2018年06月14日

RADWIMPS と ゆず

先日、神道青年地区連絡協議会定例総会に出席してきました。
(あっ、正しくは神道青年近畿地区連絡協議会定例総会です。)

この会は、近畿地区2府4県の青年神職(概ね40歳以下)が集まって結成されている会で、年に数回の集まりがあります。
私は既に卒業していますが、長年近畿地区の役員に名を連ねていたので現在参与という肩書でご案内を戴いています。

さて、この会の冒頭、兵庫県神社庁泉庁長からご挨拶を頂きました。
その中で、RADWIMPS の HINOMAEU と ゆず の ガイコクジンノトモダチ の2曲の歌詞について紹介がありました。
ゆずの ガイコクジンノトモダチ は知っていましたが、RADWIMPSは、映画 「君の名は・・・」 の主題歌等に使われたバンドというだけで、この曲は知りませんでした。

そして、その翌日に次のニュースを目にします。

『日の丸や「御国御霊」は全て侵略戦争の旗や言葉』
RADWIMPSの『HINOMARU』に抗議し、廃盤と2度と歌わない事を求めるライブ会場前行動呼びかけ
https://snjpn.net/archives/54903


この記事によると、例のツイートは6月8日21:00とありますが、泉庁長がこの曲を聞いたのは遅くとも6月7日のことですから、この呼びかけなどで話題になって知ったものではありません。
そもそも、随分と若い曲をお聞きになるのだなぁと感心したものです。

さて話がそれましたが、こういったネガティブキャンペーンを売っている一方、実際にこれらの曲の評価はどうなっているのか気にしてみました。
といっても、一個人が街頭インタビューやアンケートを取るのもどうかと思いますし、そもそも東京や大阪などの都会でやらないとその意味は薄いように感じますので、違う方法をとりました。
今は、店舗でCDなどを購入するよりも圧倒的にインターネットでダウンロードする方式が主流ですので、一体ネットでのダウンロード数がどんな状況なのかを見れば、ある程度は曲の評価が見えるだろうと考えたのです。
その結果は次のとおりです。
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Posted by 木霊 at 18:50Comments(0)世相・社会情勢

2018年05月14日

京都大学の立て看板

京都大学のキャンパスから外に向けて掲げられた立て看板が話題になっています。
平成30年5月13日付読売新聞朝刊の「編集手帳」にはこんな風に記載がありました。

編集手帳

戦前の、ある旧制中学の話だ。紳士たれ、と語る校長はライバル校にイートンやハローなど英国のエリート養成校の名を挙げた。ゲートル着用を命じる将校には「我が校は自由を尊重する」とやり返した
教師はシェークスピアやノバーリスを教えた。スボンの折り目だけはきちんとつけるように。学校からの指示に、生徒は毎晩、霧吹き、寝押しを欠かさなかったという
抵抗や反抗することではない。自分はこう生きるのだと、強い意志を示すことが自由だと教わった―。この中学に通い、後に京都大の学長を務めた西島安則さんの弁である
これも自由を巡る論争か。京大のキャンパスの外周、学生らが公道に立てかけた数々の看板は条例違反だと、大学が撤去に乗り出した。「立て看板は京大の文化。自由な学風はどうなる」。学生が反発し、騒動になっている。
双方、たかがタテカン、されどタテカンなのだろう。「結晶は完璧になると成長しない。整いすぎる時には異質なものが必要だ」。西島さんはこんな言葉も遺した。正論、大人の常識にどう抗うか。自由を持ち出す学生には覚悟と独創性がいる。
平成30年5月13日 読売新聞 編集手帳


なんとなくもっともらしい事が書かれている気がして 「なるほど」 と思ってしまう人もいるかも知れませんが、この文章はちょっとおかしいと思いませんか?

以前であればそのままブログを続けて書いていましたが、少し改行を多く取るので、もう一度読み返して考えてみて下さい。







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2018年03月15日

こども食堂

鳴神子ども食堂

「こども食堂」って聞いたことありますか?
最近、テレビなどでも時々取り上げられるので、聞いたことあるという方はいらっしゃるかもしれません。
実際に言ってみたことある方、いますか?

名前だけ聞くと
子供たちが料理したものを食べる場所だろうか?
とも思ったりしますが、そうではなくて
・両親の共働きなどで孤食になっている子供たちを温かい環境で食事をしてもらう
・子供と地域の大人との繋がりをつくる
などが目的で始まったものだそうです。

先日お邪魔したのは「鳴神こども食堂」。実は2回目の参加です。
最初誘われた時は、その主旨などから、行って一緒に座った子供たちとおしゃべりしながら食べるのだろうかなどと思っていましたが、少し遅れてしまったので子供たちは食事が終わって遊んでいました。
皆さん食べ終わった頃にちょっとした講座のようなものがあって、子供たちも一生懸命聞いていたのが印象的でした。

今回は始まってすぐ位の時間に到着。来ている子供たちは、ほぼお母さんと一緒。中にはご両親だったりお祖母ちゃんだったりと一緒の子もいました。いずれにしても こどもだけ での参加はいなさそう。
そういう意味では、この辺りでは 「孤食」 の子供たちは少ないのかもしれません。

一緒に食事をさせてもらいながら、子供たちやお母さん方の様子を見ていましたが、まず感心したのは 野菜・魚を主とした煮物中心の料理を子供たちも喜んで取っていること。
メインのカレーも、実は大根が入っていて、しかも茄子は擦って入れられていると、調理ボランティアのスタッフからこっそりと教えてもらいました。

この日のメニュー(一例)

また、お母さん方は、子供たちの食事中は勿論、子供が食べ終わって遊んでいる間も、スマホをいじる様子は殆ど無く、子供の様子を見ていたり、母親同士で情報交換していたりと、非常に良い雰囲気でした。

地域ごとに抱える問題は異なりますし、なによりどこも有志ボランティアによる取り組みですから、画一的な手法はありません。
食堂ごとに特色も違うと思います。でも、足を踏み入れてみることで、その地域の様子は分かると思います。
こども食堂の取り組みは全国各地で展開されているようですので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
  

2017年09月28日

日本をリセット??

政治ネタの連続投稿でスミマセン。
もっともこのブログは神社とは直接関係ないけれど、間接的には関係がありそうなことを、私が思うがままに書き記すためのブログなのですが・・・。

さて、衆議院が解散されましたが、その解散を前に、小池都知事が新党を立ち上げました。
( 「しんとう」と入力するとまず「神道」がでてくるのが私のPC・・・苦笑)

この小池新党に対するマスコミの注目度は大きく、既に大きな話題となっており、おそらく今回の選挙戦では 希望の党 の獲得議席がマスコミの大いに注目するところとなるでしょうし、そこに焦点をあてて選挙報道もなされると思います。
しかし、本当に日本の未来を考える方々には、ここから先の文章を読んで、希望の党に票を投じるのが是か否か、よく考えてほしいのです。

その新党「希望の党」にはやくも注目が集まり、どうやら難破寸前(既に難破していたという声はとりあえず置いといて)だった民進党前原丸は、乗組員(党員)の救済処置として「希望の党」からの出馬を認めるという発言をしたようですね。

民進党からの出馬でとうなるのか先行き不安だった候補者の方々にとっては、文字通り「希望の党」になったかもしれませんが、早々と民進党からの離党を決め、「希望を持って」小池新党の扉を叩いた人たちにとっては果たして「希望の党」と言えるのでしょうか。

とまぁ、冗談めいた話はさておき、この 希望の党 の結成には気をつけておかなくてはならないところがあると、私は感じています。


私がいろいろな政治家さんの意見を拝見拝聴する際に最も氣にしているのは、「この人は一体自分の生活するこの日本という国をどのように考えているのだろうか」という点です。
極端に言うと、どれだけその人が唱える施策政策が優れていて納得できうるものであっても、この1点がどうしても納得出来ない場合は、私はその人を心から信用することはできません。
逆に、どれだけ施策政策行動に疑問を感じようとも、この1点がしっかりと合致し、そしてゆらぎ無いと見える方であれば、出来る限り応援したいと考えます。


この私にとってキーとなる1点において、新党結党記者会見の中で、小池代表は信じられない発言をしました。

ニュースなどでも取り上げられていますが
「しがらみのない政治、大胆な改革を築く。日本をリセットするために希望の党を立ち上げる」
と宣言したそうですね。
これは私にとっては全く持ってアウトな発言です。

「日本をリセットする」
この言葉はどういう意味なのでしょうか?

かつて坂本龍馬は 「日本を今一度せんたくいたし申候事」 と、姉 乙女 に宛てた手紙で書いています。
雰囲気的にはこの坂本龍馬の言葉に似ていますが、言っている内容は全く違うと解釈できます。

洗濯とリセットでは全くことなります。
リセットとは全てを元に戻して最初からやり直すことを言います。
洗濯は違いますよね。洗濯してもその服は新品のようにはなりません。


日本をリセットする

なんとなく、日本が再出発するようで、キャッチーな感じはします。
でも、これ解釈によってはとんでもないことです。

日本が初期状態に戻るとはどういうことなんでしょう?
そもそも日本はいつから始まっているのでしょうか?

一般に、神武天皇の御即位から日本の国は始まったと考えられます。
現在、国民の祝日である 2月11日の建国記念の日も、その背景には戦前の紀元節があり、紀元節は神武天皇の御即位に由来する日です。

さて、その日本をリセットするとはどういうことなんでしょうか?
これまでの2700年近い歴史を無にして再出発するという意味にもとれます。
「小池代表の中ではそこまで考えてはいない」 という反論も出てきそうですが、しかし我が国の政党の代表者がそんな見識では困ります。
蓮舫氏が民進党党首だったときにも、あちらこちらでお話したり書き記したりしましたが、政党党首(代表)たる者、もし与党となれば首班指名を受ける訳です。つまり我が国の舵取りをする立場になるわけです。そういう立ち位置にあるということを自覚すべきだと思います。
小池都知事が、ただの都知事であったり、一国会議員であればそこまでは言いません。
まぁ見識の甘い人だなぁくらいで見逃します。
しかし、政党代表者となると看過できません。

しかも、昨夏には天皇陛下から、ご自身の身の振り方にについて御発言がなされた状況です。
政府は御発言を鑑み、平成30年を目安に御代替わりを進めています。
天皇の御代替わり、それも近代日本になって初の譲位が行われようとするこのタイミングに 「日本をリセット」 という発言は、ひとつ間違えば亡国発言とも取られかねない暴言です。

いやいや、そんな解釈は右翼的解釈だと仰る向きもあるかもしれませんが、やはり政治家として、そして(理論上条件が揃えば)首班指名を受ける可能性のある立場になる人間としては、やはり不見識だと思うのです。
少なくとも、私はそのような見識の人に、日本の舵取りはおまかせできないと思うのです。

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2017年09月28日

大義なき選挙?

衆議院が解散されました。
マスメディアでは「大義なき解散」などというフレーズが既に流れていますが、そもそも衆議院の解散に大義は必要なのでしょうか?
そしてもし必要だとして、今回の解散には本当に大義はないのでしょうか?

衆院の解散って…そもそも何? 1回600億円の「ビッグイベント」 475人の衆院議員を「一気にクビ」


上記リンク先では「再来年10月に予定している消費税10%への引き上げ」や「森友学園・加計学園に関連する疑惑隠し」などが「大義」として掲げています。
衆議院の解散権は内閣が持っていますが、衆議院の解散は同時に多くの閣僚自身も失職する(参議院から入閣している議員や、国会議員ですら無い閣僚は関係ない)ため、そう簡単に切れるカードではなく、そもそも解散に際して 「大義」 が必要であるといった規則もありません。

首相の「解散権」これでいいの? 実は憲法に明記なし


上記リンクでは、首相の持つ解散権自体に疑問を投げかけ、しかも 「なぜいまなのか。」 と解散の理由(=大義という理解で良いのかと)もよくわからないと続けます。


ところで、 「消費前増税」 についてはまだ実施は随分と先ですし、そもそも消費税10%への増税の是非については前回の衆議院選挙の争点だったように記憶しています。
結局のところ与党が勝ち増税の民意を汲み取ったが、その後の情勢により引き上げ時期を延期しているのが現状ではなかったでしょうか。
その意味では、今回の選挙における争点として 「消費税」 を挙げるのは少しおかしくないでしょうか?

では 「森友・加計両学園問題」 についてですが、これについては国会において首相の答弁等はありましたが、少なくとも選挙の争点として、つまるところ 「いわゆるミソギ選挙」 という意味合いは、少なくとも首相にも与党にもないだろうと想像します。

したがって、上記2つに関しては、「マスメディア自らが考え出した 安倍首相の解散大義」でしかありません。


むしろ、安倍首相は以前より、そして直近でも特に 憲法改正と国家安全保障について強く主張しており、憲法第9条への自衛隊明記という 「加憲」 という手法による憲法改正を具体的に表明しています。
文面についてはまだ発表はされていませんが、とにかく憲法上と実態に齟齬が生じている 「自衛隊」 の存在について、ちゃんと整合性が取れるようにしようというこを表明しているわけです。

とすれば、この点についても今回の衆議院解散による国民の判断を問う 「大義」 の1つとして捉えても良いはずなのに、残念ながらそういう報道はほとんど見受けられません。



衆議院の解散が実行され、いよいよ本格的に選挙戦となりましたが、マスメディアの報道だけに流されずに、自らも情報収集と判断して選挙に臨みたいと思います。


*尚、例によってリンクを張った2つの記事に関しては、削除対策としてこの下の部分にコピペをしております。  続きを読む


2017年05月10日

慧眼

慧眼は普通 「けいがん」 と読みますが、仏教用語で 「えげん」 という用語が同じ文字であるようです。

さて、こんかいのタイトルは 「慧眼(けいがん)」 です。
念のため、慧眼とは・・・。
けい がん [0] 【慧▼眼】
物事の本質を見抜くさとい眼力・鋭い洞察力。また,それをもつこと。 「 -の士」 〔同音語の「炯眼」は鋭く光る目,また,鋭い眼力のこと。一方,「慧眼」は「炯眼」とほぼ同様にも用いるが,物事の本質や裏面を見抜く鋭い洞察力のことをいう〕
http://www.weblio.jp/

で、何が慧眼かというと、この高校生の投書。

批判ばかりの議員は退場を

しっかりしたティーンエイジャーです。

  

2016年07月13日

ジコチュウ

「ジコチュウ」 とは 「自己中心」 な人を指して呼びます。

舛添前都知事の任期途中降板により、急遽行われることとなった都知事選。
候補者についていろいろと情報が飛び交いましたが、いよいよ明日の公示を控え、候補者の大勢が決まったようですね。
先出しジャンケンとも言われた小池百合子氏に対し、昨日立候補を表明した鳥越俊太郎氏は後出しジャンケンでしょうかね。

さて、私のFacebookFriendに、
団塊の世代を含めた1940年代生まれの世代には、大きな選挙の候補者で出馬するなど、「中央政治の最前線」に出ることを今後控えてもらったらどうだろうか

と提案されている方がいます。

その理由について彼は
1940年代生まれの日本人は、戦前戦後を通じて「本来の日本人としての価値観」を崩され、表向きはともかく、内心では「自分が良ければ良い」と考える政治家が極めて多いからだ。つまり、国民全ての利益を考えられるような政治のトップに立つ真の政治家には向いていない。とりわけ団塊の世代がそうなのだが、鳩山由紀夫(47年生)しかり菅直人(46年生)しかり、舛添要一(48年生)もそうだった。これは保守勢力にも同じことが言えるが、1940年代生まれの日本人は、公の政治を自分だけの利益にしがちであったため、日本国民の政治全体に対する信用を無くしてしまった。

と述べています。

ところで、今日本人は総じてジコチュウになりつつあるように感じます。
先般から何件かの殺人事件や傷害事件の犯人は、面識のない方に対して危害を加えており、その理由は極めて自己中心的なものだったりするように感じます。
これらの事件はテレビや新聞で報道される情報による印象なので、実際のところはよくわかりませんが・・・。  

2016年05月06日

天声人語

かつて朝日新聞の天声人語といえば、入学試験の問題などに使用されることもあったと記憶しています。
それ故か、受験生を持つ家庭は軒並み購読新聞を朝日に変えたとか・・・。

今の天声人語はかつて程の文章力が無いと聞いています。私は滅多に読まないので真偽はわかりません。
一時期、産経新聞の産経抄が良文を記していると感じたことがありますし、それより少し前だったように記憶していますが讀賣新聞の編集手帳が秀逸だと感じた時期もありました。

まぁ、産経抄や編集手帳については私の個人的印象なのですが、いずれにしても朝日新聞の天声人語といえば一時期は大したものだったのだと思います。


さて、先日こんなサイトの情報が流れてきました。

【拡散】共産党≒SEALDs≒朝日の証明、大変なことに。
https://samurai20.jp/2015/07/sealds/ (平成27年7月13日)


昨年7月の記事ですからいささか古いものです。なぜ今頃こんな記事が上がってきているのかという疑問もありますが、ちょっと興味深いことが書かれていましたので取り上げます。

リンク先の記事では、朝日新聞の天声人語を拾って考察している部分があるのですが、その中にこんな一文があります。
勝手に決めるな。それは、決めるのは私たち、主権者は私たちだという叫びである。
投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる。
(中略)哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。
人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。
注目すべきは 「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。」 という一文です。
この文章は、ここにも記されているように天声人語の筆者の考えではなく、柄谷という哲学者の言葉だということですが、しかしながらこれに同調する論調は、この思考に同意するものとも受け取れます。

日本国憲法では国民主権を謳っていると学校で習います。しかし日本国の主権者は国民であるということは、条文の中に見ることは出来ません。いわゆる前文に記されるのみです。(ここで ”いわゆる” 前文 としていますが、その理由については長くなるので割愛します)

一旦、主権在民という捉え方を受け入れるとして、天声人語では 「国民が主権者たる社会は、選挙によって意思決定をするのではなく、デモによって意思決定をするものだ」 と主張しているということになります。

すなわち、天声人語文脈を忠実に解釈するならば、日本国憲法が施行された69年前、主権者が国民となった瞬間から、選挙によって選出された代表者が政治を担う民主主義国家ではなく、主権者がデモを行って主義主張をすることこそが、国のあり方であるということになります。
いつだったか忘れましたが、某報道番組(と主張しているTV番組)で、メインキャスターが 「日本の民主主義は終わりました」 と発言したことがありましたが、つまるところ朝日新聞の見解によると 日本国憲法が施行された時から日本は民主主義国家ではなくなったということになりますね。

しかしながら、主権者がデモを行って主張をし、それにしたがって政策が行われるべきであるという考え方は、日本国憲法の前文に記されている内容に反することであり、その行為は 「憲法違反」 と言わざるを得ないように思われます。
それとも、朝日新聞社の主張が、我が国のあり方として正しいのであれば、憲法が誤っている、つまり憲法を改正しなくてはならないということになります。

いろいろと思うままに書き散らかしましたが、兎にも角にも、この天声人語の文章はヒドイものだと思うのです。
  

2016年03月19日

学校教科書

3月も後半になりました。あちらこちらで卒業式が行われる時期です。
そして、もう少しすると入学式シーズンですね。春は別れと出会いのたくさんある季節。
そして新しい門出に心躍らせている人も多いのではないでしょうか。

さて、入学にしろ進級にしろ、新学期が始まると教科書が新しくなります。
特に義務教育の小学校・中学校では教科書が支給されます。
この教科書、児童・生徒には無償で提供されますが、出版元が無償で提供しているわけではありません。
ちゃんとビジネスとして動いているわけです。

しかも、少なくとも学校単位で教科書は採択されますから、1校決まればその取引額は大きなものになりますね。
1つの学校内で、更にいうならば1つのクラス内でバラバラの教科書を用いていては授業が成り立ちませんから当たり前のことです。
これが義務教育過程の公立校になるとどうなのでしょうか。教育委員会の採択で一括決定となるようです。

さて、そんな教科書の採択について1つの疑惑が上がっています。
教科書採択に際して汚職があったというものです。どうやら特定地域に限られた局地的事件ではなく、広範囲で同様のことが行われているようです。

以下のページに、この問題について取り上げてあります。例によって例のごとく、念のため転載しておきます。
http://minakiclub.blog.fc2.com/

教科書採択大型汚職問題について

昨年秋(平成27年:引用者注)、内部通報により株式会社三省堂の違法な営業活動が発覚し新聞社が報道した。
当初は三省堂一社の違法販売と考えられていたが、文科省が各教科書会社に対し同様の違法行為がなされていないかと念の為に報告を求めたところ、12社の教科書会社で大規模な違法販売、贈収賄行為が行われていたことが露見した。
贈収賄の対象教員数は4000名を超えており、空前かつ大規模な構造汚職問題であることが判明した。
これらの行為は明らかに贈収賄行為であり、汚職であり刑事事件である。
独禁法の第二条第九項が禁止する「不公正な取引方法」に該当するものでもある。
そして一般社団法人教科書協会が自ら定めた「教科書宣伝行動基準」は以下のように定められている。
教科書採択は「極めて重要な社会的、公共的使命を認識し、法令順守を誓い」「宣伝行動においては、教科書という公共性にかんがみ、公正かつ自由な宣伝行為でなければならない。」
「教科書選定のプロセスには、透明性、公正性が求められており、従って教科書宣伝は法令順守だけでなく、倫理的側面にも十分配慮して行うことにより、社会の信頼を得なければならない。」に対して大きく違反するものである。
また行動基準の中では「選択関係者に対して、金銭、物品、饗応、労務の提供その他これらに類似する経済上の利益を供与してはならない」と厳しく規定がされている。
教科書12社はこういった社会的なポーズの裏で長期間にわたりしかも空前の大規模で違法行為を繰り返してきたのである。悪質そのものといえよう。(後略)


この問題は、単純にビジネスとしての利益享受を糾弾するだけのことではありません。

しかも多くの教科書は長期にわたり事実に基づかない虚偽や反日偏向の記述された教科書を発行し、純真な児童・生徒を歪め裏切り続けていたのである。
(引用元同)
こういう疑惑の中、採択された教科書はその記載内容に事実関係の確認を要するものや、反日的とも取れる内容が記されていたりします。
勿論、これらも教科書ですから検定は通っているわけではありますが・・・。


さて、この様な疑惑が全国的に起こっている中、教科書の採択理由について非公開の学校が数校あるとのニュースが入りました。

「学び舎」教科書 慰安婦記述30校超採択 灘中など理由非公表
産経新聞 3月19日(土)7時55分配信

4月から全国の中学校で使用される歴史教科書のうち唯一、慰安婦に関する記述を採用した「学び舎」(東京)の教科書が、筑波大付属駒場中や灘中など最難関校と呼ばれる学校を含め、少なくとも30以上の国立、私立中で採択されていたことが18日、分かった。国立と私立中では採択権が教育委員会ではなく学校長にあり、関係法令に基づき採択理由を公表する努力義務もあるが、取材した学校の大半が採択理由を非公表とした。
 同社の歴史教科書は平成16年度検定以降、中学校教科書で各社が一切採用しなかった慰安婦に言及し河野談話も取り上げた。当初、申請した教科書では強制連行を強くにじませながら大きく取り上げたが、不合格とされた後、再申請の際に大幅に修正した。
 南京事件では中国人の証言を採用するなど手厚く記述する一方、北朝鮮による日本人拉致事件では各社が特集などで記述を盛り込む中、年表で「北朝鮮から拉致事件被害者の一部が帰国する」とだけ記述している。
 文部科学省によると、同社の歴史教科書の採択数は全国で約5700冊(占有率0・5%)。業界では「参入組にとって障壁が特に高い教科書業界では異例の部数」(教科書関係者)と受け止められ、「執筆者らの人的ネットワークで採択が広がった」(業界関係者)との見方もある。
 採択したのは少なくとも国立5校、私立30校以上。国立は筑波大付属駒場中のほか、東京学芸大付属世田谷中▽同国際中等教育学校▽東大付属中等教育学校▽奈良教育大付属中。私立では灘中、麻布中など。
 採択理由について、奈良教育大付属中の担当者は、「物語風に書かれ、内容も詳しい。慰安婦の記述などで話題になったが、検定を通っており、許容される内容だと考える」としている。
 一方、義務教育の教科書を配布するための教科書無償措置法では、採択理由を公表する努力義務が市町村教委や都道府県教委と同様に国立中や私立中の校長にもあるが、奈良教育大付属中以外は「取材を受けない」などと回答。
 私立では灘中が「検定を通っている教科書であり、理由を公表する必要はないと考えている」。麻布中は「回答を控える」とした上で「慰安婦の記述で選んだということは全くない」とした。
 学び舎は産経新聞の取材に対し、「難関校を対象とした編集方針はまったくありません」とし、教科書の執筆者と採択校との関係についても「執筆者の個人情報に関することはお答えできません」と回答した。
 執筆者の中には、安保法制の廃止を求める声明を出すなどしている「歴史教育者協議会」(東京)に所属する元教師らもいるとされる。


このニュースのポイントは 「関係法令に基づき採択理由を公表する努力義務もある」 というところだと思います。
勿論 ”義務” ではなくて ”努力義務” ですから、非公表ではダメではないのですが、少なくともここに挙げられた学校の内、私立以外の学校はこの努力義務を遵守すべきと、私は考えます。

冒頭に挙げたような疑惑が生まれている渦中ですから、非公表だとその疑惑も持たれるかも知れないと、危惧するのです。  
タグ :教科書


Posted by 木霊 at 13:50Comments(0)世相・社会情勢

2015年12月02日

小学生がバスの降車ボタンをイタズラで押し続けたら犯罪になるのか?

ちょっと長いタイトルになりましたw

先日、当社の巫女がこんな話をしてきました。

バスに乗ったら、おばあちゃんの膝に座っている子供がいた。その横には子供の母親らしき人も立っていた。
その子供がバスの降車ボタンを押したが、その家族は降車ボタンを押した停留所では下車しなかった。その停留所では他に下車する人がいた。
そして次の停留所が近づくとまだ子供が降車ボタンを押したが、その停留所では下りる人がいなかった。おばあちゃんは軽く注意をしていたようだが、母親は子供に何も言わず、また降りる人がいない停留所に停車しても運転手に対して何の発言もなかった。
更に次の停留所が近づくと、子供は三度降車ボタンを押し、その停留所でおばあちゃんは降りて行った。
どうやら家族ではなく、見ず知らずのおばあちゃんだったらしい。(巫女談)
結局、その後も子供は降車ボタンを押し続け、誰も降車しない停留所に停まっても母親は一言も発しないし、子供に注意することもなかった様子。
その母子より先に巫女は下車をしたので最終的にどうなったかは不明。

というお話でした。そして、自分はそんな母親にはならないように気を付けたいと。

そんな話がつい先日あったのですが、このイタズラに類する記事があったのでUPしておきます。
例によって、元記事削除防止に転載しています。

バスの降車ボタンを押して「うっそでーすw」 小学生の「いたずら」は犯罪になる?
弁護士ドットコム 11月28日(土)9時53分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151128-00003999-bengocom-soci
走っているバスの中で、小学生が何度も降車ボタンを押し、バスが停まるたびに「間違えましたーw」「うっそでーすw」とふざけていたところ、運転手から「今ボタン押した人降りて」「降りるまで発車しないから」とお灸をすえられたーー。そんな場面を目撃した人のツイートが2万7000回以上リツイートされ、話題になった。
ツイートによると、運転手と小学生の間で、「ごめんなさい、もうしません」「ええけえ降りろ」「ここ違うんです」「でもボタン押したじゃろ」「ごめんなさい(半泣き)」「早う降りにゃあ他のお客さんに迷惑じゃろ」「ごめんなざい~(本泣き)」「◯◯小じゃろ。学校に言うとくけえの」などのやり取りがかわされたそうだ。
このツイートに対して、「いけないことはきちんと教えないとね」「泣けば許されると思って...悪質な子供ですね」などのコメントが寄せられている。このようないたずらは何らかの犯罪になる可能性はあるのだろうか。足立敬太弁護士に聞いた。

●「偽計業務妨害罪」が成立する可能性がある
「降りる気もないのに降車ボタンを押し、各停留所にバスを停まらせた行為は、偽計業務妨害罪(刑法233条後段)が成立しうる行為です。『偽計』とは、人を欺き、誘惑し、あるいは他人の錯誤または不知を利用することです。降りる気もないのに降車ボタンを押す行為は、欺く行為であるといえます。
降りるつもりなく降車ボタンを押しても、他に降りる乗客がいたのであれば実害はありません。しかし、降車ボタンが押されて停車したのに、降車する乗客がいなかっただけでなく、さらに乗車する客もいなかったのであれば、停車した分バスの運行に遅れが生じるという実害が生じています。
しかもそれを繰り返し行ったのであれば、実害は軽微ではありません。したがって、バスの運転手の運転業務を妨害したと評価できると思われます。なお、法定刑は3年以下の懲役または50万円以下の罰金です」

小学生がやった場合でも犯罪になるのか。

「今回のケースは小学生のいたずらとされています。刑法41条で『14歳に満たない者の行為は、罰しない』と定められているため、実際に刑事罰が科されることはなく、このような場合、警察は児童相談所に通告して対処することになります。

もっとも今回のケースでは、運転手がきついお灸を据えたようなので、実際にこれらの手続が踏まれることはないでしょうね」
足立弁護士はこのように話していた。

【取材協力弁護士】
足立 敬太(あだち・けいた)弁護士
北海道・富良野在住。投資被害・消費者事件や農家・農作物関係の事件を中心に刑事弁護分野も取り扱う。分かりやすく丁寧な説明だと高評価多数。
事務所名:富良野・凛と法律事務所
事務所URL:http://www.furano-rinto.com/
ということです。
子供はとかくボタンとか押したがりますが、イタズラに押すことが無いように注意しましょう。
そして、もし誤って押してしまって誰も降車しない場合には、速やかに 「間違いました」 なり 「ごめんなさい」 なりを運転手さんに伝えましょう。