2016年11月17日

七五三雑考

11月15日を過ぎ、七五三詣りは一段落するかとおもいきや、19日、20日の週末もそれなりに参拝予約が入っています。ありがたいことです。
そういえば最近は週の始まりを日曜日として記載するカレンダーもあり、週末=土日という感覚は薄くなってきているかも・・・。

さて、冒頭に「11月15日を過ぎ」と書きましたが、最近の若い親御さんたちにはその意味がわからない方も多いようです。
七五三のお祝いは11月15日に行われるものとされてきました。(その理由については諸説あり、また若干の地域差もありますが今回は省略。)
そして、日本人はお祝い事についてはその当日に行えない場合は、どちらかというと前倒しに行うのが良いという考え方がありますから、11月15日を過ぎると七五三の参拝は一段落するのが少し前までの流れでした。
今は、「七五三の祝日は11月15日」 とか 「祝日に都合がつかない場合は前倒しで祝う」 ということを教えてくれる人が周りにいないのでしょうね。

ここ数年、七五三の様子を見ていると写真屋さんの影響が非常に大きいように感じます。
一時期、8月頃に七五三の参拝問い合わせ(11月の予約ではなく8月に参拝したい)が重なった事があります。
後でわかったことですが、ある大手写真館が七五三の記念写真の早撮りキャンペーンを夏に行ったことが理由だったようです。
その後、写真は夏に撮るけど、七五三の時期となる秋にも同じ衣装を貸し出して参拝できるという方式に写真館が変更したらしく、近年は8月頃の参拝はなくなりました。
しかし11月15日が本来の祝い日だということを写真館ではお話が無いようで、ご存じない親御さんはまだまだたくさんいらっしゃるようです。

お祝いの年齢についても同様で、今年は5歳の女の子の問い合わせが数件ありました。
七五三というのは、
 3歳は髪置き・・・それまで産髪を切っていたのを伸ばし始める儀式で男女児ともに行う。
 5歳は袴着・・・初めて袴をつける儀式で男児が行う。
 7歳は帯解き・・着物の付け紐を取り縫帯をしめる儀式で女児が行う。
というお祝いをすることになっています。これらの儀式は古くは年齢や日にちが定められていたわけでは無いようですが、ある時代からそれぞれの年齢で11月15日に祝うとなっていったようです。
したがって、5歳の女の子であっても、7歳のお祝いを前倒しで行うということであれば分かるのですが、どうやら今回のお問合わせはそういうことではなかったようです。
つまるところ、3歳5歳7歳の3姉妹なので、写真屋さんから 「折角だから5歳の女の子もご祈祷してもらったら」 と言われたとか。
当方では5歳の女の子のお祝いは無いので説明申し上げました。
社入だけを考えれば、なんでも はいはい と言って受け入れれば良いのかもしれませんが、やはりそういうわけにはゆきません。
お祝いでない子供も晴れ着に着飾ってお参り頂くことは問題ありませんが、はやり意味のない祈願はしたくありませんので・・・。

また、男の子のお祝いは5歳だけと思っている親御さんも未だに多いですね。
一時期聞かれたのは 「関西では3歳の男の子を祝う習慣がない」 とか 「関東では(以下同文)」 というものでしたが、これはどう考えてもおかしい。関東でも関西でもどちらも、それは向こう、つまり関東では関西の、関西では関東の習慣として主張するのですから・・・。
思うに、これも写真屋さんの影響かなと推察しています。
大体、七五三のポスターなどをみると、3歳5歳7歳の子供が並んでいる場合、3歳と7歳が女の子で5歳だけ男の子という写真が多いです。
女の子のほうが晴れ着は華やかで写真映えしますし、3歳の女の子は被布を着せ、7歳の女の子は帯を締めると、着物の形態も異なるので、衣装屋さんや写真屋さん的には好都合な写真になります。
このイメージがあると、「男の子は5歳だけ」 となるのではないでしょうか?
あくまで私見ですが・・・。

そしてもう1つ。数え3歳の子供の参拝が非常に少ない理由も、写真の普及によると思っています。
数え3歳ということは、満年齢でだいたい2歳。生まれ月によってはまだ歩くのもおぼつかない場合もあります。
しかし写真などに写っている3歳児は割としっかりした姿ですので、結果 「本当は数え3歳なのかもしれないけど、うちの子はまだ小さいから来年」 ということになってしまうのではないでしょうか。

写真屋さん、貸衣装屋さんが悪いと言いたいわけではないのですが、七五三の本来の意味とはなんであるのかちゃんと説明してあげないと、やがてこういう習慣は廃れてしまう、もしくは本質と全く変わってしまうと思うのです。  


2016年11月11日

立憲主義者は何をしている?

先日より国のTOPに関するニュースが相次いで報道されています。

1つは先日決着がついたアメリカ合衆国の大統領選挙。
クリントン女史とトランプ氏の選挙戦の様子は頻繁に報道されていたので知らない人はいないと思います。
結果はご存知の通りトランプ氏の勝利となりました。
この結果を危惧するマスメディア報道を多く目にしますが、個人的にはクリントン女史よりもトランプ氏の方が日本にとってはまだマシな結果だったのではないかと思っています。

2つ目は隣国韓国の大統領の去就について。
これもマスメディアが大々的に報じているので知らない人はいないと思います。
しかし、私は果たしてアメリカの大統領選挙と同じ程度の時間を割いてまで報道する内容なのか疑問に思っています。

多くの方は、「先日からの国のTOPに関するニュース」と言われて思いつくのはこの2つでしょうか。

フィリピンのドゥテルテ大統領の発言問題を思いつく人もいるかもしれません。
先月中旬に逝去されたタイのプミポン国王を思う人もいるでしょう。


ところで、もう少し遡ると日本でもニュースがありましたね。
安倍首相ではありません。
天皇陛下の「譲位」に関するご発言です。(一部のマスメディアでは未だに「生前退位」などと称していますが・・・)

今上陛下の「譲位」のご意向や、所謂「生前退位」報道についてはこのブログで取り上げていますが、今日はまた違う視点で記しておきたいと思います。


現行の皇室典範には天皇陛下の退位に関する規定はありません。即ち天皇の位に一度即位すると生涯その位にとどまる終身在位とされています。
これに対して、天皇陛下は憲法に定められた国事行為を恙無く全うするためには然るべき段階において皇太子殿下にその御位を譲られる「譲位」の御意向を表明されました。このことは皆さんがご存知のとおりです。
皇室典範には天皇が「国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」ことができると定められており、日本国憲法にも摂政を置いた場合には摂政は天皇の名で国事行為を行う(第5条)と定められています。
しかしながら、天皇陛下は摂政を置くのではなく、自らは「退位」をされ、次の世代に皇位を継承したいと表明されました。
これを受けて、安倍首相は有識者会議を設け、天皇陛下が御自言及された平成30年という年限を念頭に諸般の検討をはじめました。

ところで、日本国憲法第4条には「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行なひ、国政に関する権能を有しない。」とあります。
したがって、「内閣が天皇の意思に従って法改正を行うことは、天皇が国政に関する権能を行使することになり、許されない」 というのがこれまでの通説でした。
ちなみに、政府は天皇陛下に対して摂政の設置を助言していますが、陛下はその助言を否定して「譲位」に言及されています。

政府は「特措法」という処置で対応しようと考えていると報じられていますが、これは憲法の定めを逸脱することになると思います。


安倍首相が我が国の国防において集団的自衛権の行使は限定的ながら可能であるとの見解を示した際に、野党は「立憲主義を守れ!」と糾弾しました。
立憲主義を唱える方々の考えの根底には、「憲法とは為政者を縛るためのもの」という概念があり、その憲法解釈を為政者が勝手に変えることはできないということです。
この件に関しては、国会の議場にメッセージボードを持ち込んでまで野党はアピールを行っていました。

しかしながら、今回の政府の動きに関して、あれだけ強く「立憲主義を守れ!」と叫んだ国会議員の誰ひとりとして「立憲主義を守れ!」とは言っていないように思います。
これはどういうことなんでしょうか。
集団的自衛権の行使容認という「憲法解釈の変更」という段階ではなく、天皇の御意向によって国政が動くという「憲法の規定を逸脱」した動きなのではないでしょうか?
前回以上に厳しく「立憲主義を守れ!」と糾弾すべき事態ではないのでしょうか??



最後に、そもそも私は 「憲法とは為政者を縛るもの」 とは考えておらず、「憲法とはその国の国体(国柄)を表し、国家の根幹をなす基本法」 であるべしと思っております。
したがって、「立憲主義を守れ!」と糾弾すべきだと主張しているのではなく、陛下の大御心を心に刻み然るべき方策を考えるのが我が国の本当のあり方だと考えるものであります。
  


2016年11月05日

ナンバーディスプレー

最近の電話機は概ね電話をかけてきた相手の発信番号が表示される 「ナンバーディスプレー」 になっています。
そして携帯電話はたぶん例外なくナンバーディスプレーかと・・・。
電話に出る前に掛けてきた相手がわかるというのは結構便利ですよね。
着信履歴機能と再発信(リダイヤル)機能の組み合わせで、かかってきた電話に出られなくても、こちらから簡単にかけなおすことができます。

でも、これらの機能は個人同士の場合は便利ですけど、そうでない場合は不便なことも・・・。

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2016年11月04日

なぜ 「譲位」 ではなく 「生前退位」 なのか。

本論に入る前に、まずもって三笠宮殿下の薨去に際し、謹んで哀悼の意を表します。
本日は東京の豊島岡墓地で斂葬の儀が執り行わました。


さて、このブログで過去に2度記してきた「生前退位」という表記についてですが、先月下旬に産経新聞社は今後 「譲位」 と表するという記事を発表しました。
「生前退位」報道に思う (平成28年7月14日)
皇后陛下のお言葉をもってしてもまだマスメディアは「生前退位」と用いるのか? (平成28年10月20日)

当該記事はこちら。例によって削除対策にコピペです。
産経新聞は今後、「生前退位」ではなく「譲位」とします
2016.10.28 06:47

 産経新聞は、天皇陛下が天皇の位を譲る意向を示されている問題を報じる際、今後は「生前退位」という言葉を使わず、原則として「譲位」とします。
 「生前退位」は、陛下のご意向が伝えられて以降、本紙を含めマスコミ各社で使われてきました。耳慣れない言葉でもあり、違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
 この言葉は、過去に国会での質問で使われている例があり(昭和59年、参議院内閣委員会)、いわゆる「造語」ではありません。
 「生前退位」が用語として広まったのは、次のような理由があると思います。
 まず「生前」が付くことで、すぐに陛下が天皇の地位を譲られるわけではないのが一目で分かること。さらに、現在は皇位継承が「天皇が崩じたとき」のみに限られていることを浮き彫りにした面もあります。
 しかし「生前」という言葉は、20日、皇后さまがお誕生日にあたり「大きな衝撃をうけた」と文書で述べられたように、「生前の姿」などと「死後」や「死」とセットで用いられることが多いのも確かです。
 現在、皇室は皇位継承者たる皇太子さまがおられ、陛下も「譲位」の言葉を使い、決意を関係者に伝えられたと報じられています。有識者会議での議論も本格的に始まり、「生前退位」という用語を使わなくても、十分にその意味するところが分かる環境になったといえます。
 「生前退位」は過渡的な役割を終え、「譲位」こそ、今後の説明に適した言葉だと考えます。(校閲部長 時田昌)

どうやら「生前退位」という用語は既に昭和59年には登場していたので「造語」ではない、そして「譲位」よりも「生前退位」の方が伝わるだろうと判断した、ということのようですが・・・。

しかし「生前退位」という用語が果たして一般的であったかというと全くそのようには感じられず、その結果が 「『生前退位』という造語」 と言われるようになったのではないでしょうか。

そして、私が冒頭に三笠宮殿下の斂葬の儀に関して表記したのは、勿論殿下の薨去を悼むからではありますが、ここにマスメディアの表記に対する疑問も呈するためでもありました。

「譲位」の単語は耳慣れないとして「生前退位」と置き換えながら(置き換えの是非についてはここでは不問)、「斂葬の儀」については ”一般の葬儀にあたる” という注釈をつける場合もありながらもそのまま表記しています。
また、一部のマスメディアでは「逝去」などとも記されたようですが、正しく「薨去」を用いていた新聞等も目にしました。

「斂葬」も「薨去」もそれほど一般的な用語ではないと思われますが、時には注釈を用いて表現されているのです。
なぜ「譲位」に関してはそれが当てはめられなかったのでしょうか?

私にとっては大きな謎です。