2019年01月23日

葬式鉄

年が明けて、もう間もなく1ヶ月が過ぎようとしています。月日の流れるのは本当早いと感じます。
例年ですとテレビなどでも 「今年も、もう1ヶ月が過ぎました」 などと言うのでしょうが、今年はちょっと様子が違いますね。
「平成の最後まであと3ヶ月となりました」 こんな表現が増えてきたように思います。
とにかくどこを見ても聞いても 「平成最後の・・・」 ばかり。ちょっと辟易しています。

ところで、知る人ぞ知る (というほど隠してもいませんが) 私は小さいときからの鉄道ファンです。
一口に 「鉄道ファン」 といってもいろいろなジャンルがあるんですね。
撮り鉄、乗り鉄、音鉄、模型鉄・・・。最近はママ鉄なんて呼び方もあるようで。
順番に、写真に撮ることが好きな人、実際に乗るのが好きな人、走行音などを録音するのが好きな人、模型で遊んだり精密化にこだわるのが好きな人。最後のは趣味の方向性ではなく、子供を持つ母親で鉄道が好きな人を指すようです。

そんな鉄道ファンのジャンル(?)の中に 「葬式鉄」 というのがあります。
廃線が決まった路線などへ訪れて、写真を撮ったり、録音したり、乗ったり、記念品(普通のきっぷなども含む)を購入したりする人たちのことです。”廃線が決まると” というのがミソなんですね。
私も少なからず 「葬式鉄」 的な活動をしない訳ではありませんが、これが行き過ぎると結構な騒動になったりするんですよね。
報道でもその加熱した様子を批判的に報じることがあります。勿論、危険であったり、常識はずれな行動をする人がいるので批判的報道になるのは仕方がないのですが・・・。

こんな話を持ち出したのは、ここしばらくのマスメディアによる 「平成最後の・・・」 というやり取りが、葬式鉄的に見えてきたからです。
確かに平成という元号は4月末を以ておしまいになりますが、5月1日には新帝が即位され新しい時代が始まります。
葬式鉄が群がる 「廃線」 は翌日から列車が走らなくなり、不便になることが多く、喜ばしいことではありませんが、今回の御譲位による御代替わりは国忌を伴わない御代替わりであり、お祝い一色で新帝の践祚(即位)をお祝いできることなんです。

ノスタルジー的に 「平成も最後」 という気持ちもわかりますが、新しい時代を迎えるという機運をもっと高めていただけないものかと思うのです。


ちなみに、元号については 「国民生活を鑑みて」 1ヶ月前に発表するそうですが、私はこれには反対です。
どのみち諒闇践祚(崩御による御代替わり)であれば、突然何の前触れもなく元号が変わってゆくわけです。
なぜ、殊さらに、前例のない 元号の前倒し発表などをしなくてはならないのでしょうか?

先日ガソリンスタンドでこんな記載を見つけました。
平成33年



そうです、平成33年なんです。
いいじゃないですか、今現在は 「平成31年5月1日は云々」 と記しても。
そう記してあるということは、平成の世に記されたものであるという確固たる証拠です。

くれぐれも 「平成最後」 が加熱しすぎないことを願います。