2011年08月27日

日本にあるのは「王室」ではなく「皇室」です

来年のNHK大河ドラマの概要が発表されてきていますが、配役紹介に日本語として不適切な表記が。
後白河天皇などが「王家」と表記されています。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/06/index.html

日本にあるのは「王室」ではなく「皇室」です。正しい日本語表記を要望します。
NHKサイトの ご意見・お問い合わせ に、表記訂正のお願いを送りました。
http://www.nhk.or.jp/css/  

2011年08月26日

いよいよです



以前にご紹介した画像ですが、いよいよXデーになりましたね。(画像はあと3日ですが・・・)
この画像を紹介した約1か月前にはこんな日が本当に来るのか見えない状況でしたが・・・。
ようやくです。
  


2011年08月24日

島田伸介引退の謎

いよいよ管首相が退陣しようというこの時期に、大きな芸能スキャンダルが突然報道されました。
冠番組を何本も抱えている島田伸介氏の突然の引退表明。
ニュースなどでちらっとかじっただけなので詳細はわかりませんが、いくつかの疑問が。

なぜこのタイミングなのか
問題となっているのは平成17~19年に暴力団関係者とメールのやりとりをしていたことが発覚。
芸能界のルールとして引退を決意。とのことですが、4年前の出来事ですね。内容は不明。

過去ののメールを保存?
吉本興業からやりとりしていた携帯メールを見せられて事実確認があったと島田氏は記者会見で話していました。4年前の携帯電話のメールって手元にありますか?少なくとも私は機種変更をしているのでありません。携帯メールだと、パソコンと違ってまず送信者と受信者以外にメールの残しようがないと思うのですが、吉本興業はいったいどうやってそのメールを入手したのか。


個人的には、島田氏の進退について別に意見はありません。本人が決めたことですからそれでよいのではないでしょうか。興味深い番組をプロデュースしたりもしているので少し残念な気もしますが、何とか残ってほしいという感慨は特にありません。

それよりも、日本の指導者が変わろうというこの時期に、なぜ少し前のやりとりを端とする大きなスキャンダルが突然報道されたのか。
与党の代表選に関して、何か報道されたくない大きな裏の事情があって、その隠蔽工作ではないかと勘ぐってしまいます。  


2011年08月21日

どこの国の企業なんだろう・・・??

昨日、東京お台場のフジテレビに向けて大規模なデモ行進が行われたようですね。

韓流偏重「なぜ抗議されなきゃ?」フジ、文書受取り拒否の高姿勢


私はデモという行為は好きではないので、この行動自体には積極的賛同は送り難いのですが、しかし気持ちは理解できます。
フジテレビといえば、先日こんなことがニュースに流れていました。

岩尾望「K-POPよりJ-POP」発言 これで「干された」説の真偽


実際はどうだったのかは知る由もありませんが、今回のデモ抗議の下地のひとつなのだと思います。
テレビに限らず新聞などを見ていても、「一体どこの国の報道機関なんだろう?」と疑問に思うことが最近特に多くあります。
マスメディアだけに限らず、最近ではこんなこともありましたね。

<サントリー>日本海を「東海」と表記…韓国焼酎紹介のHP


なぜ「日本海」を韓国での呼び名である「東海」と表記しなくてはならなかったのか。そして必要性があってやったことなのであれば、なぜ抗議に対してその理由説明を明確に行い継続して表記を行うということをしなかったのだろうか。
削除するのであれば誤りを認めて削除すればよかったのに、弁明にならない弁明を行って削除した。どうも合点が行きません。

最近、様々な分野に外国資本が入ってきていると聞きます。経済の世界でお金と経営戦略で動くのでしょうが、日本人としての、日本の企業としての譲れないところはきちっとして欲しいと思います。  

2011年08月20日

いわゆる「A級戦犯」の合祀と首相参拝

今年の8月15日も、昨年同様に閣僚の靖國神社参拝が行われないまま過ぎてゆきました。
私は、三権の長が靖國神社に慰霊のため参拝することは「義務」だと思っております。参拝する日取りについては8月15日ということに異論を持っていますが、今回は割愛します。

首相以下閣僚の靖國神社参拝に反対意見の方もいらっしゃいますが、なぜ閣僚が靖國神社参拝をしなくてはいけないのかがこちらに上手く纏められているので参考にしてください。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/521494/

それでも反対意見を述べる方の多くは、『靖國神社には「A級戦犯」が祀られている。』ということを問題にしていますが、「A級戦犯」合祀の経緯についてはこちらに上手く纏められていますので参考にしてください。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/H1812SRsenpangoushi.html
尚、このページでは「A級戦犯」という表記はせず、以下「昭和殉難者」という表記をします。

さて、以上2点を踏まえた上で、靖國神社への首相参拝について振り返ってみたいと思います。
一般に靖國神社への首相参拝は昭和60年8月15日の中曽根康弘氏が「初の靖國神社公式参拝」と報道されることが多いのですが、実は以下のようになっています。ここでは「昭和殉難者」合祀との関係で記したいと思いますので、昭和殉難者が合祀された昭和53年10月17日以降についてのみ記します。
昭和54年 4月21日 大平正芳(春季例大祭当日祭)
昭和54年10月18日 大平正芳(秋季例大祭当日祭)
昭和55年 8月15日 鈴木善幸
昭和55年10月17日 鈴木善幸(秋季例大祭清祓)
昭和56年 4月21日 鈴木善幸(春季例大祭当日祭)
昭和56年 8月15日 鈴木善幸
昭和56年10月17日 鈴木善幸(秋季例大祭清祓)
昭和57年 4月21日 鈴木善幸(春季例大祭当日祭)
昭和57年 8月15日 鈴木善幸
昭和57年10月18日 鈴木善幸(秋季例大祭当日祭)
昭和58年 4月21日 中曽根康弘(春季例大祭当日祭)
昭和58年 8月15日 中曽根康弘
昭和58年10月18日 中曽根康弘(秋季例大祭当日祭)
昭和59年 1月 5日 中曽根康弘
昭和59年 4月21日 中曽根康弘(春季例大祭当日祭)
昭和59年 8月15日 中曽根康弘
昭和59年10月18日 中曽根康弘(秋季例大祭当日祭)
昭和60年 1月21日 中曽根康弘
昭和60年 4月22日 中曽根康弘(春季例大祭二日祭)
昭和60年 8月15日 中曽根康弘
平成 8年 7月29日 橋本龍太郎
平成13年 8月13日 小泉純一郎
平成14年 4月21日 小泉純一郎(春季例大祭当日祭)
平成15年 1月14日 小泉純一郎
平成16年 1月 1日 小泉純一郎
平成17年10月17日 小泉純一郎(秋季例大祭清祓)
平成18年 8月15日 小泉純一郎

以上のように、中曽根首相による昭和60年8月15日の「(自称)公式参拝」までは必ず首相は春秋の例大祭にあわせて靖國神社を参拝して英霊に慰霊と感謝の誠を捧げてきました。
前述の通り、この一覧は昭和殉難者が合祀された昭和53年10月17日以降のみ記していますが、それ以前も春秋例大祭にはほぼ例外なく首相参拝が行われています。

ちなみに、昭和53年10月18日の秋季例大祭当日祭における宮司挨拶で参列者に対して前日夜に昭和殉難者の合祀を行ったことを報告しております。(祭典には報道関係もいたハズ)
また昭和54年4月19日には昭和殉難者が合祀された旨の新聞報道がなされました。
しかし同年4月21日と8月15日の大平首相による靖國神社参拝に関してはどこからも抗議はなかったようです。これは昭和60年8月15日の中曽根首相による参拝まで同じ状態が続きます。
そして昭和60年8月15日の首相参拝後に突然『人民日報』が「靖国神社は、これまでの侵略戦争における東条英機を含む千人以上の犯罪人を祀っているのだから、政府の公職のある者が参拝することは、日本軍国主義による侵略戦争の害を深く受けたアジア近隣諸国と日本人民の感情を傷つけるものだ」と報道しました。

これらの経緯からも、日本政府としては毅然とした態度で英霊への感謝と追悼の誠を捧げていただきたいと思います。もっとも、現政権による靖國神社参拝は英霊にとっても迷惑かもしれませんが・・・。


*以上は、平成18年に行った県神道青年会教養研修会で話した内容を改めて要約したものです。

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2011年08月19日

季節はずれの注連縄づくり



昨年の稲藁を用いて、注連縄をつくりました。
新たに注連縄を巻く場所ができたので、新藁が取れる前ですが・・・。  

2011年08月17日

命名(めいめい:なづけ)

子供が生まれると、当然のことながら名前を付けます。
最近では、生まれる前から名前を付けて呼びかけてあげるのが良いなどと記した書籍もあるようです。
現代では科学技術の発達から、生まれている以前に男女の別や大きな疾患を持ち合わせていないかなども分かるようです。
誕生以前の命名を否定はしませんが、できれば性別を問わない名前で呼んであげて、誕生したら改めて命名するという方法をとってあげたいと個人的には思います。

ところで、新生児の名前ですが戸籍法では第49条に
「出生の届出は、14日以内(国外で出生があつたときは、3箇月以内)にこれをしなければならない。」
と定められています。
しかしこれは法的な手続き期日であって、日本では古来より「お七夜」に命名するという習慣があります。
お七夜とは誕生から七日目の夜に新生児の健やかな成長を願って行うお祝いです。
赤ちゃんの枕元には命名書を置いてあげ、家族で赤飯や尾頭付の鯛などを頂きます。

残念なことに、最近はこの「お七夜」の風習を知らない夫婦が増えています。
もうちょっと正しく言うと、お七夜の風習を知らない両親に育てられた夫婦が増えています。
当神社でも子供の名付けは行っていますが、お七夜前日頃に命名して欲しいと来られる方がいます。中にはお七夜を過ぎてから来られる方も。大抵皆さん「来週には届けを出さなくてはならないから・・・」と戸籍だけを気にされているみたいです。祖父母が同伴してこられることもしばしば。

生まれてきた子供への一番最初の贈り物が「名前」です。
お父さん、お母さんになられる方はそのことをよくわきまえて、誕生7日目の夜には命名式を行ってあげてくださいね。

当神社で命名させていただいたお子様には、奉書に毛筆でしたためた、昔ながらの命名書をお渡ししています。  


Posted by 木霊 at 21:24Comments(0)伝統・文化

2011年08月16日

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は無名戦士の墓か?

昨日、このブログで「靖國神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を記したところ、大変多くの方にアクセスいただきました。ありがとうございます。
靖國神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の違いをご理解いただけたものと思います。

このあとふと気がついたことが1つあります。千鳥ヶ淵戦没者墓苑をアメリカのアーリントン墓地のような無名戦士の墓のように捉えられている方が結構いるのではないか、と。

無名戦士の墓というのは、文字通り「氏名不詳の戦士」をその国家における全戦争の代表として、またはそれぞれ特定の戦争における代表として葬ったお墓です。
アーリントン墓地を例に挙げると、各戦役の身元不明の戦没戦士の遺体1体をその戦役による戦没者全体の代表としてそれぞれ埋葬しています。もし、無名戦士として埋葬された遺体の身元が分かると、別の身元不明の遺体と入れ替えるとも聞いています。

一方、千鳥ヶ淵戦没者墓苑では前回記した通り、身元不明の遺骨と同時に遺族不明の遺骨も納められています。そして、戦没者全体を代表するような納骨形式は取られていません。
したがって、無名戦士の墓たる形態をとっていないのです。

ちなみに、身元不明の遺骨が納められているから靖國神社を補完する施設だという見解も誤りです。
靖國神社には遺骨は納められておらず、全て御霊(みたま:霊魂)をお祀りしています。
御霊は戦没者の氏名が判明すれば祝詞を奏上してお祀りするので(実際にはいろいろと手続きやら手順がありそんなに容易ではありませんがここでは割愛)御霊は靖國神社に祀られているが、遺族の手元に遺骨は届かず実は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨されているということも充分ありえることなのです。

そして大事なことがもう1つ。千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められている遺骨は大東亜戦争の戦死者であるという点です。日本の近代化においては日清戦争や日露戦争という戦争もありましたし、戊辰戦争などの内戦もありました。これらの戦争・戦役による尊い犠牲の上に現代日本が成り立っている歴史を鑑みても、千鳥ヶ淵戦没者墓苑では無名戦士の墓として存在するには不十分だとご理解いただけるかと思います。

各国の元首が外国を公式訪問する際にはその国の無名戦士の墓を訪問し献花するのが通例となっているといいますが、日本において諸外国の「無名戦士の墓」に相当するのは靖國神社を置いて実は他にありえないのです。

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2011年08月15日

靖國神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑

今日は終戦記念日です。日本武道館では、恒例の政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われます。
そして、戦没者を祀る靖國神社にも多くの方が参拝されます。

この行事は昭和27年に第1回が新宿御苑で行われ、8月15日に開催されるようになったのは昭和38年、日本武道館で開催されるようになったのは昭和40年からになります。

靖國神社は明治2年に東京招魂社として創建された神社で、嘉永6年(ペリー来航年)以降の国事殉難者を祭神として祀り、明治12年には靖國神社と改称されています。勿論「神社」ですので、現在は1宗教法人であり、国家による管理はありません。
靖國神社の近くには千鳥ヶ淵戦没者墓苑があり、こちらは国家管理によるものであるため、特定宗教に捉われない戦没者追悼施設として千鳥ヶ淵戦没者墓苑を整備しようという意見があります。
しかし、靖國神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に祀られている方は全く性格が異なることはあまり認識されていないようです。

靖國神社には、先に記したとおり嘉永6年以降の国事殉難者を祀っています。「国事殉難者」というのは「国のために命を落とした方」であり、戊辰戦争などの幕末から明治期の国内戦とそれ以降の戦争で亡くなった軍人・軍属とそれに準ずる人が合祀対象です。現在約247万柱がお祀りされています。
合祀されている方は、すべてその氏名がわかっており、また祀られているのは「御霊(みたま:魂)」です。

一方、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、昭和28年の「戦没者遺骨の内、氏名判明せざるもの並びに遺族不明のためお渡しできぬものを、国が建設する「無名戦没者の墓」(仮称)に収納し、国の責任において維持管理する」という閣議決定に基づいて昭和34年につくられた施設です。
したがって、千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、大東亜戦争で戦死した身元不明もしくは遺族不明の遺骨が納められています。

両者の大きな違いがご理解いただけたでしょうか?
ちなみに、靖國神社にも千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも広島・長崎の原爆を含め各地の空襲などで亡くなられた一般市民は祀られていません。尚、日本武道館で開催される全国戦没者追悼式での追悼対象にはこれらの方々は含まれています。

いずれにしても、これら多くの方々の尊い命の上に、今日の平和な現代日本が存在していることを忘れてはならないと思います。

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2011年08月14日

五山の送り火 ~その後

京都の「五山の送り火」に、東日本大震災で被害に遭った陸前高田の松を薪として燃やそうという計画が、放射線汚染の懸念から中止になったという報道について、以前記事を書きました。
http://itakiso.ikora.tv/e639384.html

その後、計画中止になって宙に浮いた「震災遺族などのメッセージが記された薪」は結局陸前高田市で迎え火として焚かれるようになったとの後日報道がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110808-00000101-mai-soci

この問題について取りまとめたサイトを紹介してくれた方がいますので、こちらでも紹介したいと思います。
京都府と岩手県陸前高田の送り火偏向報道問題まとめwiki

wikiページですので若干信憑性に乏しい部分がないわけでもありませんが、大雑把に事実関係や流れを把握するには良く纏められているようにも思います。

このページに書かれていることが事実だとすれば、そもそも放射線云々以前の問題として、送り火の本質や伝統的手順を無視したやり方だったことがあげられます。
長い歴史の中で積み上げられて作り上げられてきた儀式や行事には、それなりの理由に基づいた手順が存在することが多々あります。
そもそもこれらを無視or軽視して取り組もうとした点に発端があるように思います。

陸前高田の薪を使用しない理由についても放射線云々はあったかも知れませんが、そうではなく送り火の手順にそぐわないので使用できないということであれば、爾後の方法が検討されたかも知れませんね。
そして何よりも「風評被害」に類するという見解によるバッシングも受けずに済んだかも知れません。  


2011年08月13日

お墓参り

お盆になりました。最近はお盆休みに海外に行く人も大変多いようですが、お盆休み本来の意味が忘れ去られてしまっていますね。

神道とお盆は関係が無い様に思われがちですが、全く無縁という訳ではありません。
祖先崇拝という考えは神道においても非常に重要なことであり、従ってこの時期に勿論墓参りに行きます。
私のご先祖様は神式で祀られていますが、やはりお盆にはちゃんと榊をお供えしてお参りをするのです。

Yahoo!ニュースに「墓参りって何のためにするの?」というのが流れていました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110812-00000007-rnijugo-ent

ここに記されている方々のご意見についていちいち触れるのはやめておきますが、気になったのは最後に記されている「その道のプロ」とされる方のコメント。

「一般的な回答としては、ご先祖様に結婚や出産などの家族の出来事を報告するためとか、亡くなった方のご冥福を祈るためであるとか言われています。(中略)それ以上に大切なことがあると考えています。それは、お墓参りをすることによって、冷静に自分自身を見つめなおすことができるということです」(お墓参り代行サービス)


"お墓参りをすることによって、冷静に自分自身を見つめなおすことができる" ことが大切だと考えるなら "代行" ではダメですね。
「お墓参り代行サービス」としては、完全に自己矛盾をしたコメントで笑ってしまいました。  


Posted by 木霊 at 10:30Comments(0)伝統・文化

2011年08月09日

紀土(KID)

昨晩呑んだお酒がこれ。

写真写りが悪いですが、「紀土(KID)」という和歌山のお酒です。
実は今までこの銘柄知りませんでした。
純米と純米吟醸があったのですが、飲んだのは純米。なかなかすっきりした味わいでした。
  


Posted by 木霊 at 06:58Comments(0)お酒

2011年08月08日

七夕の短冊

仙台七夕まつりは今日までですね。期間中に震度5強以上の地震が発生したら行事を中止するとして開催に踏み切ったようですが、無事に終わりそうで何よりです。

昨日は京都五山の送り火について、被災した陸前高田の松を燃やすことについて書きました。
私が一番言いたかったのは、この薪にメッセージを記した人たちの気持ちを無にしないようによく打ち合わせをして進めて欲しかったということです。

これと似たようなことが最近、神社に寄せられます。
七夕飾りの短冊の処分についてです。
7月下旬や8月に入って神社で処分して欲しいと七夕の笹飾りを持って来られる方が最近多く見られます。
当神社でも七夕飾りを拝殿前に出して、参拝者が短冊に願い事を記してゆけるようにしていますが、他所の七夕飾りの処分についてはお断りしています。

そもそも七夕飾りは、その時期を終えると川に流すのが昔の慣わしでした。別に神社やお寺に頼むでなく、各過程で処分をしていたものです。今は河川法などの関係で難しくなり焼納するところが多くなっているかと思いますが・・・。こういった過去の慣習のあるものですので、当神社ではお断りしています。
笹飾りを持って来られる方は揃って「みんなの願い事が書かれたものだから・・・」と仰いますが、それなら何故あとの処理のことも考えずに皆からの願いなどを受け付けたのでしょう?結果としてみなさんの思いを踏みにじることになってしまいます。

「そんなに言うのなら七夕飾りを受け取ってあげればよいではないか」というご意見もあるかと思いますが、当神社では七夕飾り焼納に関して神事を執り行いますから、その後に持ってこられても神社としても困ってしまうのです。  


2011年08月07日

五山の送り火

京都の夏の風物詩「五山の送り火」。
今年は東日本大震災があったため、被災した陸前高田の松にメッセージを記した薪を燃やす計画だったのが放射能汚染を心配する声により中止になったとか。
http://www.asahi.com/national/​update/0806/OSK201108060131.ht​ml

少し神経質になりすぎな気もします。「万が一」と思う気持ちは勿論分かりますが・・・。
実施する側も、本当に放射能汚染の心配がないならしっかりとPR​して実行すべきだと思うし、もし不安があるなら正直にそれを伝え​て中止すれば良い。放射能汚染の心配はないといいながら実施しな​いのはとても中途半端。せめてもの救いは、これらの文言を全て書​き写した新たな薪を燃やすことか・・・。それでも書いた人たちの​気持ちは半減してしまう。
  

2011年08月06日

木の俣くぐり復活!

割拝殿工事のため、長らく体験できなかった 「木の俣くぐり」 が復活しました。




『因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)』神話の主人公、大国主命はその後命を狙われ、紀伊国に逃げてきます。
命を狙う八十神から逃がし災難から救ったのが大屋毘古神(=五十猛命)で、その方法が木の股をくぐりぬけさせたと『古事記』に記されています。
この神話にちなみ、御神木だったこの杉の木の俣をくぐると厄難除けになると伝えられているものです。  


2011年08月05日

電車が遅れて・・・。

会合で大阪まで出てきた帰り。21時30分過ぎに阪和線に乗ったのに、まだ和歌山に到着しない・・・。一体何時につくのやら・・・。  


2011年08月04日

秋ナスは・・・

夏野菜の美味しい時期ですね。焼きナスなんかもとても良いです。

ところで「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉があります。
その意味については3つほど解釈があるようです。
 1)美味しい秋ナスを嫁に食べさせるのはもったいない
 2)秋ナスは体を冷やすから大切な嫁に食べさせてはいけない
 3)秋ナスは種が少ないので、子種ができなくなるから食べさせてはいけない

「一般的に1といわれるけど本当は2なんだ」という意見を良く聞きますがどうなんでしょう?


実は、良く似た言葉に「秋カマス嫁に食わすな」「秋サバ嫁に食わすな」「五月ワラビ嫁に食わすな」というのがあるそうです。いずれも「美味しい時期のものを嫁に食べさせない」という点で共通していますから、やはり1が正解なのでしょう。
2については、嫁に食べさせない姑の言い訳ではないかとの推測もあります。
3なら食べさせてはいけないのは嫁ではなく息子でしょうね(苦笑


ここからが本題ですが「コチの頭は嫁に食わせよ」という江戸時代のことわざがあるそうです。
コチという魚の頭は棘だらけで食べるところが少ないので「秋ナスは・・・」と同様に捉えられるそうですが、こちらは意味が違うとのこと。
コチの頭には最も美味しいといわれる頬肉があり「コチの頭には姑が知らない美味しい部分がある。一見つまらないものでも良く探せば捨てがたい価値がある」というたとえなのだそうです。  

Posted by 木霊 at 23:02Comments(0)伝統・文化

2011年08月03日

日本人と原子力発電

茅輪祭との関係でしばらく「つぶやき」をお休みしていましたが、片付けも概ね目処がついたので再開したいと思います。

東日本大震災の影響で発生した福島第1原子力発電所の事故。この事故を受けて今後の電力供給のあり方が議論されています。現代社会において電気のない生活は考えられないので必要であることは間違いありませんが、原子力発電所が今後も必要かどうかについては、大きく議論が分かれるところです。

私としては、なるべく近い将来、原子力に頼る発電方法から脱却する必要があると感じているところです。
勿論、いま現在の生活というものがありますから、即座に原発を停止させることに賛成するものではありません。

折りしも、7月25日付『神社新報』に宮城県神社庁の参事さんが記した「震災が齎した教訓」という記事がありましたので、一部抜粋して紹介したいと思います。

 福島原発の原子力事故が起きたことで天災や人災などというようは範疇を超える近代文明そのものが齎した災害になってしまったと思えてならない。その近代文明とは、人間の利益のために科学技術によって自然界を支配し、物質的欲望の追及を目指した文明のことであり、その象徴こそが原発ということになる。自前のエネルギー確保を大義名分として、自然界にほとんど存在しないプルトニウムという猛毒の物質まで発電に利用し、生み出された電力で豊かなくらしを享受しようとしてきた。そして今、その原発がかくも甚大な災難を齎しているのである。
 日本人はもともと自然の恩恵を感じながら同時に自然に対する人間の無力さを心得、感謝と畏敬の念を抱きながら、自然の中の一員として生きてきたのだが、文明の進歩、近代化が進むにつれ、人と自然との関係は次第に薄れて歪んだものとなってしまった。
(以上、原文歴史的仮名遣い)


正に、神道的見地からすると「脱原発」を進めるべきという文章だと思いますが、いかがでしょう?