2012年07月27日

今日は「う」のつくものを食べる日です

今日は夏の「土用の丑の日」。
世間一般では「うなぎ」を食す日と認識されています。今年はうなぎの稚魚があまり獲れず養殖うなぎの価格は高騰しているそうですが・・・。

土用の丑にうなぎを食べるというのは、平賀源内が考案したとよく言われます。
夏の暑い時期にうなぎを食べてスタミナをつけるとも説明されますが、うなぎの旬は夏ではないそうですね。
ちなみに、源内がこれを考えた背景には、「夏の土用の丑に 『う』 のつく食べ物を食べると夏バテしない」という民間伝承がヒントになったともいいます。

ということは、今日うなぎが高くて手が出せない方は、「うどん」 とか 「卯の花」 とか 「梅干し」 とか 「きゅうり」 とか・・・・。

巷では、うなぎに味がよく似ているなどと称して、別の食べ物を供給するお店もあるようですが、それよりは上記の方が趣旨にはそぐっているように感じます・・・。

さて、私は何を食べようか・・・。  


Posted by 木霊 at 07:37Comments(0)伝統・文化

2012年07月26日

つみ・けがれをはらう



7月30・31日は伊太祁曽神社の茅輪祭、通称:わくぐりと呼ばれ親しまれている夏祭りです。
このお祭りは、人形(ひとがた)に自己の 「罪穢れ」 をうつして、大きな茅輪をくぐり 「お祓い」 するという、夏越の祓いの神事です。

ところが、時々 「罪汚れを払う」 と記されることがあるのですね。
詠み方は同じですが、意味が全く異なってきます。
こういう誤字は、ちょっと困りますね。  


2012年07月10日

もうすぐオリンピックですが、知っていますか?

ロンドンオリンピックが間もなく開幕ですね。

日本の代表選手には頑張ってほしいものです。
女性陣がずいぶんと頑張っていますが、男性陣にもね。

女性陣としては サッカー女子代表 が一番注目されているのでしょうか。
愛称 「なでしこジャパン」 ですが、他の種目のチームにも相性があるのごぞんじですか?

私が見聞きしたものでは、次の女子代表チームに愛称があるそうです。
・サッカー
・バレーボール
・シンクロナイズドスイミング
・新体操
・ホッケー












5つともわかりましたか?
・サッカー → なでしこジャパン
・バレーボール → 火の鳥ニッポン
・シンクロナイズドスイミング → マーメイドジャパン
・新体操 → フェアリージャパン
・ホッケー → さくらジャパン

いろいろあるのですね。
どうも 「さくら」 というとラグビーのイメージがあるのですが・・・。
それから、バレーボールは 「ニッポン」 ですが、それ以外は 「ジャパン」 なんですね。  


Posted by 木霊 at 06:33Comments(0)世相・社会情勢

2012年07月03日

敬語の使用を放棄した接客業

LCCと呼ぶのですか、格安運賃で運行させる航空会社が少し前から話題になっていますね。
格安運賃の秘密は、徹底したコスト削減だそうですね。機内食がないとか、カウンターの造りが簡素とか、飛行機のシートピッチが狭いとか・・・。
まぁ、国内線ならそれでも安く移動できるのは良いかなと思っていたのですが、最近気になる情報を耳にしました。

客室乗務員に敬語の使用を義務付けない

のだそうです。少し調べたら、某社のこの類の宣言は有名みたいですね。私はあまり飛行機に乗らないので良く知らなかったのですが・・・。
敬語不使用に関して、特に問題なしとするネット上の意見なども拝見しましたが、やはり接客業ということを考えるとこの宣言はいかがなものでしょうかと思ってしまいます。  


2012年07月01日

沖縄の島守

今日から7月です。
先日読んだ神社新報に大変心に残る記事が載っていましたので紹介します。

 昭和19年の10月10日、初めて那覇が大空襲を受けて以来、沖縄は平穏な南の楽園から戦場へと変わっていきました。このようななか、米軍が押し寄せて来ようかという非常事態の中で、県民を護るべき知事が不在になってしまいます。島田の前任知事は、東京に出張したまま、そこで香川県知事の発令を受けて赴任し、二度と沖縄に帰ってくることはありませんでした。そこで、内務省が白羽の矢を立てたのが大阪府内務部長の島田叡でした。この時期、沖縄にいってくれということは、実質「死ね」と言うようなものです。
 昭和20年1月11日、池田清大阪府知事の要請に、島田は「私がいかなかったら、誰かがいかねばならんでしょう。私がいきます」と即答しました。
 昭和20年1月31日、島田は沖縄に着任します。荷物はトランク2つだけ。日本刀と自決用の青酸カリを携えた覚悟の赴任でした。島田の知事としての主任務は、やがて戦場となる沖縄において軍に全面協力するとともに、戦火のなかでいかに県民の生命を守り、犠牲を少なくするかということでした。
 昭和20年4月より6月末までの3ケ月間、両軍は死闘をくりひろげましたが、日米両軍の戦力の差は歴然、天地ほどの隔たりがありました。軍民一体の日本軍は勇戦奮闘、米軍を大いに苦しめるのですが、戦力の差は如何ともしがたく、3ケ月に及ぶ徹底抗戦もむなしく次第に南部に追い詰められていきます。
 毎日新聞の支局長が6月19日、沖縄脱出にあたり島田知事に最後の別れの挨拶に来ます。支局長は知事に対してかねてからの思いを伝えます。
 「知事さんは赴任以来、県民のために、もう十分働かれました。文官なんですから最後は手を上げて出られたら良いではありませんか」
 すると島田はキッと顔を上げ、切り返すように言いました。
 「君、一県の長官として、僕が生きて帰られると思うかね。沖縄の人がどれだけ死んでいるか、君も知っているだろう」
 「それにしても、僕ぐらい県民の力になれなかった県知事は、あとにも先にもいないだろうなあ。これはきっと末代までの語り草になると思うよ」
 6月23日、牛島満司令官と長勇参謀長らが自決します。島田知事と、そして最後まで行動を共にした荒井退造警察部長は6月26日に摩文仁の壕を出て、他所で自決しました。目撃証言によるとその死は7月であることがわかりました。島田知事43歳、荒井警察部長44歳でした。
 沖縄県第27代県知事・島田叡は、いかに戦争とはいえ、県民の命を守ることができず多くの人々が斃れていったことを自分の責任とし、一死を以ってその罪を償いました。知事のこの高潔無比な行為は「島守の神」として今も沖縄の人々の魂の中に生き続けています。
*原文:歴史的仮名遣い
(「神社新報」第3119号:平成24年5月28日より抜粋 大分縣護國神社宮司小野日隆氏記)

この島田知事以下沖縄県戦没職員の慰霊碑は、摩文仁の丘の入口とも云うべきところに建っており、知事の遺徳は今も沖縄県民の間で称え続けられているそうです。