2022年02月18日

毘沙門天の日?

昨日から
ネットで見たのですけど、毘沙門天さんをお祀りしていますか?

という問い合わせが何件かありました。

当神社では毘沙門天さんは勿論、七福神のどなたもお祀りしていません。
不思議に思って、「ネットのどこに出てましたか?」 と尋ねてみました。
すると
和歌山市 毘沙門天 で検索すると 伊太祁曽神社 がでてきます

というお話。
早速検索しましたが、それらしい検索結果にヒットしない。
Google先生も、Yahoo! Japan も 上位にヒットするページには 伊太祁曽神社 はでてきません。

とは言え、「ネットで見た」 という問い合わせが複数件あるのは事実なので、検索ワードを変えてみました。

ずばり! 「 伊太祁曽神社 毘沙門天 」

すると、以下のページを見つけました。

赤谷七福神めぐり
https://www.j-os.jp/contents/sightseeing/minakami/akaya7fukujin/


ここで紹介されている 伊太祁曽神社 は、当神社から御霊分けをした 御分社 で、群馬県沼田市に鎮座しています。
その沼田市の伊太祁曽神社には七福神を祀る末社があるようで、その紹介記事でした。

当該ページでは
本宮は紀伊国、和歌山県和歌山市常磐山にある。平成11年にご分社建立されたそう。

と記載があることから、当神社へのお問い合わせは この記事を見て 早とちりをしたものかと思われます。

さて、ではなぜ毘沙門天に関する問い合わせが重なったのかということですが・・・・








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2022年02月15日

古井神社

先日、社殿の清掃をしていますと、参拝者から 「昇殿参拝はできますか?」 と声を掛けられました。

昇殿参拝(しょうでんさんぱい)とは御神前で玉串を捧げ親しく参拝することを意味していて、神社によっては正式参拝(せいしきさんぱい)とか御垣内参拝(みかきうちさんぱい)とか呼ばれます。
ちなみに、8月15日に公人が靖國神社を公式参拝したかどうか話題にされますが、これは参拝する方の考え方によるものであり、上記参拝区分とは全く異なります。

当神社では「正式参拝」と呼んでおりますので 「社務所で受付していただければ正式参拝できますよ」 とお答えし、参拝の準備をしました。

熱心に神社参拝をされる方の中にはこのような申し出をされる方もいますが、どちらかというと神社関係者の方が多い印象の正式参拝。
でも雰囲気から神職ではない感じ。
お詣りが済んで、少し世間話をしていると、名刺が出てきました。
岐阜県の神社の責任役員をされている方でした。納得。



この神社 「古井」 と書いて 「こび」 と読むそうです。
で、頂戴した名刺には 「金幣社」 の文字。

金幣社については以前に記しましたが、岐阜県独自の制度です。
【過去記事】金幣社、銀幣社、白幣社

明治の合祀令により津島神社、八王子神社、中富神社の3社を合祀して、古井神社となったようです。  

2021年10月25日

李下に冠を正さず (七五三詣の写真撮影)

10月も下旬になりました。巷では七五三詣が始まっていますね。
七五三の祝い日は11月15日とされていますが、七五三に関する問い合わせは年々早くなり、最近では6月頃には問い合わせが来たりします。
問い合わせだけでなく、参拝日も10月とか9月を希望される方も増えていますね。
伊太祁曽神社では、9月や10月でもお詣り自体はお受けしていますが、千歳飴などのお土産は10月末の土日まで準備をしていません。
(令和3年は10月23日より準備を整えてお待ちしております)

写真館や貸衣装の予約に早期割引があったりすることや、11月15日やその近辺の土日は混雑が予想されるというのが、年々早くなってゆく理由ではないかと想像しています。

今回は、七五三詣での写真撮影について記しておきたいと思います。
七五三詣の意味や注意事項などについては別のところに記載しましたのでそちらを参考にしていただければと思います。
七五三詣のあれこれ」(伊太祁曽神社公式)

まず、タイトルを 「李下に冠を正さず」 としましたがこの意味をご存知ですか?
李下に冠を正さず (りかに かんむりを たださず)
「李(すもも)の木の下で、手を上げて冠をかぶり直すようなことはしない」という意味です。
これはスモモを盗んでいるのではないかと勘違いされないための用心です。
同義の故事に 「瓜田に履を納れず(かでんに くつをいれず)」というのがあります。
ウリ畑でかがみ込んで履物を履き直すような行為は、ウリを盗んでいるのではないかという疑念を抱かれるということです。
要は、疑いを招くような紛らわしいことはしないほうが良いという戒めの故事成語ですね。

この故事成語と七五三詣での写真撮影がどう関係するのかということですが・・・。

七五三は子供の成長を祝い 「髪置き」 や 「袴着」 「帯解き」 などといった成長儀礼を行うものです。
そして、その無事な成長を氏神様などに感謝し参拝することを、七五三詣と呼んでいます。

参拝に際しては、神社によっては写真撮影ができない場所がある場合があります。
大抵、撮影禁止の場所にはその旨がわかるように案内が出されているので気付くかと思います。
神社によっては口頭で説明を行うところもあります。

いずれにしても、撮影禁止の場所や場面では、お持ちのカメラの電源を切り、できればレンズキャップをしましょう。
レンズがむき出しであったり、更には電源が入っていたりすると、もしかして撮影禁止だけど撮影するのかも知れないと思われるかも知れません。

祈願中の写真撮影に対する対応は神社によって様々ですが、少なくとも祝詞奏上中の撮影は禁止にしている神社がほとんどだと思います。
また、多くの神社では神域内での撮影は禁止にしていることが多いと思います。
子供の晴れの場であり、めったに入ることのない区域なので写真撮影して記録に残しておきたいという親心はわかりますが、祈願中に行うべきことは 「子供の成長を感謝し、さらなる成長を願うこと」 です。
その気持よりも写真撮影を優先することは御神前で行うことではないですね。

お子さんの成長を感謝し、さらなる成長をお守り頂くためにも、「李下に冠を正さず」 「カメラのレンズにはキャップを、そして電源は切りに」 をお願いいたします。
  


2021年07月23日

お賽銭の金額 (その2)

随分前に 「お賽銭の金額」 というタイトルで記事を書きました。

お賽銭の金額」 平成23(2012)年1月31日
http://itakiso.ikora.tv/e717932.html

詳しくはリンク先を再読いただきたいと思いますが、要は金額ではなく神様に感謝する心を以てお供えすることが大切だと書きました。

 ・ とはいえある程度 ”相場” 的な金額があるのではないか
 ・ 全く目安がないのもわかりにくい

と言った声も聞きます。そもそも、一律に ”お賽銭” と言っても、神社に足を運んだ方が、どういう目的・気持ちでお参りされているかで随分と変わってくるように思いますから、一概に ”何円くらい” とは言えないのが実際のところです。
その上で、敢えて記すならば、以下のような考え方を参考にして下さい。
その神社に参拝することを目的としていて初めて訪れる神社、久方ぶりに参拝する神社の場合
神社を人と置き換えて考えてみたらどうでしょう?
初めて御挨拶する方、それもその方と会うことを目的としている場合、また何年か振りに恩師や友人に会う場合、何か手土産を持っていったりしませんか?
お賽銭をその手土産的に考えてみた場合、金額が自ずと見えてきませんでしょうか?
同じ様に考えた時、例えば毎日出勤途中に手を合わせる神社、週末に散歩の行く先としてお参りする神社の場合
毎日のように顔を合わせるご近所さんに 手土産 的なものを渡して挨拶することはありませんね
日々の御挨拶としてのお参りの場合は、小銭入れから ”気持ち” をお賽銭として納めるので良いと思います。
旅行先などで、思いがけず参拝する場合
旅先などでばったりと旧知の方に出会うことがあったりしますね。そんな時どうされますか?
挨拶を交わすだけの場合、少し立ち話をする場合、双方の予定を調整して一緒に食事する場合・・・
相手との関係性でいろんな事があると思いますが、いずれにせよ思いがけない出会いですから、十分な準備はありませんね
自分とその神社、お祀りされている神様とのご縁によって、対応が変わるのではないでしょうか?
以上はあくまで1つの考え方ですが、参考にしていただければと思います。
神社にお参りする際のお賽銭の金額には決まりはありません。
同じ方でも、参拝する神社との関係性やその時の状況によって変わってきます。

小学生が神社にお参りする場合と、働いて収入のある大人が参拝する場合、同じ大人でも年収数百万円の人とウン千万円の人とでは「100円」「1,000円」の値打ちも違います。
これらを一緒にして一律議論することが間違いだと思います。

いささか不十分な結論に感じる方もいるかと思いますが、参考になれば幸いです。
  


2021年07月01日

夏越の祓

昨日、6月30日は日本全国の多くの神社で 「茅の輪くぐり」 が行われたと思います。

「茅の輪くぐり」 は 「夏越の祓い」 で行われる行事の1つで、茅萱で編んだ大きな輪をくぐることで、半年間の罪穢れが祓われると言われます。

「夏越の祓い」 とは、年に2回行われる大祓のうち、6月に行うものを指して呼び、12月の大祓は 「大晦日(おおつごもり)の大祓」 などと呼びます。
この 大祓 が、罪穢れを祓う行事なので、「茅の輪くぐり」 を行わなくても 「大祓」 を行えば 罪穢れを祓う訳なのですが、なんとなく 「茅の輪をくぐる」 と罪穢れが祓われるような理解の報道が増えている気がします。

さて、この 「罪・穢れ」 なんですが、報道では 「穢れ(けがれ)」 ではなく 「汚れ(けがれ)」 と記される場合が多いです。
「穢れ」 と 「汚れ」 では厳密には異なるものですし、そもそも 「汚れ」 は 「けがれ」 ではなく 「よごれ」 と誤読される場合もありますから、このまま100年位経つと、「大祓」 は 「洗濯」 の行事に変わってしまうかも知れません・・・。

また、単に 「罪・穢れ」 と言わず 「知らず知らずの罪・穢れ」 と表現されることがあります。
いや、私も少し前までその様に言っておりました。
しかし 「大祓」 は 「知らず知らずの罪・穢れ」 を祓うものなのでしょうか?

6月、12月の大祓では 「大祓詞(おおはらいのことば」 というものが奏上されます。
正確には 奏上体、宣命体、その他 と様々にあるのですが、ここでは割愛。
いずれにせよ 「大祓詞」 という祝詞が用いられます。
「大祓詞」 は 『延喜式』 にも掲載されているほど歴史の古いものですが、この中で祓われる 罪・穢れ が具体的に記されています。

今日奏上される 大祓詞 でも、「過ち犯しけむ種々の罪事は、天つ罪、国つ罪、許許太久の罪(ここだくのつみ)出でむ」 と奏上しますが、延喜式に所載の 「中臣祓」 とも呼ばれる大祓詞には、その具体的な内容が記されています。

現代的価値観では、いろいろとNGとなるものもあるので、興味のある方は個別にお調べいただきたく思いますが、
天つ罪には畔放(あはなち)・・・田圃の畔を壊して水を放ってしまうこと
       頻蒔(しきまき)・・・二重三重に種などを蒔くこと
といった農耕に関する罪、
国つ罪には生膚断(いきはだたち)・・・傷害罪
など人道的罪が記されています。

そして、こういった罪や穢れについても祓い清めるとされているのです。

実際に大祓を行えば、古代社会においてこれらの 罪 は 赦されたのかというと、そうではないと思いますが、しかし大祓詞では、天つ罪も国つ罪もその他の罪(許許太久の罪)も、祓い清められると記されているのです。

当然、これらの罪は 「知らず知らず」 で無いことも多いでしょう。

こんなことを思いながら、私は ”知らず知らず” とは敢えて加えずに 「半年間の罪・穢れを祓う神事です」 と説明しています。


ちなみに、伊太祁曽神社の夏越の祓は7月30~31日。
茅の輪くぐりも同日程となっています。

令和3年 わくぐり


  


2021年06月28日

会食

随分前に記事を拾い出しておいて、そのまま文章を記さずに放置されていました(汗
新型感染症の拡大防止の為、会食を控えるように言われていますが、そもそもなぜ会食をしたがるのかという記事がありましたので(随分以前の記事ではありますが)転載いたします。
尚、いつものことながら、この転載はリンク切れの場合の対策であることを申し添えておきます。
(令和3年6月28日現在、リンク切れはしていませんでした)

朝日新聞デジタル
ひとはなぜ会食したがるのか
編集委員・宮代栄一 2021年3月31日 14時00分

 新型コロナ感染拡大の要因の一つとされ、感染症の専門家などから、抑制するよう強い注意喚起がなされている「会食」。感染症にかかる危険を冒してまで、人はなぜ一緒に食事をしようとするのだろうか。食文化の変遷に詳しい歴史学者の原田信男さん(71)が、この問題を歴史的に考察した『「共食(きょうしょく)」の社会史』(藤原書店)を出版した。

 原田さんによると、誰かと一緒に食事をする「共同飲食」(共食)は人間特有の行為で、同じ時間に同じ場所で同じようなものを食べることで共食者同士の親近感を強める作用があるという。よく「同じ釜の飯を食う」と言うが、英語にもほぼ同じ意味の「To drink of the same cup.」という言葉があるらしい。

 人類史的にみると、共食は人類が進化していく過程で、集団で狩猟を行い、調理のために火を使うようになるなかで獲得された文化と考えられる。

 人間は脳が大きく、一人前になるまでに時間がかかる。必然的に、子供の成長を支える家族という集団のもとで長期間過ごす必要があった。「そこで共に生き、互いに紐帯(ちゅうたい)を強める過程で、共食が行われるようになった」と原田さん。

 やがて共食は社会的な意味も持つようになる。平安時代の法令集「延喜式」には、外国の使者が訪れると、役人が共食のために遣わされた旨が記されている。饗宴(きょうえん)で心を通じ合わせて、外交の本題に入ったようだ。

https://www.asahi.com/articles/ASP3Z5G0FP3YULZU00H.html?ref=weekly_mail_top2

「共同飲食」 が社会的に必要であることは、既に平安時代には認識されていたということでしょうか。
  

2021年02月19日

六曜と七曜

結婚式やお宮詣りの日取りを決めるとき 「大安」 を選んだり 「仏滅」 と避けたりする方は居ると思います。
この 「大安」 とか 「仏滅」 といった 暦注(れきちゅう)を 「六曜」 と言います。

「六曜」 は現代では ”ろくよう” と読むことが一般的ですが、かつては ”りくよう” と読むのが一般的だったようで、他にも 「六輝(ろっき)」 などと呼んだ時代もあります。
今日では吉凶を示す中暦として一般的に知られていますが、江戸時代に出版された民間暦や暦注書にはほぼ記されていないことから当時の人達には関心が無かったと考えられています。

神社への参拝でも、お祝い事(結婚式やお宮詣り)などでは 「大安」 の方が良いですよね?とか、厄除け祓いや八方除けには 「仏滅」 は避けたほうが良いですか?といった問い合わせがしばしばあります。
しかし当社では、「お参りに来られる方が気にされないのであれば関係ないですよ」 とお答えしています。

これは、江戸時代の人々がそうであったように、元々六曜には吉凶を示す意味はなかったからです。
むしろ現代の曜日と同じ様な感覚であったといいます。
とはいえ、明治に入り新暦(太陽暦)が採用されると、次第に六曜は吉凶を表すとして人気を高めてゆきます。
そして吉凶を示すものとして広く定着していきました。
この様な歴史がありますから、六曜に吉凶を感じる人を否定するものではありません。
ただ、神社としては六曜を元に吉凶を示すいわれはありませんから、その様にお答えしているだけです。

とはいえ、六曜の吉凶を気にされる方が多いのも事実ですから、下記に六曜の一般的な吉凶を記しておきます。  続きを読む


2020年10月27日

鬼滅の刃 × 神社

今話題の「鬼滅の刃」

映画の興行収益が尋常でない数字で歴代最高とか。
コラボレーションした商品も無数で、まさに 「鬼滅フィーバー」

神社仏閣も無縁ではなく、知り合いが宮司を務めるある神社では、”聖地” としてファンが遠方からもお参りに来るとか。
(まぁ ”聖地” という表現については色々ありますが、そこはスルー)
お寺のことはあまりよく知りませんが、伊太祁曽神社からそれほど遠くないところにある、とあるお寺の名前が 鬼滅の刃 の登場人物と同じということで、市が観光名所にしようと売り出していたり・・・。
伊太祁曽神社は直接コラボレートできる内容はありませんが、強いて言うならば ↓ この市松模様が・・・
当社は木の神様を祀っており、その関係で 「緑化の祖神」 とも呼ばれていますので・・・。(^^;A

かなり無理矢理なコラボです(笑
そして、なかなかに あざとい(笑


市松模様

もしくは 「木の呼吸」 とか登場させて下さい・・・(爆笑


さて、冗談はココまでにして、この漫画のヒットで神社界にちょっと都合の良いことがありました。
そんなに大したことではないのですが、個人的には非常に助かることでもあります。

それは、禰宜(ネギ)の 「禰」 の文字の説明が非常に楽になるということ(笑
鬼滅の刃を少しでもかじった人はおわかりいただけると思います。
主人公の竈門炭治郎の妹、禰豆子(ねずこ)の 「禰」 でもあるのです。

神社の 「禰宜」 というのは役職の1つです。一般に神社にいる神職を 「宮司さん」 と呼ぶことが多いと思いますが、正確には各神社に宮司は1人しかいません。その神社のTOPが宮司なのです。

で、その宮司を補佐して社務を行うのが 「禰宜」 。
この役職も、多くの神社では1人です。規模の大きな神社になると複数人 禰宜 がいる神社もあります。(どれだけ大きくなっても 宮司は1人です)

会社組織で言い換えるなら、宮司=社長、禰宜=専務・常務・部長 と言った感じでしょうか。

神職がたくさんいる神社で参拝者が多く接する神職は 「権禰宜(ごんねぎ)」 と言います。
「権(ごん)」 とは 「仮の」 などの意味があり、「副」 という意味だと説明されることもあります。

大抵の神社では 宮司(1人)-禰宜(1人)-権禰宜(若干名) という構成になっていると思います。
(宮司のみの神社というのも圧倒的に多いのですが・・・)

全国的に名前の通っている規模の大きな神社になると 宮司 と 禰宜 の間に 権宮司(ごんぐうじ) という役職が置かれている場合があります。会社で言うなら 「副社長」 ですね。
そう思っていただけると、権宮司がいる神社の規模というのもイメージしやすいでしょうか。

さて、話をもとに戻しますが、この 禰宜・権禰宜 の 禰 という文字の説明がなかなか難しかったのです。
他にこの文字を使う例が思い浮かびませんでしたから。

「禰宜の禰という文字は、鬼滅の刃の禰豆子の禰です」 と言って、わかってもらえるケースが若干でてきたというのが、神社界と鬼滅の刃の接点ですかね(笑


追伸:もっとも 禰豆子 は字が難しいからなのか、「ねずこ」 で検索されるケースも多いようですが・・・・(大汗

  


2020年10月25日

菅と菅 (スガとカン)

ネットで拾いました。
おもわずクスリとしてしまいました。

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菅直人菅義偉のガイドライン

無駄がないのが菅義偉 脳がないのが菅直人

イケてるのが菅義偉 イカレてるのが菅直人

言いたいことを言ってくれるのが菅義偉 言いたいことを言っちゃうのが菅直人

ユーモアがあるのが菅義偉 失言があるのが菅直人

恫喝に応じないのが菅義偉 恫喝して仕事の邪魔をするのが菅直人

適切な対応の菅義偉 対応が適当な菅直人

無駄な質問されるのが菅義偉 無駄に失言するのが菅直人

黙々と仕事をするのが菅義偉 黙々と仕事を増やすのが菅直人

安心できるのが菅義偉 慢心しているのが菅直人

今まで埋もれていたのが不思議な菅義偉 今まで同じ空気吸っていたのが不思議な菅直人

天才ではなく秀才なのが菅義偉 天災でなく人災なのが菅直人

いい仕事をする菅義偉 いいから仕事をしろ菅直人

馬鹿には取り合わない菅義偉 馬鹿なので取り合われない菅直人

国民の希望、菅義偉 (いなくなることが)国民の希望、菅直人

返しのキレに定評のある菅義偉 逆切れに定評のある菅直人

キラーパスを投げる菅義偉 ブーメランを投げる菅直人

中韓を喰う菅義偉 カイワレ食う菅直人

有能なのが菅義偉 未納なのが菅直人

そして伝説へ、菅義偉 そしてお遍路へ、菅直人  

2020年04月21日

マスク考

「マスク考」と言っても、安倍のマスクの揶揄される政府配布のマスクの是非や、マスクの流通状況・生産状況のあれこれなどを述べるものでは無いことを最初に断っておきます。
そういう情報を期待された方は、読み進めても時間の無駄ですから他のサイトをあたって下さい。

さて、では何を書きたいのかということですが、以前に 「覆面禁止法」 というオーストリアの法律などの紹介をしました。
詳しくは 弊ブログ 令和2年4月11日投稿 「覆面禁止法」 参照。

それと前後して友人が 「マスクしている人って怖い印象がある」 とFacebookに記していることから 「そういえば漫画などで不良が登場する場面には、必ず1人くらいマスクしているのいるよね」 ってやりとりをしておりました。

また、あるサイトで 「日本の正義の味方は口元を隠すけど、アメリカなどのヒーローは目元を隠す」 と記されているのを目にしました。
アメリカのマスク着用率の低さはアメコミの「ヒーローは口元を隠さない」「口元を隠すのはだいたい悪」にある…?そしてなぜヒーローは隠さないのか?


そう考えてみると、月光仮面、鞍馬天狗、人造人間キャシャーンなど(例が古すぎる。。。)確かに口元を隠しているのに対して、アメコミヒーロのバットマン、キャプテンアメリカ、忍者タートルズなど(これまた微妙なラインナップ・・・)は目元を隠しています。
なるほどと思いつつも、、、赤影やヤッターマンは目元が隠れているなぁ。スーパーマンは素顔のままだし(よくあれで正体がばれないものだ)、スパイダーマンは完全覆面だし、よくよく考えると月光仮面はサングラスだから目も隠れているなとか、ツッコミどころありありの説な気がしてきました。

ただ、日本には 「目は口ほどに物を言い」 なんて諺があるくらい、目が隠れると何を考えているのかわからないという部分はあるのかもしれません。

とはいえ、最初に却って 確かにマスクをしている人の威圧感 というのも無くはない。

そうは言っても、どこへ行ってもマスク姿の人だらけになってくると、見慣れてきました。