2020年04月17日

「旧宮家復帰」聴取

567 武漢肺炎ウィルス 関連の話題で扱いが小さくなってしまっていますが、4月15日の産経新聞によると政府が 「戦後に皇籍を離脱した旧宮家の復帰に関する考えを尋ねている」 ことが分かったようです。

<独自>皇位継承で「旧宮家復帰」聴取
 政府が有識者ヒアリングで 論点整理への明記が焦点に
2020.4.15 19:53
 政府が安定的な皇位継承策の検討に向けて実施している有識者への意見聴取で、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の復帰に関する考えを尋ねていることが15日、分かった。安倍晋三首相は皇位の男系継承維持の重要性を主張しており、政府が今後まとめる予定の論点整理に皇位継承策の一つとして旧宮家の復帰が初めて明記されるかが焦点となる。

 関係者によると、意見聴取は内閣官房の職員が個別に複数の有識者を訪ねて実施。皇位継承者が(1)秋篠宮さま(2)悠仁さま(3)常陸宮さまの計3人と戦後最少である現状を踏まえ、現行の皇位継承資格や婚姻に伴う皇籍離脱制度に関し維持・見直しなどの意見を尋ねた。

 旧宮家の復帰については▽旧宮家の未婚の男子が内親王と結婚▽現存する宮家に養子に入る▽皇籍取得-などの考えを聴いたという。伏見宮家など11宮家の51方は昭和22年10月に皇籍を離脱している。

 旧宮家の皇籍復帰は、小泉純一郎政権だった平成17年の「皇室典範に関する有識者会議」で保守派が主張したが、皇籍離脱から長い時間が経過し、旧宮家と現在の皇室との共通の祖先が600年以上前にさかのぼることなどを理由に具体策として明記されなかった。

 菅義偉官房長官は2月10日の記者会見で、皇位継承策に関し既に有識者への意見聴取に着手したと述べていた。政府は、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となられたことを示す「立皇嗣の礼」の後に議論を本格化させる方針だ。

11宮家


確かに各宮家を遡って皇統に辿り着くには第93代後伏見天皇まで約700年遡らなくてはなりませんが、皇籍離脱時の51方の中で

・北白川宮道久王の祖母である北白川宮成久王妃房子内親王
・竹田宮恒徳王の母である竹田宮常久王妃昌子内親王
・浅香宮鳩彦王の王妃允子内親王
・東久邇宮稔彦王の王妃聡子内親王
の4方はいずれも明治天皇の御子ですし

その東久邇宮稔彦王の御子、盛厚王の王妃成子内親王は昭和天皇の御子です。

いずれも母方から皇室に繋がる、いわゆる女系での繋がりではありますが、父方からも700年遡れば確実に皇族(というよりご歴代)に繋がるのですから、母方のみしか皇室に繋がらない、世にいう ”女系” よりもよっぽど正当性があるように思われます。

下図は戦後皇籍離脱された11宮家51方を記した系図です。色のついている方が昭和22年10月15日に皇籍離脱をされた方々です。
(後伏見天皇まで遡る系図や伏見宮邦家親王まで遡る系図は省略)


私見としては、「旧宮家の未婚の男子が内親王と結婚」の上でその御子が宮家を復活させるというのがよろしいかと。
ちなみに内親王に限ると 愛子内親王、佳子内親王、眞子内親王のお3方に限られますが、私は未婚の女王も含めてよろしいのではなかろうかと。
そうしますともうお3方いらっしゃいますから、皇統としてはより盤石になるのでは無いでしょうか?



  


2020年03月03日

新型コロナウィルスの蔓延と神社の祭礼


今、巷では新型コロナウィルスの対策と感染状況が大きな関心事になっています。

当初 「新型ウィルス」 で良いのではないか、と思っていましたが、少し前に猛威を奮ったSARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)とかMARS(マーズ:中東呼吸器症候群)も 「コロナウィルス」 によるものなので、今回のものが 「新型コロナウィルス」 と呼ばれるのだそうです。

さて、この新型コロナウィルスについてはまだまだ未解明なことが多いためその感染が広がっていますが、最近の情報では空気感染力は極めて弱く、飛沫感染や接触感染で広まっていると云われています。
また感染していても発症していない、いわゆる潜伏期間であっても感染力があり、咳やクシャミなどで拡散したり、その際の粘液がモノを媒介して感染するようです。
そのため、うがい・手洗いといった方策が有効だと云われています。

モノを媒介してウィルス感染する危険性があるということで、公共交通機関の手すりやつり革、スポーツジムの機器や、バイキング形式のレストランでのトングなどに気をつけたほうが良いという情報も流れています。
神社でも不特定多数の参拝者が使用する手水やその柄杓、また拝殿前の鈴を撤去するところもあるようです。

伊太祁曽神社には拝殿に鈴は掛かっておりませんので、特にその面における心配はありません。
また手水に関しては今の所、柄杓の撤去や水を止めるということも行っておりません。
手水に使用する水は常に手水鉢から溢れるように流しており、また多くの方が使用する柄杓につきましても、正しい作法でお使いいただけば問題ないと考えております。
確かに様々な危険性を考慮して柄杓を撤するという方法もあるとは思いますが、ここは正しい作法を再確認することで 柄杓経路による感染防止 としたいと思っております。

改めて手水の際の柄杓の使い方について要点を記しておくならば
・柄杓に直接口をつけて口を清めない
・使用したあとは持ち手を水で流して清める
この2点です。つまり接触感染が原因ではありますが、不必要に柄杓に触れないのが作法であり、また接触した部分については最後に使用者が清めるのが作法なのです。
アルコール除菌に比べれば、流水で清めることには不足があるかもしれませんが、そこを細かく言うならばおよそ一切の外出を禁止するのに等しいことだと思います。

さて、話が横道にそれましたが、3月に入り神社では 春祭り が行われるところも多くあります。
全ての春祭りがそうであるとは言いませんが、いつくかの神社で行われる春祭りは 「鎮花祭(ちんかさい:はなしずめのまつり)」 に由来するところもあると思います。
鎮花祭については平安時代の法令集である 「大宝令」 にも記されており、春の花びらが散るときに疫神が流行病を引き起こすために、それを鎮める祭りとされています。
「まつり」 というと多くの人が集まりますので、昨今の状況を鑑みると 「今年の祭礼は中止」 とするところもあるかもしれませんし、また 「例年通り斎行」 となれば 「なぜ行うのだ」 と批判的な意見も出てくるかもしれません。
確かに新型コロナウィルスの感染状況を考えると多くの人が集まる行事は避けるべしなのかもしれませんが、祭祀の本質に 「疫病退散」 がある場合にはむしろ積極的に祭礼を行うべしと思います。
勿論、感染拡大を防ぐために十分な注意が必要であり、場合によっては人の集まる所謂 「神賑行事」 は中止するべしとは思いますが、祭祀自体を中止することはその主旨に反すると考えます。

また春祭りではありませんが、有名な京都の八坂神社の祇園祭は、まさに疫病退散を目的として始まったお祭りです。


神社の祭礼は単なるイベントではありません。祈りの場として、感謝の場として行われるものです。
その神社の祭礼がどの様な由来があるのか、この機会に見直してみてはいかがでしょうか?
  


2018年11月23日

新帝の大嘗祭

皇太子殿下が皇位就かれ、最初に行われる新嘗祭の日取りが決まったそうです。
御代最初の新嘗祭を現代では大嘗祭と呼びます。

古代は、現在にいう新嘗祭も大嘗祭と呼んでおり、特段の区別は無かったようです。
しかし律令が整備される中で、御代一度の大嘗祭は特別なものとして区別をするようになってゆきました。
そして「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」と呼ぶようになりました。
践祚(せんそ)というのは、新たに天皇の位に就くことを言います。
現在では「即位」という言い方をしますが、戦前まで「践祚」と「即位」は明確に区別がされていました。
天皇の位に就くことを「践祚」、そのことを広く世間に知らすことを「即位」と呼んでいました。

さて、今日11月23日は新嘗祭です。
新嘗祭(大嘗祭)の日取りは律令では11月下卯日と定められていました。
卯日が3回ある場合は中卯日に行うと注釈があります。
ところが明治6年に太陽暦を採用することになった際に、新嘗祭の日は11月23日と定めました。
これは明治6年の11月下卯日が23日だったからです。
こうして、以来11月23日が新嘗祭と定められて脈々と祭祀が行われてきました。

今上陛下が皇位に就かれて最初の新嘗祭、つまり大嘗祭も平成2年11月23日に斎行されました。
ところで、明年には天皇陛下が譲位され、皇太子殿下が皇位に就かれることとなっていますが、その大嘗祭の日程が発表になったそうです。

天皇陛下、23日に最後の新嘗祭
2018.11.22 15:20ライフ皇室

 天皇陛下は23日、在位中最後の新嘗(にいなめ)祭に臨まれる。陛下自らその年に収穫された穀物を皇居・神嘉殿(しんかでん)に供えられる新嘗祭は最重要の宮中祭祀とされる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝し、国家国民の幸せを願う祈りは、陛下の側で新嘗祭に臨まれてきた皇太子さまに受け継がれる。
 新嘗祭は皇居・宮中三殿に隣接する神嘉殿で、同日午後6時から「夕(よい)の儀」が、同11時からは「暁(あかつき)の儀」が、同様の次第で2時間ずつ行われる。陛下は平成26年から暁の儀へのお出ましを控えているが、夕の儀は30分間に時間を短縮して続けてこられた。儀式には神前での御告文(おつげぶみ)の奏上や、新穀を神々と食べる直会(なおらい)という天皇しかできないご所作がある。
 新嘗祭では男性皇族方も拝礼されるが、陛下と同じ殿上に上がられるのは皇太子さまのみ。皇太子さまは来年11月14~15日にかけ、即位後初の新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」(大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀)に臨まれる。


いつものことながら、削除対策に転載しています。
さて、記事によると明年の大嘗祭は11月14日から15日にかけてとなっています。

新嘗祭は明治の新暦採択の際に11月23日と定められました。
律令では11月下卯日(卯日が3回ある場合は中卯日)と定められていましたが、新暦採択の明治6年の11月下卯日が23日であったため、新暦採択にあわせて新嘗祭は11月23日と定めたようです。

今上陛下の大嘗祭は平成2年11月22日から23日にかけて斎行されました。
昭和天皇の大嘗祭は昭和3年11月14日から15日、大正天皇の大嘗祭は大正4年11月14日から15日となっています。
つまり、大嘗祭に関しては必ずしも11月23日には行われていません。

もう少し詳しく見てみましょう。
明年の大嘗祭が斎行される11月14日は乙卯で中卯日。
今上陛下の大嘗祭が斎行された平成2年11月22日は辛卯で下卯日(卯日は2回)。
昭和天皇の大嘗祭が斎行された昭和3年11月14日は戊午。
大正天皇の大嘗祭が斎行された大正4年11月14日は乙酉。

つまり、平成以降は律令に記される下卯日に大嘗祭を行う様になっています。これは偶然なのか、そうでは無いのか、そこまでは定かではありませんが・・・。  

2018年11月23日

ブラック・フライデーではなくて新嘗祭です!

先日から 「ブラック・フライデー」 というポスターを目にします。
一体なんだろうと思っていたら、要は 「安売りの日」 ということなんですね。

何でもアメリカの風習で、感謝祭の行われる11月第4木曜日の翌日を意味するのだそうで、この日は感謝祭プレゼントの売れ残り品一掃セールのため安売りがされたのだとか。
そういえば 感謝祭 を Thanksgiving Day として広めようという動きが過去にあった気が・・・。
結果は皆さんご存知の通り定着しませんでしたが・・・。

アメリカやカナダではThanksgiving Day は祝日だそうで、その翌日の金曜日は祝日ではないけれどお休みとするところも多いのだとか。
仕事や学校が休みで安売りしているとなれば、買い物客は殺到しますよね。


とまぁ、突如降って湧いた感が私には満載のブラック・フライデーの正体はわかりましたが、今日11月23日はブラック・フライデーよりも日本人としては大切にしなくてはならない新嘗祭の日です。
新嘗祭とは宮中祭祀の1つで、天皇陛下が神嘉殿で親しく執り行われるお祭りです。
五穀豊穣を祝って、夜に2回神事を行われるのです。
そして、全国の多くの神社でも新嘗祭が執り行われます。(宮中の祭祀と、各神社で行われる祭祀は別のものです)

現在11月23日は勤労感謝の日という祝日になっていますが、これも新嘗祭に由来する祝日なのです。

ブラック・フライデーは数年前から日本にも入ってきているのかも知れませんが、まだまだ定着している感じはありませんし、果たしてこの先定着するのかもよくわかりません。
それよりは、1000年以上昔から脈々と行われている新嘗祭に焦点を当てて、日本国民皆で祝える様なことを考え出してくれないですかねぇ・・・。

売れれば何でも良いという発想は好きになれません・・・。  


2018年11月23日

GHQと天皇の退位

明年は日本の近代化以来はじめての崩御によらない御代替わりとなる予定です。
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。

先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。

さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。

GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」

産経新聞 2016.10.10 09:44


 先の大戦に敗北した日本は占領下に置かれ、連合国軍総司令部(GHQ)に「象徴天皇制」を含む新憲法を突きつけられた。
 GHQは皇室制度の存続だけは認めたものの、天皇の神格化を排除するため、大日本帝国憲法(旧憲法)第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を放棄させ、新憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した。
 さらに第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定め、大日本帝国憲法と同格だった皇室典範を一般法に格下げした。
 GHQは他にも天皇の権威を失わせる施策を次々と推し進めたが、天皇の譲位(生前退位)には慎重だった。
 昭和21年8月30日、民政局のサイラス・ピークは、内閣法制局第一部長の井手成三を呼び出し、生前退位をめぐり次のようなやり取りをした。

 ピーク「天皇ノ退位ヲ認メヌ理由」

 井手「上皇制度ナド歴史的ニモ弊害アリ寧(むし)ロ摂政制度ノ活用ヲ可トス」

 ピーク「昔ハ退位ハアツタカ」

 井手「然リ」

 ピーク「退位ヲ認メルト今上陛下ニ影響スルコトヲオソレタカ」

 井手「ソノヤウナ顧慮ニ出デタモノデハナイ。寧ロ一般抽象的ナ論究ノ結果ナリ」

 会談は3時間に及んだ。女性天皇の是非も議題になったが、井手が男系維持を説明するとピークはそれ以上追及しなかった。
 外務省特別資料部の調書「皇室に関する諸制度の民主化」(23年10月)によると、GHQは当初、天皇の自由意思を認める意向を示していたが、「野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、首相にでもなることがあっては困る」と考え、生前退位を認めない方針に転換したという。
 GHQとの交渉の末、政府は皇室典範草案を完成させ、21年11月26日、第91回帝国議会衆議院本会議に提出。男女平等や民主主義をうたった新憲法との整合性についてさまざまな議論が繰り広げられた。
 社会党衆院議員の及川規(ただし)は衆院本会議で生前退位に関してこう主張した。
 「天皇の絶対的自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現する所以(ゆえん)であると確信する」
 貴族院でも京都帝国大名誉教授の佐々木惣一が「個人的の立場からじゃなしに国家的見地から、自分はこの地位を去られることがよいとお考えになることもないとは限らぬと思います、こういう場合に、国家はこれに付きまして何らかの考慮をしなくてもよいものでありましょうか」と語った。
 これに対し、国務相の金森徳次郎は「天皇お一人のお考えによって、その御位をお動きになるということは恐らくはこの国民の信念と結びつけまして調和せざる点があるのではないか」と反論した上で、こう断じた。
 「天皇に私(わたくし)なし、すべてが公事であるという所に重点をおき、ご退位の規定は今般の典範においてこれを予期しなかった」
 結局、衆議院と貴族院合わせて約1カ月の議論の末、皇室典範案は無修正で可決され、翌年の1月16日に公布、5月3日に施行された。(広池慶一)
  

2018年06月14日

RADWIMPS と ゆず

先日、神道青年地区連絡協議会定例総会に出席してきました。
(あっ、正しくは神道青年近畿地区連絡協議会定例総会です。)

この会は、近畿地区2府4県の青年神職(概ね40歳以下)が集まって結成されている会で、年に数回の集まりがあります。
私は既に卒業していますが、長年近畿地区の役員に名を連ねていたので現在参与という肩書でご案内を戴いています。

さて、この会の冒頭、兵庫県神社庁泉庁長からご挨拶を頂きました。
その中で、RADWIMPS の HINOMAEU と ゆず の ガイコクジンノトモダチ の2曲の歌詞について紹介がありました。
ゆずの ガイコクジンノトモダチ は知っていましたが、RADWIMPSは、映画 「君の名は・・・」 の主題歌等に使われたバンドというだけで、この曲は知りませんでした。

そして、その翌日に次のニュースを目にします。

『日の丸や「御国御霊」は全て侵略戦争の旗や言葉』
RADWIMPSの『HINOMARU』に抗議し、廃盤と2度と歌わない事を求めるライブ会場前行動呼びかけ
https://snjpn.net/archives/54903


この記事によると、例のツイートは6月8日21:00とありますが、泉庁長がこの曲を聞いたのは遅くとも6月7日のことですから、この呼びかけなどで話題になって知ったものではありません。
そもそも、随分と若い曲をお聞きになるのだなぁと感心したものです。

さて話がそれましたが、こういったネガティブキャンペーンを売っている一方、実際にこれらの曲の評価はどうなっているのか気にしてみました。
といっても、一個人が街頭インタビューやアンケートを取るのもどうかと思いますし、そもそも東京や大阪などの都会でやらないとその意味は薄いように感じますので、違う方法をとりました。
今は、店舗でCDなどを購入するよりも圧倒的にインターネットでダウンロードする方式が主流ですので、一体ネットでのダウンロード数がどんな状況なのかを見れば、ある程度は曲の評価が見えるだろうと考えたのです。
その結果は次のとおりです。
  続きを読む


2018年03月28日

「譲位」と「退位」

以前、このブログでは「譲位」と「生前退位」について取り上げました。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

都合、何度か御代替わりについても記してきました。
余談ですが、先般とあるアナウンサーが 「御代替わり」 を 「おん、だいがわり」 と読んでいました。これって「みよがわり」のはずなんですが・・・。

さて、御代替わりまであと1年余りとなり、関連の報道も増えてきました。
当初は「生前退位」などという言葉も用いられており、私は非常に不快に感じましたが、さすがに ”生前” は消え、「退位」という表現に落ち着いたようです。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

一方で、陛下が位を退くことについては「譲位」という言葉もあり、「退位」と「譲位」についていろいろと議論があります。
政府は「譲位」ではなく「退位」という言葉を用いていますが、それはなぜなのか、腑に落ちる記事があったので以下に転載します。

大祓の時に「諸々聞食せと宣る」のあとに諸員が「オー」と唱へるのを「称唯」と書いて「イショウ」と読む。漢字の順番通りなら「ショウイ」と読むのは、「ショウイ」が「ジョウイ」と通ずるのを憚っての有職読みとされてゐる。古人は「譲位」でさへ憚ったのであり、まして「退位」の語を軽々しく使用するのは不敬なことに違ひない。


つまり、「譲位」を連想させる「ショウイ」という言葉すら使用することを避けたのだから、まして「退位」などを用いるのは不敬に違いないと昔の人達は思っていたのだろう、ということです。
そもそも「譲位」と「退位」は、共に位を退くことを意味しますが、そのニュアンスは少し異なります。
「譲位」は文字通り 位を ”譲り” 退くわけですが、「退位」は 位を退く ことを意味するだけです。
つまり意味的には 譲位<退位 であり、譲位は退位に含まれるわけです。
そして、その違いから、やがて「退位」には、天皇の意思と関係なく位を退かされる場合に用いられる、という理解になったとも言われます。

改めてまとめるならば、
 ・天皇が位を退く意思をもっての「退位」を「譲位」
 ・単純に天皇が位を退くことは一様に「退位」と言っていたが、上記のことから、意思を伴わない場合を「退位」
と使い分けるようになった、との解釈が一般的になっているようです。
そして、それ故に今回の御代替わりは「譲位」であって「退位」ではない、という論調が多数を占めているのでしょう。

さて、記事は次のように続けます。

 だが、その「退位」の語を、なぜ政府が使用し、特例法に明記し、これを国会で承認したのか。この点を踏まへて不敬かどうかを、情感だけでない、法制的課題としても理解する必要があるのではなからうか。
 政府は「譲位」の語を使用しなことに徹底してゐる。それは「譲位」といふと、それが天皇の意思ないしは発意によってなされることになるからとされる。それは憲法違反になるので、天皇が自らの意思で御位に就くことも、また退くこともできないとの法理を厳守しようとしてゐるのである。


以上 「神社新報」平成30年3月26日付 神奈川県瀬戸神社 佐野和史宮司の投稿記事より抜粋転載


日本国憲法の第4条には
天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。

とあります。つまり憲法の規定では天皇がその位に就くことも、また退くことも、全て憲法及び法律によって決められるものであって、天皇御自らの意思であってはならないと解釈されるのです。
したがって、「譲位」の語を用いることは、天皇が御自らの意思により帝位を退くことを意味するために、政府は「退位」を用いることにこだわるのだという理解です。

日本国憲法第9条を厳密に解釈するならば、自衛隊が存在することは憲法違反となる訳ですが、現実にはそうならずに世の中は廻っています。
今回の御代替わりにおける「譲位」と「退位」の用語使いは、自衛隊の問題に比べれば些細なことのようにも見えますが、しかし我が国の根幹たる皇室のこと。それも天皇陛下の御事ですので、万が一もあってはならないことです。
残念ながら、日本国内、否日本人の中にも天皇陛下の御存在、皇室の御存在を快く思わない人が存在する御時世ですので、万難を廃するのは止むを得ないとも思います。

しかし、翻って、その様な不自由な憲法がそもそもおかしいのではないかと、改めて思うのです。
今上陛下は、初代神武天皇より数えて第125代目。初代神武天皇が即位されてから、今年は2678年が経ちます。
たかだか施行後100年にも満たない日本国憲法で規制できるものではなく、実態に合わせて憲法を制定すべきであろうと思います。

先日の自民党党大会で、安倍晋三総裁は憲法改正に強い決意表明をされました。
日本人による、日本国らしい憲法を1日も早く制定して欲しいと強く願うところです。  

2017年06月10日

一番多い占い相談・・・

どこで読んだのか曖昧ですが、多分新幹線の車中で、置いてあった雑誌に記されていたような・・・。
ある占い師さんのコラムか何かに、こんなことが書かれていました。
占い・相談で一番多いのは恋愛に関するもの。
氣になる人とお付き合いできるのか、相手はどう思っているのか、相性はどうなのか、それは二人のことなので本人と相手がわかれば占える。
だけど、氣になる相手やいまお付き合いしている相手と結婚できるかという相談になると、本人と相手だけでは占えず、その周りの環境(それぞれの両親や兄弟親族、仕事など諸々)の情報も必要となる。
そもそも、恋愛と結婚では占い方が違うのに、一緒に考えて相談される。
一般に恋愛の延長線上にそのまま結婚があるとの認識が今は当たり前になっているけど、そもそもそれが間違い。
というような主旨の内容でした。

確かに若かりし頃は「好きになった人と一緒に慣れれば良いなぁ」なんて漠然と思っていましたが、今は「好きという感情だけでは結婚できない」という状況は良くわかります。
結婚は ”結婚する二人だけの問題” と錯覚させる原因の1つに憲法の条文があります。
いや、私も含めて多くの人達は結婚に関して憲法など意識はしていないのですが・・・。
日本国憲法 第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
つまり、我が国では憲法の規定により、結婚する当人同士が合意すれば結婚できることになっています。
これが、結論としては 「好きな人同士で結婚できる」 というところに繋がるのだと思います。


さて、当人同士が好きという感情だけで一緒になった場合、当然それぞれの両親や兄弟などのことは特段考慮していませんから、自身の配偶者が亡くなった場合、その関係は一切合切そこで終わりという発想が出てくるのは自然なことでしょう。

それが、下記に転載した 「死後離婚」 ということになるのでしょうね。
下記は朝日新聞デジタル版の記事です。
縁を切って楽になりたい 「死後離婚」10年で1.5倍
沢木香織2017年6月5日11時51分

 配偶者が亡くなった後、配偶者の血族である「姻族」との関係を断ち切る、「死後離婚」が増えている。女性からの届け出が多いようだ。核家族化で負担が重くなりがちな、義父母の介護や墓の管理への不安が背景にあるとみられる。
 結婚してできた配偶者の血族との姻族関係は、離婚をすれば自動的に終わる。しかし夫か妻の一方が亡くなった場合、関係を終了するには役所へ「姻族関係終了届」を出す必要がある。これが「死後離婚」とよばれる。法務省によると、2015年度の届け出数は2783件。06年度からの10年で1・5倍に増えた。戸籍には、姻族関係終了の届け出日が記載され、受理した役所が受理証明書を発行してくれる。
 夫婦問題の相談に応じる「HaRuカウンセリングオフィス」(東京都港区)の高草木(たかくさぎ)陽光(はるみ)さんによると、死後離婚の相談は昨年になって急増し、30件ほど寄せられた。義父母の介護や夫のきょうだいとの関係で悩む女性が大半という。
 三重県の会社員女性(43)は、夫の病死から3年となった5月、姻族関係終了届を出した。
 きっかけは義父の死だ。
 義父母は夫が子どもの時に離婚し、夫は義母に育てられ、義父とは疎遠だった。昨年末に義父が亡くなると、一人っ子だった夫宛てに、警察から身元確認の問い合わせがきた。亡き夫に代わり、女性が相続放棄などの手続きをした。姻族に対して、重い責任を背負わされた気がした。
 近所に暮らす義母とはいまも良い関係で、買い物や病院の送り迎えを手伝う。2人の娘にとっては「大好きなおばあちゃん」だ。関係を変えるつもりはなく、届け出をしたと伝えるつもりもない。ただ、子育てや自身の両親の介護など、夫の死後に一気に重荷が増えた気がした。「縁を切るつもりはないけれど、せめて精神的な負担だけは軽くしておきたい」と話す。
 大阪市北区の「司法書士事務所ともえみ」の山口良里子(よりこ)・代表司法書士は、義理の姉との関係に悩む関西地方の60代の女性に、終了届の提案をした。
 夫の死後、夫の両親の墓や、空き家である実家の管理に悩んでいた。遠方のため管理が難しく、義姉に墓じまいと実家の片付けを相談した。だが「ひどいことをするわね」と批判されるだけだった。結局、1年かけて1人で実家を片付け、墓も自宅近くに移した。
 女性は「義姉と縁を切りたい」と思い詰めていた。山口さんは「『嫁の責任』を全うしようとまじめに考える人ほど、姻族との関係に悩んでしまう」と話す。
http://www.asahi.com/articles/ASK5B7XF6K5BPTIL03B.html?ref=wmailm_0609_11

勿論、死後離婚を一から十まで否定する氣はありません。
個別の状況においては そうせざるを得ないこともあるかもしれません。

家族のあり方、夫婦のあり方が変わろうとしているのでしょうか。変わるべきなのでしょうか。
難しいところです。
  

2016年11月11日

立憲主義者は何をしている?

先日より国のTOPに関するニュースが相次いで報道されています。

1つは先日決着がついたアメリカ合衆国の大統領選挙。
クリントン女史とトランプ氏の選挙戦の様子は頻繁に報道されていたので知らない人はいないと思います。
結果はご存知の通りトランプ氏の勝利となりました。
この結果を危惧するマスメディア報道を多く目にしますが、個人的にはクリントン女史よりもトランプ氏の方が日本にとってはまだマシな結果だったのではないかと思っています。

2つ目は隣国韓国の大統領の去就について。
これもマスメディアが大々的に報じているので知らない人はいないと思います。
しかし、私は果たしてアメリカの大統領選挙と同じ程度の時間を割いてまで報道する内容なのか疑問に思っています。

多くの方は、「先日からの国のTOPに関するニュース」と言われて思いつくのはこの2つでしょうか。

フィリピンのドゥテルテ大統領の発言問題を思いつく人もいるかもしれません。
先月中旬に逝去されたタイのプミポン国王を思う人もいるでしょう。


ところで、もう少し遡ると日本でもニュースがありましたね。
安倍首相ではありません。
天皇陛下の「譲位」に関するご発言です。(一部のマスメディアでは未だに「生前退位」などと称していますが・・・)

今上陛下の「譲位」のご意向や、所謂「生前退位」報道についてはこのブログで取り上げていますが、今日はまた違う視点で記しておきたいと思います。


現行の皇室典範には天皇陛下の退位に関する規定はありません。即ち天皇の位に一度即位すると生涯その位にとどまる終身在位とされています。
これに対して、天皇陛下は憲法に定められた国事行為を恙無く全うするためには然るべき段階において皇太子殿下にその御位を譲られる「譲位」の御意向を表明されました。このことは皆さんがご存知のとおりです。
皇室典範には天皇が「国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」ことができると定められており、日本国憲法にも摂政を置いた場合には摂政は天皇の名で国事行為を行う(第5条)と定められています。
しかしながら、天皇陛下は摂政を置くのではなく、自らは「退位」をされ、次の世代に皇位を継承したいと表明されました。
これを受けて、安倍首相は有識者会議を設け、天皇陛下が御自言及された平成30年という年限を念頭に諸般の検討をはじめました。

ところで、日本国憲法第4条には「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行なひ、国政に関する権能を有しない。」とあります。
したがって、「内閣が天皇の意思に従って法改正を行うことは、天皇が国政に関する権能を行使することになり、許されない」 というのがこれまでの通説でした。
ちなみに、政府は天皇陛下に対して摂政の設置を助言していますが、陛下はその助言を否定して「譲位」に言及されています。

政府は「特措法」という処置で対応しようと考えていると報じられていますが、これは憲法の定めを逸脱することになると思います。


安倍首相が我が国の国防において集団的自衛権の行使は限定的ながら可能であるとの見解を示した際に、野党は「立憲主義を守れ!」と糾弾しました。
立憲主義を唱える方々の考えの根底には、「憲法とは為政者を縛るためのもの」という概念があり、その憲法解釈を為政者が勝手に変えることはできないということです。
この件に関しては、国会の議場にメッセージボードを持ち込んでまで野党はアピールを行っていました。

しかしながら、今回の政府の動きに関して、あれだけ強く「立憲主義を守れ!」と叫んだ国会議員の誰ひとりとして「立憲主義を守れ!」とは言っていないように思います。
これはどういうことなんでしょうか。
集団的自衛権の行使容認という「憲法解釈の変更」という段階ではなく、天皇の御意向によって国政が動くという「憲法の規定を逸脱」した動きなのではないでしょうか?
前回以上に厳しく「立憲主義を守れ!」と糾弾すべき事態ではないのでしょうか??



最後に、そもそも私は 「憲法とは為政者を縛るもの」 とは考えておらず、「憲法とはその国の国体(国柄)を表し、国家の根幹をなす基本法」 であるべしと思っております。
したがって、「立憲主義を守れ!」と糾弾すべきだと主張しているのではなく、陛下の大御心を心に刻み然るべき方策を考えるのが我が国の本当のあり方だと考えるものであります。
  


2016年11月04日

なぜ 「譲位」 ではなく 「生前退位」 なのか。

本論に入る前に、まずもって三笠宮殿下の薨去に際し、謹んで哀悼の意を表します。
本日は東京の豊島岡墓地で斂葬の儀が執り行わました。


さて、このブログで過去に2度記してきた「生前退位」という表記についてですが、先月下旬に産経新聞社は今後 「譲位」 と表するという記事を発表しました。
「生前退位」報道に思う (平成28年7月14日)
皇后陛下のお言葉をもってしてもまだマスメディアは「生前退位」と用いるのか? (平成28年10月20日)

当該記事はこちら。例によって削除対策にコピペです。
産経新聞は今後、「生前退位」ではなく「譲位」とします
2016.10.28 06:47

 産経新聞は、天皇陛下が天皇の位を譲る意向を示されている問題を報じる際、今後は「生前退位」という言葉を使わず、原則として「譲位」とします。
 「生前退位」は、陛下のご意向が伝えられて以降、本紙を含めマスコミ各社で使われてきました。耳慣れない言葉でもあり、違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
 この言葉は、過去に国会での質問で使われている例があり(昭和59年、参議院内閣委員会)、いわゆる「造語」ではありません。
 「生前退位」が用語として広まったのは、次のような理由があると思います。
 まず「生前」が付くことで、すぐに陛下が天皇の地位を譲られるわけではないのが一目で分かること。さらに、現在は皇位継承が「天皇が崩じたとき」のみに限られていることを浮き彫りにした面もあります。
 しかし「生前」という言葉は、20日、皇后さまがお誕生日にあたり「大きな衝撃をうけた」と文書で述べられたように、「生前の姿」などと「死後」や「死」とセットで用いられることが多いのも確かです。
 現在、皇室は皇位継承者たる皇太子さまがおられ、陛下も「譲位」の言葉を使い、決意を関係者に伝えられたと報じられています。有識者会議での議論も本格的に始まり、「生前退位」という用語を使わなくても、十分にその意味するところが分かる環境になったといえます。
 「生前退位」は過渡的な役割を終え、「譲位」こそ、今後の説明に適した言葉だと考えます。(校閲部長 時田昌)

どうやら「生前退位」という用語は既に昭和59年には登場していたので「造語」ではない、そして「譲位」よりも「生前退位」の方が伝わるだろうと判断した、ということのようですが・・・。

しかし「生前退位」という用語が果たして一般的であったかというと全くそのようには感じられず、その結果が 「『生前退位』という造語」 と言われるようになったのではないでしょうか。

そして、私が冒頭に三笠宮殿下の斂葬の儀に関して表記したのは、勿論殿下の薨去を悼むからではありますが、ここにマスメディアの表記に対する疑問も呈するためでもありました。

「譲位」の単語は耳慣れないとして「生前退位」と置き換えながら(置き換えの是非についてはここでは不問)、「斂葬の儀」については ”一般の葬儀にあたる” という注釈をつける場合もありながらもそのまま表記しています。
また、一部のマスメディアでは「逝去」などとも記されたようですが、正しく「薨去」を用いていた新聞等も目にしました。

「斂葬」も「薨去」もそれほど一般的な用語ではないと思われますが、時には注釈を用いて表現されているのです。
なぜ「譲位」に関してはそれが当てはめられなかったのでしょうか?

私にとっては大きな謎です。