀と、各神社で行われる祭祀は別のものです)

現在11月23日は勤労感謝の日という祝日になっていますが、これも新嘗祭に由来する祝日なのです。

ブラック・フライデーは数年前から日本にも入ってきているのかも知れませんが、まだまだ定着している感じはありませんし、果たしてこの先定着するのかもよくわかりません。
それよりは、1000年以上昔から脈々と行われている新嘗祭に焦点を当てて、日本国民皆で祝える様なことを考え出してくれないですかねぇ・・・。

売れれば何でも良いという発想は好きになれません・・・。  


2018年11月23日

GHQと天皇の退位

明年は日本の近代化以来はじめての崩御によらない御代替わりとなる予定です。
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。

先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。

さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。

GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」

産経新聞 2016.10.10 09:44


 先の大戦に敗北した日本は占領下に置かれ、連合国軍総司令部(GHQ)に「象徴天皇制」を含む新憲法を突きつけられた。
 GHQは皇室制度の存続だけは認めたものの、天皇の神格化を排除するため、大日本帝国憲法(旧憲法)第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を放棄させ、新憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した。
 さらに第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定め、大日本帝国憲法と同格だった皇室典範を一般法に格下げした。
 GHQは他にも天皇の権威を失わせる施策を次々と推し進めたが、天皇の譲位(生前退位)には慎重だった。
 昭和21年8月30日、民政局のサイラス・ピークは、内閣法制局第一部長の井手成三を呼び出し、生前退位をめぐり次のようなやり取りをした。

 ピーク「天皇ノ退位ヲ認メヌ理由」

 井手「上皇制度ナド歴史的ニモ弊害アリ寧(むし)ロ摂政制度ノ活用ヲ可トス」

 ピーク「昔ハ退位ハアツタカ」

 井手「然リ」

 ピーク「退位ヲ認メルト今上陛下ニ影響スルコトヲオソレタカ」

 井手「ソノヤウナ顧慮ニ出デタモノデハナイ。寧ロ一般抽象的ナ論究ノ結果ナリ」

 会談は3時間に及んだ。女性天皇の是非も議題になったが、井手が男系維持を説明するとピークはそれ以上追及しなかった。
 外務省特別資料部の調書「皇室に関する諸制度の民主化」(23年10月)によると、GHQは当初、天皇の自由意思を認める意向を示していたが、「野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、首相にでもなることがあっては困る」と考え、生前退位を認めない方針に転換したという。
 GHQとの交渉の末、政府は皇室典範草案を完成させ、21年11月26日、第91回帝国議会衆議院本会議に提出。男女平等や民主主義をうたった新憲法との整合性についてさまざまな議論が繰り広げられた。
 社会党衆院議員の及川規(ただし)は衆院本会議で生前退位に関してこう主張した。
 「天皇の絶対的自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現する所以(ゆえん)であると確信する」
 貴族院でも京都帝国大名誉教授の佐々木惣一が「個人的の立場からじゃなしに国家的見地から、自分はこの地位を去られることがよいとお考えになることもないとは限らぬと思います、こういう場合に、国家はこれに付きまして何らかの考慮をしなくてもよいものでありましょうか」と語った。
 これに対し、国務相の金森徳次郎は「天皇お一人のお考えによって、その御位をお動きになるということは恐らくはこの国民の信念と結びつけまして調和せざる点があるのではないか」と反論した上で、こう断じた。
 「天皇に私(わたくし)なし、すべてが公事であるという所に重点をおき、ご退位の規定は今般の典範においてこれを予期しなかった」
 結局、衆議院と貴族院合わせて約1カ月の議論の末、皇室典範案は無修正で可決され、翌年の1月16日に公布、5月3日に施行された。(広池慶一)