2018年11月23日
GHQと天皇の退位
明年は日本の近代化以来はじめての崩御によらない御代替わりとなる予定です。
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。
先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。
さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。
GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。
先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。
さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。
GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」
産経新聞 2016.10.10 09:44
先の大戦に敗北した日本は占領下に置かれ、連合国軍総司令部(GHQ)に「象徴天皇制」を含む新憲法を突きつけられた。
GHQは皇室制度の存続だけは認めたものの、天皇の神格化を排除するため、大日本帝国憲法(旧憲法)第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を放棄させ、新憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した。
さらに第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定め、大日本帝国憲法と同格だった皇室典範を一般法に格下げした。
GHQは他にも天皇の権威を失わせる施策を次々と推し進めたが、天皇の譲位(生前退位)には慎重だった。
昭和21年8月30日、民政局のサイラス・ピークは、内閣法制局第一部長の井手成三を呼び出し、生前退位をめぐり次のようなやり取りをした。
ピーク「天皇ノ退位ヲ認メヌ理由」
井手「上皇制度ナド歴史的ニモ弊害アリ寧(むし)ロ摂政制度ノ活用ヲ可トス」
ピーク「昔ハ退位ハアツタカ」
井手「然リ」
ピーク「退位ヲ認メルト今上陛下ニ影響スルコトヲオソレタカ」
井手「ソノヤウナ顧慮ニ出デタモノデハナイ。寧ロ一般抽象的ナ論究ノ結果ナリ」
会談は3時間に及んだ。女性天皇の是非も議題になったが、井手が男系維持を説明するとピークはそれ以上追及しなかった。
外務省特別資料部の調書「皇室に関する諸制度の民主化」(23年10月)によると、GHQは当初、天皇の自由意思を認める意向を示していたが、「野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、首相にでもなることがあっては困る」と考え、生前退位を認めない方針に転換したという。
GHQとの交渉の末、政府は皇室典範草案を完成させ、21年11月26日、第91回帝国議会衆議院本会議に提出。男女平等や民主主義をうたった新憲法との整合性についてさまざまな議論が繰り広げられた。
社会党衆院議員の及川規(ただし)は衆院本会議で生前退位に関してこう主張した。
「天皇の絶対的自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現する所以(ゆえん)であると確信する」
貴族院でも京都帝国大名誉教授の佐々木惣一が「個人的の立場からじゃなしに国家的見地から、自分はこの地位を去られることがよいとお考えになることもないとは限らぬと思います、こういう場合に、国家はこれに付きまして何らかの考慮をしなくてもよいものでありましょうか」と語った。
これに対し、国務相の金森徳次郎は「天皇お一人のお考えによって、その御位をお動きになるということは恐らくはこの国民の信念と結びつけまして調和せざる点があるのではないか」と反論した上で、こう断じた。
「天皇に私(わたくし)なし、すべてが公事であるという所に重点をおき、ご退位の規定は今般の典範においてこれを予期しなかった」
結局、衆議院と貴族院合わせて約1カ月の議論の末、皇室典範案は無修正で可決され、翌年の1月16日に公布、5月3日に施行された。(広池慶一)
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