2021年10月25日

李下に冠を正さず (七五三詣の写真撮影)

10月も下旬になりました。巷では七五三詣が始まっていますね。
七五三の祝い日は11月15日とされていますが、七五三に関する問い合わせは年々早くなり、最近では6月頃には問い合わせが来たりします。
問い合わせだけでなく、参拝日も10月とか9月を希望される方も増えていますね。
伊太祁曽神社では、9月や10月でもお詣り自体はお受けしていますが、千歳飴などのお土産は10月末の土日まで準備をしていません。
(令和3年は10月23日より準備を整えてお待ちしております)

写真館や貸衣装の予約に早期割引があったりすることや、11月15日やその近辺の土日は混雑が予想されるというのが、年々早くなってゆく理由ではないかと想像しています。

今回は、七五三詣での写真撮影について記しておきたいと思います。
七五三詣の意味や注意事項などについては別のところに記載しましたのでそちらを参考にしていただければと思います。
七五三詣のあれこれ」(伊太祁曽神社公式)

まず、タイトルを 「李下に冠を正さず」 としましたがこの意味をご存知ですか?
李下に冠を正さず (りかに かんむりを たださず)
「李(すもも)の木の下で、手を上げて冠をかぶり直すようなことはしない」という意味です。
これはスモモを盗んでいるのではないかと勘違いされないための用心です。
同義の故事に 「瓜田に履を納れず(かでんに くつをいれず)」というのがあります。
ウリ畑でかがみ込んで履物を履き直すような行為は、ウリを盗んでいるのではないかという疑念を抱かれるということです。
要は、疑いを招くような紛らわしいことはしないほうが良いという戒めの故事成語ですね。

この故事成語と七五三詣での写真撮影がどう関係するのかということですが・・・。

七五三は子供の成長を祝い 「髪置き」 や 「袴着」 「帯解き」 などといった成長儀礼を行うものです。
そして、その無事な成長を氏神様などに感謝し参拝することを、七五三詣と呼んでいます。

参拝に際しては、神社によっては写真撮影ができない場所がある場合があります。
大抵、撮影禁止の場所にはその旨がわかるように案内が出されているので気付くかと思います。
神社によっては口頭で説明を行うところもあります。

いずれにしても、撮影禁止の場所や場面では、お持ちのカメラの電源を切り、できればレンズキャップをしましょう。
レンズがむき出しであったり、更には電源が入っていたりすると、もしかして撮影禁止だけど撮影するのかも知れないと思われるかも知れません。

祈願中の写真撮影に対する対応は神社によって様々ですが、少なくとも祝詞奏上中の撮影は禁止にしている神社がほとんどだと思います。
また、多くの神社では神域内での撮影は禁止にしていることが多いと思います。
子供の晴れの場であり、めったに入ることのない区域なので写真撮影して記録に残しておきたいという親心はわかりますが、祈願中に行うべきことは 「子供の成長を感謝し、さらなる成長を願うこと」 です。
その気持よりも写真撮影を優先することは御神前で行うことではないですね。

お子さんの成長を感謝し、さらなる成長をお守り頂くためにも、「李下に冠を正さず」 「カメラのレンズにはキャップを、そして電源は切りに」 をお願いいたします。
  


2021年07月23日

金幣社、銀幣社、白幣社

昨日、某旅行業者から
「御社は金幣社ですか?」
とお問い合わせがありました。

「岐阜の会社ですか?」
と問い返したらビックリしていましたw

実は、金幣社(きんぺいしゃ)というのは岐阜県だけにしか存在しません。
そして金幣社と同様に、銀幣社(ぎんぺいしゃ)、白幣社(はくへいしゃ)という神社も岐阜県だけに存在ます。
岐阜県以外には存在しませんから ”金幣社ですか?" というお問い合わせがあれば、岐阜県出身の方の可能性が極めて高いということになります。

古来、神社にはお祭りに際して、誰が(どこが)お供えをするのかということで区分がなされてきました。

古くは 『延喜式』 にその記載があります。
延喜式の巻9・10の 神名帳(じんみょうちょう)は、祈年祭に際して奉幣する神社の一覧です。
この中には官幣社と国幣社の別があり、官幣社には神祇官(中央組織)が、国幣社には国司(地方組織)が幣帛を供進することになっています。
更にそれぞれに大社と小社が存在したりしまが、詳しい説明は今回省きます。

明治になると延喜式に倣って新たに官幣社と国幣社が定められ、さらに府県社、郷社、村社、無格社が定められました。
官幣社には皇室(宮内省)から、国幣社には国家(国庫)から幣帛が供進されたそうです。
官幣社、国幣社にはそれぞれ大社、中社、小社の区別もありました。また官幣社と国幣社をあわせて官社と呼び、それに対して諸社(民社)と更に諸社にも分類されない無格社と分けられました。
諸社には府県社、郷社、村社の別があり、それぞれに都道府県庁、府県または市、村から幣帛が供進されたようです。


こうした社格は、日本が大東亜戦争に負け、進駐軍がやってくると廃止させられます。
近代社格制度の廃止により、祭典に公からの幣帛供進が行われなくなりました。
岐阜県ではこれに変わる仕組みとして、岐阜県神社庁より献幣使参向の神社を定め、更にその献幣使を誰が行うかによって区分したのが、件の金幣社、銀幣社という仕組みです。

岐阜県神社庁では次のようになっているようです。
金幣社・・・岐阜県神社庁長が参向して金幣を奉る神社
銀幣社・・・岐阜県神社庁支部長が参向して銀幣を奉る神社
白幣社・・・岐阜県神社庁部会長が参向して白幣を奉る神社
この金銀白という区分は、お祀りされている神様の御神徳(一般にいうところの御利益)とかそういったこととは関係がありません。
  


Posted by 木霊 at 13:27Comments(0)伝統・文化

2021年02月19日

六曜と七曜

結婚式やお宮詣りの日取りを決めるとき 「大安」 を選んだり 「仏滅」 と避けたりする方は居ると思います。
この 「大安」 とか 「仏滅」 といった 暦注(れきちゅう)を 「六曜」 と言います。

「六曜」 は現代では ”ろくよう” と読むことが一般的ですが、かつては ”りくよう” と読むのが一般的だったようで、他にも 「六輝(ろっき)」 などと呼んだ時代もあります。
今日では吉凶を示す中暦として一般的に知られていますが、江戸時代に出版された民間暦や暦注書にはほぼ記されていないことから当時の人達には関心が無かったと考えられています。

神社への参拝でも、お祝い事(結婚式やお宮詣り)などでは 「大安」 の方が良いですよね?とか、厄除け祓いや八方除けには 「仏滅」 は避けたほうが良いですか?といった問い合わせがしばしばあります。
しかし当社では、「お参りに来られる方が気にされないのであれば関係ないですよ」 とお答えしています。

これは、江戸時代の人々がそうであったように、元々六曜には吉凶を示す意味はなかったからです。
むしろ現代の曜日と同じ様な感覚であったといいます。
とはいえ、明治に入り新暦(太陽暦)が採用されると、次第に六曜は吉凶を表すとして人気を高めてゆきます。
そして吉凶を示すものとして広く定着していきました。
この様な歴史がありますから、六曜に吉凶を感じる人を否定するものではありません。
ただ、神社としては六曜を元に吉凶を示すいわれはありませんから、その様にお答えしているだけです。

とはいえ、六曜の吉凶を気にされる方が多いのも事実ですから、下記に六曜の一般的な吉凶を記しておきます。  続きを読む


2020年06月04日

命日を間違える・・・

普通は命日を間違えるなんてことは、滅多にないと思います。
それも個人的な記憶違いというレベルではなく、公的な人物の命日にちなみ公的な行事を行う場合において・・・。

最近、暦についていろいろと学ぶ機会が多いのですが、調べ物をしていたらこんな記事を見つけました。
いまから8年近くも前の古い記事ですが・・・(汗

聖武天皇の命日、1日間違えた 宮内庁
2012/9/26付

東大寺(奈良市)の大仏を造営した聖武天皇(701~756年)と、鎌倉時代の後嵯峨天皇(1220~1272年)の命日を1日ずつ間違えていました――。こんな調査結果を宮内庁が26日までにまとめ、「書陵部紀要」に掲載した。

明治政府が1873年に従来の太陰太陽暦を太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替えた「明治の改暦」で、命日の新暦換算を誤ったのが原因。約140年間、命日を間違えたまま祭祀(さいし)を行い、庁内資料にも記載していた。対外的に影響はなく、今春から正しい日に直した。

福尾正彦陵墓調査官によると、聖武天皇の業績を調べるうち、命日の「天平勝宝8年5月2日」は太陽暦で「756年6月8日」に当たるのに、同庁の資料には1日早い「756年6月7日」と間違って記載しているのに気付いた。歴代天皇の命日を再計算したところ、後嵯峨天皇の「文永9年2月17日」も、1日遅い「1272年3月25日」となっていた。

換算過程を示す記録はなかったが、1880年に内務省が発行した旧暦と新暦の対照表「三正綜覧」で計算したところ、やはり1日ずつずれた。「三正綜覧には天平勝宝8年4月が小の月(29日)、同年5月は大の月(30日)とあるが、実際は逆で、聖武天皇の命日が1日ずれる。三正綜覧の基になった改暦当時の対照表に間違いがあり、そのまま引き継がれたのだろう。新暦と旧暦の換算は難解で、むしろ計算機がない時代に2つしか誤りがないことに驚いた」と福尾調査官。

毎年、観光客でにぎわう東大寺の命日法要「聖武天皇祭」は毎年5月2日に行われている。〔共同〕

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2600B_W2A920C1CR0000/


古い記事なので、例によって削除されてしまった場合の予防に転載しておきました

旧暦から新暦への移行の中、こういう例は他にもあるのかもしれませんね。

歴史的人物の誕生日や命日はおそらく旧暦のままでしょうから、映像化するときにはその季節感は今とは異なる演出が必要ですね。  

Posted by 木霊 at 11:22Comments(0)伝統・文化

2020年03月10日

御朱印帳の取り扱い

平成から令和に御代替わりの時、多くの神社では御朱印を求める参拝者で溢れかえっていました。
わずか1年足らず前の出来事です。

その少し前から御朱印ブームというのは始めっていたが、御代替わりを境に尚一層著しくなった気がします。
御朱印を神社仏閣から頂いてきてインターネットオークションなどで転売する輩が顕著になったのもこの頃でしょうか。

御朱印の受け方や御朱印帳の扱い方等については、様々なところでいろいろと記されているのでそちらに譲るとして、今回話題にしたいのは持ち主がいなくなった御朱印帳の扱いについてです。

まずは 『神社新報』 の以下の記事をご覧ください。
(画像の下に一部抜粋してテキスト化しています)


神社新報
《 抜 粋 》
(前略)
御朱印は本来納経といって、社寺参拝の折に般若心経一巻を書写奉納した証のものであったのだから、せめて大祓詞一巻の書写奉納を義務付けるほどの信仰心が必要なのだらうが、その声は聞こえてこない。
だが流行はいつか廃れるし、熱心に社寺を巡拝して御朱印を集めた人も年をとる。さう考へるとこの流行が醒めた、今後ある時に大量に御朱印帳が処分される時期が来るといふことである。故人の意を汲んで社寺に納めてお焚上げにするならいいが、これが古紙として回収されることはいかがであらうか。御朱印は神札と同様のものとの考へもある。
流行が去り、所有者が亡くなったら、それは過去の旅の記憶に過ぎず、本人以外には無用のものとならう。そしていつか平成から令和に及ぶこの時期の御朱印が大量に古道具屋に出廻ったり、廃棄される時が来るのである。
(中略)御朱印帳は神仏の参拝の証であり、単なる名所巡りのスタンプ帳とは違って、粗末に扱ふものではないといふこと。また所有者の歿後も、その神聖性を保持し、処分にあたってはせめてお焚上げをするべきであるとの二点をぜひとも啓発せねばならない時期になってはゐまいかと思ふのである。

御朱印を集めて回る人たちの中には、一部不心得者がおり、その少数派の方々の行動が原因となって一部の神社では朱印を書くことを取りやめたり、朱印帳の扱いについて独自の規則を設けているところがあります。(中には神社の独自規則が行き過ぎているように見受けられる場合もあるが・・・)

そういった不逞の輩については今回は触れず、大多数のちゃんと神社仏閣を参拝して御朱印を集めて回っている方々の朱印帳についてのお話です。

御本人は信仰心を持ち、敬虔なものとして御朱印帳を扱っていたとしても、御本人が亡くなった後、果たしてその御朱印帳はどの様な扱いをされるのだろうかというのが、この投稿に記されたところです。

これまで、御神札やお守りについては、故人が祀っていた、所有していたものについて、その扱いが記されているものもありました。
改めて記すならば、

授かった神社や仏閣に出向いてこれまで護っていただいた御礼の参拝をして、その神社仏閣に御神札やお守りを返却する。
遠方などで上記が行えない場合は、やむを得ず近くの神社仏閣に持参してお焚上げを依頼する。(神社のものは神社へ、お寺のものはお寺へ)
また、故人が病に臥せっていた場合で、家族親族や友人が病気平癒の祈願などを行っていた場合は、当該神社仏閣に詣でて帰幽(亡くなったこと)奉告を行うこと。

ということです。

近年までこれほどまでの御朱印ブームはありませんでしたから、御朱印帳についてこの様な記述はなかったのだと思います。
また、仮にそこまで書かれていなくても、故人の思いを汲み取って、ご遺族は然るべき処置をするだろうという憶測もあったと思います。

もし、身の回りで御朱印帳の遺品が出てくることがありましたら、然るべくよろしくお願いいたします。

勿論、神社仏閣に持参してお焚上げをするだけが方法ではありません。
その朱印帳を引き継いて、各地の神社仏閣の御朱印を集める(特に全国一の宮朱印帳などの類)のも1つの方法ですし、故人の思いが詰まったものとして末永く保管しておくのも1つの方法です。

1つだけ願うとすれば、ゴミとして処分することだけは夢々なさりませんように・・・。

  


2020年03月03日

新型コロナウィルスの蔓延と神社の祭礼


今、巷では新型コロナウィルスの対策と感染状況が大きな関心事になっています。

当初 「新型ウィルス」 で良いのではないか、と思っていましたが、少し前に猛威を奮ったSARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)とかMARS(マーズ:中東呼吸器症候群)も 「コロナウィルス」 によるものなので、今回のものが 「新型コロナウィルス」 と呼ばれるのだそうです。

さて、この新型コロナウィルスについてはまだまだ未解明なことが多いためその感染が広がっていますが、最近の情報では空気感染力は極めて弱く、飛沫感染や接触感染で広まっていると云われています。
また感染していても発症していない、いわゆる潜伏期間であっても感染力があり、咳やクシャミなどで拡散したり、その際の粘液がモノを媒介して感染するようです。
そのため、うがい・手洗いといった方策が有効だと云われています。

モノを媒介してウィルス感染する危険性があるということで、公共交通機関の手すりやつり革、スポーツジムの機器や、バイキング形式のレストランでのトングなどに気をつけたほうが良いという情報も流れています。
神社でも不特定多数の参拝者が使用する手水やその柄杓、また拝殿前の鈴を撤去するところもあるようです。

伊太祁曽神社には拝殿に鈴は掛かっておりませんので、特にその面における心配はありません。
また手水に関しては今の所、柄杓の撤去や水を止めるということも行っておりません。
手水に使用する水は常に手水鉢から溢れるように流しており、また多くの方が使用する柄杓につきましても、正しい作法でお使いいただけば問題ないと考えております。
確かに様々な危険性を考慮して柄杓を撤するという方法もあるとは思いますが、ここは正しい作法を再確認することで 柄杓経路による感染防止 としたいと思っております。

改めて手水の際の柄杓の使い方について要点を記しておくならば
・柄杓に直接口をつけて口を清めない
・使用したあとは持ち手を水で流して清める
この2点です。つまり接触感染が原因ではありますが、不必要に柄杓に触れないのが作法であり、また接触した部分については最後に使用者が清めるのが作法なのです。
アルコール除菌に比べれば、流水で清めることには不足があるかもしれませんが、そこを細かく言うならばおよそ一切の外出を禁止するのに等しいことだと思います。

さて、話が横道にそれましたが、3月に入り神社では 春祭り が行われるところも多くあります。
全ての春祭りがそうであるとは言いませんが、いつくかの神社で行われる春祭りは 「鎮花祭(ちんかさい:はなしずめのまつり)」 に由来するところもあると思います。
鎮花祭については平安時代の法令集である 「大宝令」 にも記されており、春の花びらが散るときに疫神が流行病を引き起こすために、それを鎮める祭りとされています。
「まつり」 というと多くの人が集まりますので、昨今の状況を鑑みると 「今年の祭礼は中止」 とするところもあるかもしれませんし、また 「例年通り斎行」 となれば 「なぜ行うのだ」 と批判的な意見も出てくるかもしれません。
確かに新型コロナウィルスの感染状況を考えると多くの人が集まる行事は避けるべしなのかもしれませんが、祭祀の本質に 「疫病退散」 がある場合にはむしろ積極的に祭礼を行うべしと思います。
勿論、感染拡大を防ぐために十分な注意が必要であり、場合によっては人の集まる所謂 「神賑行事」 は中止するべしとは思いますが、祭祀自体を中止することはその主旨に反すると考えます。

また春祭りではありませんが、有名な京都の八坂神社の祇園祭は、まさに疫病退散を目的として始まったお祭りです。


神社の祭礼は単なるイベントではありません。祈りの場として、感謝の場として行われるものです。
その神社の祭礼がどの様な由来があるのか、この機会に見直してみてはいかがでしょうか?
  


2019年10月23日

即位の礼

朝日新聞デジタルの記事です。
私としては非常に違和感のある記事なので貼っておきます。

尚、この記事は有料会員限定記事なので、無料配信部分のみ貼っています。
また、大文字はメール配信されてきた時のタイトル。記事のタイトルは太字(リンク付き)の様になっています。


前例踏襲「政府の怠慢が生んだ」 あす即位礼正殿の儀
神器、首相の万歳…前例を次々踏襲 あす即位礼正殿の儀(2019年10月21日07時00分)
 天皇陛下が内外に即位を宣言する国の行事「即位礼正殿の儀」が22日に行われる。平成の代替わり時、宗教色を指摘される高御座(たかみくら)や剣璽(けんじ)が使われることが、憲法が定める国民主権や政教分離の原則に反するなどと議論になったが、今回、政府は早々に「前例」踏襲を決めた。だが、そもそも「前例」とはどういうものなのか。残された課題や問題点を整理した。
 「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」。皇室の決まりを定めた皇室典範には、こう記されているだけだ。儀式の細目を定めた旧登極令が戦後廃止され、それに代わる規定がなかったため、昭和から平成への代替わり時は同令にならった。
 だが、この規定は天皇主権国家となった明治末期につくられた。高御座に置かれる剣と璽(じ)は、鏡も合わせて「三種の神器」と呼ばれ、日本書紀や古事記の天孫降臨の神話に結びついている。戦前の旧典範には皇位継承の際に「神器を承く」と明記されていたが、宗教色があるとして戦後の典範からは削除された。高御座も、天孫降臨の神話を具象化したものと言われる。
 天皇主権下の規定をもとに、前回、初めて新憲法下での即位礼正殿の儀(1990年11月)の細目が検討された。そこには、憲法への抵触を避けるために様々な苦心の跡がみられた。



「即位の礼」と天皇制
ふわりと進んだ代替わり、消費される天皇制 議論は?(2019年10月22日05時00分)
 今日から即位の関連行事が続く。平成の代替わりでは政教分離が大きな問題になった。この30年で皇室への国民の視線は変わったか。女性天皇や女性宮家の議論は忘れられていないか。
 平成時代を通じた皇室に対する国民のまなざしの変化には、大きく二つの側面があります。まず、天皇制の機能的側面があまり問われなくなったこと。二つ目はまなざしが感情的な側面に集まるようになったことです。
 平成の代替わりでは、天皇制の是非そのものを問う議論が盛んに行われました。当時はまだ天皇の戦争責任問題が影を落としていたことや、冷戦下で日本社会にも様々なイデオロギーの対立が明確だったことが大きいでしょう。



平成と違った正殿の儀
とばり開き陛下が…平成と違う正殿の儀「神秘化」懸念も(2019年10月22日20時48分)
 22日に行われた「即位礼正殿(せいでん)の儀」は、参列者への配慮が一部加わったものの、平成の前例をほぼ踏襲した。政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る。一方、同日夜に始まった祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」では、皇族方の負担を減らすため、前例が見直された。
 午後1時過ぎ、皇居・宮殿の正殿・松の間。天皇陛下が即位を宣言する「おことば」を述べると、安倍晋三首相が「寿詞(よごと)」を返した。首相が「ご即位を祝し、天皇陛下万歳」と発声し、衆参両院議長らが唱和すると、陸上自衛隊による祝砲21発が鳴り響いた。
 この間、陛下は玉座の「高御座(たかみくら)」に立ち、主権者の国民を代表する首相らは約1・3メートル低い松の間の床から陛下を仰ぎ見た。
 儀式は、憲法の定める天皇の国事行為として行われた。ところが高御座やその中に安置された剣と璽(じ)(まが玉)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、孫のニニギノミコトが日向国(ひゅうがのくに)に降り立ったという「天孫降臨」神話に根ざすとされる。政府は現行憲法下で初の代替わりとなった平成の前回、高御座を「皇位と密接に結びついた古式ゆかしい調度品」と位置づけるなどして、政教分離に反しないと整理した。
 当時の海部俊樹首相も憲法との整合性にこだわった。宮内庁は1928年の昭和天皇の時の例にならい、皇族と同じ束帯を着て中庭(ちゅうてい)で控えるよう求めたが、海部氏は拒んだ。海部氏は「各国の大統領らが臨席する中、日本が戦前と違う国民主権の民主主義国家であることを示そうと努力した」と回顧している。
  

Posted by 木霊 at 09:32Comments(0)伝統・文化

2019年02月05日

「即位の礼・大嘗祭」斎行差し止め請求訴訟

昨年12月に東京地方裁判所に提訴された、件の訴訟の主張は「納税者基本権」を軸にしていると、ある記事で読みました。

「納税者基本権」とは「納税者は自己の納付した租税が憲法の法規範原則にしたがってのみ納税義務を負うという主観的な利益あるいは権利を有する」という考えだそうです。

そんな視点から反対できるのであれば、納得できない国の支出に関する分の税金を払わなくて良いという理屈が成り立ってしまうのではなかろうかと、思ってしまいます。

当然のことながら、反論としては「納税者個人の意思と税金の使途は分けられるべき」ということが挙げられており、私もそう思います。

今年5月の御代替わり、そして秋の即位の礼と大嘗祭と進む中で、様々な意見が出てくるでしょうし、これらを止めさせようという動きもたくさん出てくると思います。
しかし、我が国の長い歴史と伝統の中で継承されてきた行事について、その意義と続けられてきた理由について今一度見つめ直し、考え直して、時代にあった、そして伝統の継承をなくさない方策を、政府や国会議員任せではなく、我々国民一人ひとりがしっかりと意識しなくてはならないと思います。  

2019年01月23日

葬式鉄

年が明けて、もう間もなく1ヶ月が過ぎようとしています。月日の流れるのは本当早いと感じます。
例年ですとテレビなどでも 「今年も、もう1ヶ月が過ぎました」 などと言うのでしょうが、今年はちょっと様子が違いますね。
「平成の最後まであと3ヶ月となりました」 こんな表現が増えてきたように思います。
とにかくどこを見ても聞いても 「平成最後の・・・」 ばかり。ちょっと辟易しています。

ところで、知る人ぞ知る (というほど隠してもいませんが) 私は小さいときからの鉄道ファンです。
一口に 「鉄道ファン」 といってもいろいろなジャンルがあるんですね。
撮り鉄、乗り鉄、音鉄、模型鉄・・・。最近はママ鉄なんて呼び方もあるようで。
順番に、写真に撮ることが好きな人、実際に乗るのが好きな人、走行音などを録音するのが好きな人、模型で遊んだり精密化にこだわるのが好きな人。最後のは趣味の方向性ではなく、子供を持つ母親で鉄道が好きな人を指すようです。

そんな鉄道ファンのジャンル(?)の中に 「葬式鉄」 というのがあります。
廃線が決まった路線などへ訪れて、写真を撮ったり、録音したり、乗ったり、記念品(普通のきっぷなども含む)を購入したりする人たちのことです。”廃線が決まると” というのがミソなんですね。
私も少なからず 「葬式鉄」 的な活動をしない訳ではありませんが、これが行き過ぎると結構な騒動になったりするんですよね。
報道でもその加熱した様子を批判的に報じることがあります。勿論、危険であったり、常識はずれな行動をする人がいるので批判的報道になるのは仕方がないのですが・・・。

こんな話を持ち出したのは、ここしばらくのマスメディアによる 「平成最後の・・・」 というやり取りが、葬式鉄的に見えてきたからです。
確かに平成という元号は4月末を以ておしまいになりますが、5月1日には新帝が即位され新しい時代が始まります。
葬式鉄が群がる 「廃線」 は翌日から列車が走らなくなり、不便になることが多く、喜ばしいことではありませんが、今回の御譲位による御代替わりは国忌を伴わない御代替わりであり、お祝い一色で新帝の践祚(即位)をお祝いできることなんです。

ノスタルジー的に 「平成も最後」 という気持ちもわかりますが、新しい時代を迎えるという機運をもっと高めていただけないものかと思うのです。


ちなみに、元号については 「国民生活を鑑みて」 1ヶ月前に発表するそうですが、私はこれには反対です。
どのみち諒闇践祚(崩御による御代替わり)であれば、突然何の前触れもなく元号が変わってゆくわけです。
なぜ、殊さらに、前例のない 元号の前倒し発表などをしなくてはならないのでしょうか?

先日ガソリンスタンドでこんな記載を見つけました。
平成33年



そうです、平成33年なんです。
いいじゃないですか、今現在は 「平成31年5月1日は云々」 と記しても。
そう記してあるということは、平成の世に記されたものであるという確固たる証拠です。

くれぐれも 「平成最後」 が加熱しすぎないことを願います。  


2018年11月24日

「即位」と「在位」

明年は歴史的御代替わりが行われる予定です。
明年5月1日に皇太子殿下が「即位」されるという報道をよく見かけますが、正確には「践祚(せんそ)」されるのです。
尤も、現行の日本国憲法皇室典範では「践祚」と「即位」の区別がなくなり、共に「即位」という表現にされているから誤りとは言い難いのですが、そうすると「践祚の意味の即位」と「元々の意味の即位」が混同されてしまいます。

旧皇室典範
第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク

(現)皇室典範
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する。


「即位と践祚」については前に触れた記事もありますので、今回はこれ以上触れません。
http://itakiso.ikora.tv/e1365101.html

さて、今年は明治維新150年という節目でもあります。
明治天皇が即位されて、元号が「明治」と改められて150年なのですが、「即位」と「在位」について書かれた記事がありましたので、転載しておきたいと思います。

平成30年11月19日付け神社新報(第3424号)の記事です。

「即位」と「在位」
植戸 万典

 慶応4年の明治改元から150年を経た。御一新にあたり明治大帝は、諸事神武創業の始に原かんとの御沙汰を発し、新体制を樹立される。本紙でも年初から諸々連載されてきたとほり、今年は神社界にとっても重要な節目の年であった。
 大政奉還を受け、「神武創業の始」を顧みる王政復古の大号令が発布されたのは慶応3年、今から151年前。抑々「明治維新」とは、学説により始点も終点もまちまちだが、概ね明治初年ごろの十数年といふ「期間」におこなはれた改革を指す。今年はその中核たる五箇条の御誓文や改元を「基点」とした150周年、といふことだったのであらう。
 基点と期間の違ひといへば、先日面識を得たとある若い行政筋の人物にこんなことを問はれた。陛下は来年「即位」30年なのか、「在位」30年なのか、と。彼の人曰く、内閣や財務省は「在位」を使ってゐるが、宮内庁や神社界は「即位」であり、意図的なものを感じるとのこと。
 受け売りと個人的理解だが、その人にはおほよそかう答へた。「即位」は皇位に即くといふ「基点」の行為で、「在位」は皇位に在るといふ状態の「期間」、「在位」も誤りでないが御歴代それぞれの在位年数を指すものでもあり、今後も続けて皇位におはす期間未定の陛下の御代をお祝ひする表現としては、期間を限定しない「基点」をより望ましく神社界は考へたのであらう、と。説明はもう少し嚙み砕いたが、納得してもらへたやうだった。
 さて、そこでその人とさらに話が及んだのは、これをどう訳すか。「即位」の訳でよく目にするのは「enthrone」。しかしこれには若干の難も感じる。「throne」は「玉座」や「王位」の意味を持ち、これに「~にする」といふ使役の意を作る接頭辞「en-」を付けたのがこの単語だ。厳密には「即位させる」が訳語になる。英王国の場合は、突き詰めれば神の威光により即位させられるもの。しかし本邦の天皇は、何者かが「即位させる」のだらうか。
 また「在位」の訳も難しいが、「君臨」を意味する「reign」が恐らく無難だ。現代の天皇像には些か語感が強いが、統治時代を意味する単語でもあり、期間を含意する「在位」にもあてはまる。
 政府はこれまでの御在位記念式典では「在位」の訳として「Accession to the Throne」が用ゐられてきた。直訳すれば「玉座の継承」。寧ろ「即位」に近い。正確な対訳に拘泥しない柔軟性は見習ひたいものだ。
 来年は今年以上に歴史的な年とならう。斯かる折を、杜に想ふ「基点」とできたことは一学徒として望外の幸ひである。もっとも、重要なのはこれを「期間」とできるか。精々己を尽くしたい。
(一部、漢数字は算用数字に改めています。また神社新報は歴史的仮名遣いで書かれた新聞です。)

践祚 と 即位 の区別と同様に、即位 と在位 についてもきちっと使い分けたいものです。

◆追記◆
端的にまとめると・・・
まだ天皇の御位にある場合は「即位◯◯年」というのが適切で、
すでに天皇の御位を退かれて、その年数が確定している場合は「在位◯◯年」というのが良いということです。

「在位◯◯年」という表現は、ちょっと大げさに言うならば「享年◯◯歳」というイメージでしょうかね。