2014年05月28日
独立回復後間もない時期の竹島に関する新聞記事
手持ちの資料整理をしていたら別件で複写してきた新聞(昭和28年)に竹島に関する記事が載っていたので転載します。

領土標柱また消える |竹島|辻代議士らが調査
【米子発】内閣委員辻政信代議士、外務省川上事務官、第八管区海上保安本部古森公安課長らは問題の竹島を調査のため■海上保安部巡視船”ながら”(二七〇トン)に乗って十七日午前零時ごろ鳥取県境港を出港、同正午ごろ竹島に三百メートルくらいの所まで接近したが、シケのため上陸できず、約一時間にわたって同島を海上から視察したのち、十八日午前五時すぎ境港に帰港した。辻代議士は「竹島問題も李ライン問題も完全に日本の敗北だ」と次のように語った。

領土標柱また消える |竹島|辻代議士らが調査
【米子発】内閣委員辻政信代議士、外務省川上事務官、第八管区海上保安本部古森公安課長らは問題の竹島を調査のため■海上保安部巡視船”ながら”(二七〇トン)に乗って十七日午前零時ごろ鳥取県境港を出港、同正午ごろ竹島に三百メートルくらいの所まで接近したが、シケのため上陸できず、約一時間にわたって同島を海上から視察したのち、十八日午前五時すぎ境港に帰港した。辻代議士は「竹島問題も李ライン問題も完全に日本の敗北だ」と次のように語った。
今回の現地視察は国会の代表としてであるが、竹島には人影はなかった。境海上保安部”へくら”が去る六日三度目に立てた日本領土標柱は抜き去られ、東島の頂上と中腹に板またはブリキで造られたと見られる韓国の旗が立てられていた。また西島には赤と白の測量用ポールが二本立てられたままになっており韓国側は最近大がかりな調査を行ったものと思われる。外交折衝をいくらやっても現地ではそう簡単には片付かない。結局力なくしては外交折衝もだめだということになる。現在の問題点は竹島の価値よりも日本が世界に自国領土であると宣言した竹島を韓国が実力をもって奪ったことだ。今後、海上防衛の重点を西日本とくに日本海岸におき、侵略を実力をもって防ぎ、日本を守らねばならない。早速国会に報告し日本国民に現状をうったえたい。
(昭和二十八年十月十八日朝日新聞)
2014年05月18日
日本酒2種
若手神職の会として、神道青年会という組織があります。各都道府県に会があり、そして各地区の会があり、さらに全国組織の会があります。
その近畿地区の会の役員会が滋賀県の当番で行われました。
平成26年度は近畿地区連絡協議会設立20周年という節目の年であり、また全国組織の神道青年全国協議会の研修会を近畿地区が主管で開催する年であり・・・といろいろと節目の大きな行事を抱える年度であり、そのため会議は長時間にわたりました。
そうそう、時期的に前年度の活動報告及び決算をまとめ、次年度の活動方針と予算を示す役員会でもありました。来月は総会も控えていますので・・・。
長時間の会議の後は懇親会。お店の御好意で2本ほど特別にお酒を御準備頂いたそうです。
このブログ、お酒 というカテゴリーを準備しつつもあまり更新していないのを思い出しまして(笑
飲んでいる機会は割とあるのですがね(爆
という訳で、先日頂いたお酒を2種類UPしておきます。
【初代源作】寒菊銘醸(千葉県)

【喜多屋】喜多屋(福岡県)

その近畿地区の会の役員会が滋賀県の当番で行われました。
平成26年度は近畿地区連絡協議会設立20周年という節目の年であり、また全国組織の神道青年全国協議会の研修会を近畿地区が主管で開催する年であり・・・といろいろと節目の大きな行事を抱える年度であり、そのため会議は長時間にわたりました。
そうそう、時期的に前年度の活動報告及び決算をまとめ、次年度の活動方針と予算を示す役員会でもありました。来月は総会も控えていますので・・・。
長時間の会議の後は懇親会。お店の御好意で2本ほど特別にお酒を御準備頂いたそうです。
このブログ、お酒 というカテゴリーを準備しつつもあまり更新していないのを思い出しまして(笑
飲んでいる機会は割とあるのですがね(爆
という訳で、先日頂いたお酒を2種類UPしておきます。
【初代源作】寒菊銘醸(千葉県)

【喜多屋】喜多屋(福岡県)

2014年05月08日
強制連行と創氏改名
強制連行というと、最近再びよく取り上げられる(そして事実無根の) 「従軍慰安婦の強制連行」 を思い浮かべる人も多いかと思いますが、これから紹介するのは朝鮮人労働者の強制連行です。
宮城県に鎮座する竹駒神社の社報に、皇學館大学の新田教授が寄稿されていた文章を転載します。
きちっと認識しておくことが大事だと思います。
宮城県に鎮座する竹駒神社の社報に、皇學館大学の新田教授が寄稿されていた文章を転載します。
朝鮮人労働者強制連行と「創氏改名」
皇學館大学現代日本社会学部 教授 新田 均歴史問題について韓国からの非難は相変わらずだ。論点はいくつもあるが、今回は二つの問題について記してみたい。
一つは「朝鮮人強制連行」なる問題で、戦前、朝鮮人を無理やり労働力として日本に連れてきたとの批判である。確かに国家総動員法に基づく国民徴用令が内地で施行されて以降、朝鮮人が内地へと労働動員された。その中身は昭和十四~十六年の「募集」、昭和十七~十九年九月の朝鮮総督府による「官斡旋」、それから昭和十九年九月~二十年三月末の「徴用」に分かれる。この内「強制」と言えるのは七ヵ月だけ行われた「徴用」だけだ。
この「徴用」以前に ”人さらい” 的な「強制連行」がなかったことは、東寺の日本が朝鮮からの密入国労働者に悩まされていた事実からも明らかだ。昭和十四年~十七年の間に、政府は一人当たり二円~三円の費用を使って一万九千人を朝鮮に強制送還している。自ら密入国してくる朝鮮人が多数いるのだから、わざわざ ”人狩り” などする必要はなかった。
一方、「徴用」は日本内地では昭和十四年から実施されていた。これを強制連行というなら、日本人は昭和十四年から六年間も強制連行されていたのに、朝鮮人は七ヵ月だけだったことになる。
そもそも、労働動員というのは、多数の日本人の若者を戦場へ送ってしまったために生じた労働力不足を補うための施策で、日本の若者が強制的に ”戦場” に連れていかれた時に、朝鮮の人々は日本の ”戦場” に連れてこられたにすぎない。どちらに対して過酷だったかは言うまでもないだろう。
もう一つの「創氏改名」は、朝鮮人の姓を無理やりに日本式に変えさせたという問題だが、これを理解するポイントは、韓国人の「姓」と日本人の「氏(苗字)」とは違うということだ。
朝鮮人の「姓」は男系の血筋を表す記号である。結婚しても自分の実の父親は代らないので姓はそのままで、夫婦別姓ということになる。他方、日本の「氏(苗字)」は家族という単位を表す名称なので、当然、夫婦になれば同氏(同苗字)となる。つまり「姓」と「氏(苗字)」は本来別物なのだ。
となると、日本式の「氏(苗字)」を新たに創ったからといって朝鮮人の「姓」を消す必要はなかった。「創氏」は、朝鮮人の「姓」を奪ったのではなく、別に新たに日本式の氏(苗字)を持たせるという政策だった。
しかも朝鮮総督府内で、朝鮮人に日本名を名乗らせると日本人と区別できなくなって困るという強い反対があり、南次郎総督が「創氏改名」は強制しない、警察も協力しなくてもよい、と明言している。さらに、道知事は十三人中五人が朝鮮人で、その内の二人は朝鮮名のままだった。このように、警察も協力しなければ、地方官僚のトップも朝鮮名を使い続けるという状況なので、朝鮮人から「姓を奪う」などということができるはずもなかった。
きちっと認識しておくことが大事だと思います。
Posted by 木霊 at
15:09
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