2015年05月31日
紀土と瀧澤
昨日は消防団の総会でした。
総会と云っても所属する分団のではなく、班のですから小規模なものです。
お店は新留丁にある花綴という 豚しゃぶ のお店。
二種類のスープが入ったお鍋が出てきたので、二つの味を楽しむことができました。
班長と私は途中でビールから日本酒に飲み物を変更。
紀土(和歌山県海南市:平和酒造) と 瀧澤(長野県上田市:信州銘醸株式会社) を味わいました。
紀土は何度か飲んだことがありますが、見たことの無いラベルだったので女将さんに尋ねると、夏季限定のものだそうで、ラベルには「夏ノ疾風」と書かれていました。相変わらず癖の無い飲みやすい味で、夏の暑い中でも切れの良い飲み口で楽しめると感じました。
瀧澤は純米吟醸。少々重たい飲み口でしたが大吟醸ではないので、それほどベタッとはしておらず、比較的夏向きに感じました。
個人的には 紀土(夏ノ疾風) よりもこちらの方が好みでした。
総会と云っても所属する分団のではなく、班のですから小規模なものです。
お店は新留丁にある花綴という 豚しゃぶ のお店。
二種類のスープが入ったお鍋が出てきたので、二つの味を楽しむことができました。
班長と私は途中でビールから日本酒に飲み物を変更。
紀土(和歌山県海南市:平和酒造) と 瀧澤(長野県上田市:信州銘醸株式会社) を味わいました。
瀧澤は純米吟醸。少々重たい飲み口でしたが大吟醸ではないので、それほどベタッとはしておらず、比較的夏向きに感じました。
個人的には 紀土(夏ノ疾風) よりもこちらの方が好みでした。
2011年11月12日
お鍋の季節です
昨日、来客があったので夕食にと刺身を買いに行きました。こういうときは貴志川の丸己さんにお願いすることが多いのです。
予算を伝えて適当に盛り合わせをしてもらっていると、奥で巨大な魚を捌いていました。
そうです、クエです。九州ではアラと呼ばれ珍重されているあの魚です。
鍋が美味しい!
これ1匹で20万円だそうです。高級魚ですね。でも、また食べてみたいです・・・。
タグ :クエ鍋
2011年06月29日
やすべえ
今日はお休みだったので、お昼を外食にしました。
神社周辺にはあまり飲食店がないので外食するとなると車で少し移動しなくてはならないんですね。
来客で一緒にお昼を、となると結構困ったりします。
時々食べに行く焼肉屋さんがランチもやっているということだったので行ってきました。
ちょっと前に来客があった時にここへ連れて行ったのですが、なかなか良かったので。
前回は タンシチュー定食 を食べました(なかなかおいしかったですよ)が、同じではつまらないので今日はカレーに。
このカレーもなかなかインパクト大でした。
写真のカレー中央にあるのは牛肉。こんな大きな塊が3つも!
ルーの味も香りが高くなかなかgoodでした。
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神社周辺にはあまり飲食店がないので外食するとなると車で少し移動しなくてはならないんですね。
来客で一緒にお昼を、となると結構困ったりします。
時々食べに行く焼肉屋さんがランチもやっているということだったので行ってきました。
ちょっと前に来客があった時にここへ連れて行ったのですが、なかなか良かったので。
前回は タンシチュー定食 を食べました(なかなかおいしかったですよ)が、同じではつまらないので今日はカレーに。
このカレーもなかなかインパクト大でした。
写真のカレー中央にあるのは牛肉。こんな大きな塊が3つも!
ルーの味も香りが高くなかなかgoodでした。
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2011年06月08日
駿河屋
和歌山市の老舗和菓子屋さんです。正式には「総本家駿河屋」だそうです。(以下「駿河屋」と表記します)
当神社の撤下神饌は駿河屋さんの和歌浦煎餅(玉子煎餅)です。焼印は当神社専用のものですが。
駿河屋さんは、もともと「鶴屋」といい、寛正年間に京都で創業したそうで、現在のような堅い練羊羹を開発した菓子屋とも伝えられているそうです。
天正年間に行われた豊臣秀吉による北野大茶会の引き出物として振舞われた「伏見羊羹」というのも、「鶴屋(後の駿河屋)」の羊羹だったとか。
その鶴屋は、やがて徳川家康とともに駿河国(静岡県)に移り、さらに徳川頼宣の紀州移転に従い紀州(和歌山県)に移ってきたそうです。そして紀州徳川御用達の菓子屋とされたといいます。
やがて、5代将軍徳川綱吉の長女鶴姫が紀州藩主嫡男の綱教にお輿入れの際、同じ名前は恐れ多いとして「鶴屋」の名称を「駿河屋」と変えたそうです。
当神社の撤下神饌は駿河屋さんの和歌浦煎餅(玉子煎餅)です。焼印は当神社専用のものですが。
駿河屋さんは、もともと「鶴屋」といい、寛正年間に京都で創業したそうで、現在のような堅い練羊羹を開発した菓子屋とも伝えられているそうです。
天正年間に行われた豊臣秀吉による北野大茶会の引き出物として振舞われた「伏見羊羹」というのも、「鶴屋(後の駿河屋)」の羊羹だったとか。
その鶴屋は、やがて徳川家康とともに駿河国(静岡県)に移り、さらに徳川頼宣の紀州移転に従い紀州(和歌山県)に移ってきたそうです。そして紀州徳川御用達の菓子屋とされたといいます。
やがて、5代将軍徳川綱吉の長女鶴姫が紀州藩主嫡男の綱教にお輿入れの際、同じ名前は恐れ多いとして「鶴屋」の名称を「駿河屋」と変えたそうです。
2011年06月02日
割烹ちひろ
昨晩、とある会合の会場で初めて寄せてもらいました。
以前から名前は知っていましたし、一回行ってみたいなぁと思いながら、なかなか機会がなかったのです。
とっても雰囲気のよいお店でしたし、料理もおいしかったです。