2018年11月23日

新帝の大嘗祭

皇太子殿下が皇位就かれ、最初に行われる新嘗祭の日取りが決まったそうです。
御代最初の新嘗祭を現代では大嘗祭と呼びます。

古代は、現在にいう新嘗祭も大嘗祭と呼んでおり、特段の区別は無かったようです。
しかし律令が整備される中で、御代一度の大嘗祭は特別なものとして区別をするようになってゆきました。
そして「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」と呼ぶようになりました。
践祚(せんそ)というのは、新たに天皇の位に就くことを言います。
現在では「即位」という言い方をしますが、戦前まで「践祚」と「即位」は明確に区別がされていました。
天皇の位に就くことを「践祚」、そのことを広く世間に知らすことを「即位」と呼んでいました。

さて、今日11月23日は新嘗祭です。
新嘗祭(大嘗祭)の日取りは律令では11月下卯日と定められていました。
卯日が3回ある場合は中卯日に行うと注釈があります。
ところが明治6年に太陽暦を採用することになった際に、新嘗祭の日は11月23日と定めました。
これは明治6年の11月下卯日が23日だったからです。
こうして、以来11月23日が新嘗祭と定められて脈々と祭祀が行われてきました。

今上陛下が皇位に就かれて最初の新嘗祭、つまり大嘗祭も平成2年11月23日に斎行されました。
ところで、明年には天皇陛下が譲位され、皇太子殿下が皇位に就かれることとなっていますが、その大嘗祭の日程が発表になったそうです。

天皇陛下、23日に最後の新嘗祭
2018.11.22 15:20ライフ皇室

 天皇陛下は23日、在位中最後の新嘗(にいなめ)祭に臨まれる。陛下自らその年に収穫された穀物を皇居・神嘉殿(しんかでん)に供えられる新嘗祭は最重要の宮中祭祀とされる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝し、国家国民の幸せを願う祈りは、陛下の側で新嘗祭に臨まれてきた皇太子さまに受け継がれる。
 新嘗祭は皇居・宮中三殿に隣接する神嘉殿で、同日午後6時から「夕(よい)の儀」が、同11時からは「暁(あかつき)の儀」が、同様の次第で2時間ずつ行われる。陛下は平成26年から暁の儀へのお出ましを控えているが、夕の儀は30分間に時間を短縮して続けてこられた。儀式には神前での御告文(おつげぶみ)の奏上や、新穀を神々と食べる直会(なおらい)という天皇しかできないご所作がある。
 新嘗祭では男性皇族方も拝礼されるが、陛下と同じ殿上に上がられるのは皇太子さまのみ。皇太子さまは来年11月14~15日にかけ、即位後初の新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」(大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀)に臨まれる。


いつものことながら、削除対策に転載しています。
さて、記事によると明年の大嘗祭は11月14日から15日にかけてとなっています。

新嘗祭は明治の新暦採択の際に11月23日と定められました。
律令では11月下卯日(卯日が3回ある場合は中卯日)と定められていましたが、新暦採択の明治6年の11月下卯日が23日であったため、新暦採択にあわせて新嘗祭は11月23日と定めたようです。

今上陛下の大嘗祭は平成2年11月22日から23日にかけて斎行されました。
昭和天皇の大嘗祭は昭和3年11月14日から15日、大正天皇の大嘗祭は大正4年11月14日から15日となっています。
つまり、大嘗祭に関しては必ずしも11月23日には行われていません。

もう少し詳しく見てみましょう。
明年の大嘗祭が斎行される11月14日は乙卯で中卯日。
今上陛下の大嘗祭が斎行された平成2年11月22日は辛卯で下卯日(卯日は2回)。
昭和天皇の大嘗祭が斎行された昭和3年11月14日は戊午。
大正天皇の大嘗祭が斎行された大正4年11月14日は乙酉。

つまり、平成以降は律令に記される下卯日に大嘗祭を行う様になっています。これは偶然なのか、そうでは無いのか、そこまでは定かではありませんが・・・。  

2018年11月23日

GHQと天皇の退位

明年は日本の近代化以来はじめての崩御によらない御代替わりとなる予定です。
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。

先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。

さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。

GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」

産経新聞 2016.10.10 09:44


 先の大戦に敗北した日本は占領下に置かれ、連合国軍総司令部(GHQ)に「象徴天皇制」を含む新憲法を突きつけられた。
 GHQは皇室制度の存続だけは認めたものの、天皇の神格化を排除するため、大日本帝国憲法(旧憲法)第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を放棄させ、新憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した。
 さらに第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定め、大日本帝国憲法と同格だった皇室典範を一般法に格下げした。
 GHQは他にも天皇の権威を失わせる施策を次々と推し進めたが、天皇の譲位(生前退位)には慎重だった。
 昭和21年8月30日、民政局のサイラス・ピークは、内閣法制局第一部長の井手成三を呼び出し、生前退位をめぐり次のようなやり取りをした。

 ピーク「天皇ノ退位ヲ認メヌ理由」

 井手「上皇制度ナド歴史的ニモ弊害アリ寧(むし)ロ摂政制度ノ活用ヲ可トス」

 ピーク「昔ハ退位ハアツタカ」

 井手「然リ」

 ピーク「退位ヲ認メルト今上陛下ニ影響スルコトヲオソレタカ」

 井手「ソノヤウナ顧慮ニ出デタモノデハナイ。寧ロ一般抽象的ナ論究ノ結果ナリ」

 会談は3時間に及んだ。女性天皇の是非も議題になったが、井手が男系維持を説明するとピークはそれ以上追及しなかった。
 外務省特別資料部の調書「皇室に関する諸制度の民主化」(23年10月)によると、GHQは当初、天皇の自由意思を認める意向を示していたが、「野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、首相にでもなることがあっては困る」と考え、生前退位を認めない方針に転換したという。
 GHQとの交渉の末、政府は皇室典範草案を完成させ、21年11月26日、第91回帝国議会衆議院本会議に提出。男女平等や民主主義をうたった新憲法との整合性についてさまざまな議論が繰り広げられた。
 社会党衆院議員の及川規(ただし)は衆院本会議で生前退位に関してこう主張した。
 「天皇の絶対的自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現する所以(ゆえん)であると確信する」
 貴族院でも京都帝国大名誉教授の佐々木惣一が「個人的の立場からじゃなしに国家的見地から、自分はこの地位を去られることがよいとお考えになることもないとは限らぬと思います、こういう場合に、国家はこれに付きまして何らかの考慮をしなくてもよいものでありましょうか」と語った。
 これに対し、国務相の金森徳次郎は「天皇お一人のお考えによって、その御位をお動きになるということは恐らくはこの国民の信念と結びつけまして調和せざる点があるのではないか」と反論した上で、こう断じた。
 「天皇に私(わたくし)なし、すべてが公事であるという所に重点をおき、ご退位の規定は今般の典範においてこれを予期しなかった」
 結局、衆議院と貴族院合わせて約1カ月の議論の末、皇室典範案は無修正で可決され、翌年の1月16日に公布、5月3日に施行された。(広池慶一)
  

2018年05月14日

奉納演奏

奉納演奏 という言葉を聞いたことがあると思います。
神社やお寺の境内で音楽などを奏でる行事が行われると、大抵「奉納演奏」と書かれていたりします。

でも、神社仏閣の境内で演奏することが「奉納演奏」ではありません。
つい先日、そんな話を ”神職ではない方” としておりましたので、ちょっと記しておきたいと思います。

お話したお相手は、とある会社の代表者。
神社が大好きでいろんな神社にお参りに行かれたりするそうですが、時々奉納演奏ではない奉納演奏を目にすると言います。
この時点で何を仰っしゃりたいのか概ね想像はつきましたが、続けてお話を伺うと、私と全く同じ考え方でした。

奉納演奏というのは、文字通り演奏を奉納することです。
「奉納」ですから、その対象は神社であれば神様、お寺であれば仏様な訳です。
ところが「奉納演奏」と称しながら、神社の本殿や、お寺の本堂を背にして、集まった人たちに対して演奏している写真をしばしば目にします。
これは 「奉納演奏」 ではありません。

ちょっと想像してみて下さい。
あなたがコンサートやライブに行くとします。会場につくと、あなたの席は演奏者の後ろでした。
つまり演奏者の背中は見えるけど、顔は見えない場所があなたのお席です。
普通そういう席はないと思いますが、極稀に会場の都合でそういうお席が提供される場合もありますね。
でも、それがVIP席だったらどうでしょうか?
すくなくともVIP席を準備しましたと言われて、そのアーティストの顔も見ることが出来ない、舞台の後方の席です。
勿論、舞台正面には席があります。

本殿や本堂を背にした舞台での演奏は、つまりは神様や仏様は今記した、舞台背面の席で聞くことになるわけです。
しかし「奉納演奏」ですから神様仏様がVIP・・・。

これは、演奏する側も気づかなくてはならないのですが、やはりそれ以上にその神社の神職や、そのお寺の僧侶がもっと気づかなくてはなりませんし、注意しなくてはならないと思います。

伊太祁曽神社の場合、奉納演奏をしたいとお申し出がありましたら、その旨をちゃんと理解してもらいます。
つまり 「神様に対して演奏したいのか、それともこの場所で多くの人たちに聞いてもらいたいのか」 ここを明確にしてもらいます。
神様に聞いていただきたいという趣旨でしたら、当日はまず正式参拝をしていただき、引き続いて神前にて神様に相対して演奏して頂きます。
折角の機会ですので、演奏を聞きたいという方もいると思いますので、その方々には奏者の左右にお席を設ける場合はあります。

また、それなりに大規模で取り組む場合には奉納舞台での演奏をお願いしています。
勿論奉納舞台ですから、舞台正面は本殿を向いています。
但し、それなり本殿まで距離がありますから、舞台の前に人間の観客席を設けることは可能です。
神様の方を向きながら、多くの方にも聞いていただくことができる設営の 「奉納演奏」 も可能です。

そして、単に神社という空間を使って演奏を行いたいという趣旨の場合、その目的や内容によっては許可する場合があります。
但し、演奏場所として拝殿前はお断りをしています。いわゆる外苑部分などでの取り組みをお願いしています。  

2018年03月28日

「譲位」と「退位」

以前、このブログでは「譲位」と「生前退位」について取り上げました。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

都合、何度か御代替わりについても記してきました。
余談ですが、先般とあるアナウンサーが 「御代替わり」 を 「おん、だいがわり」 と読んでいました。これって「みよがわり」のはずなんですが・・・。

さて、御代替わりまであと1年余りとなり、関連の報道も増えてきました。
当初は「生前退位」などという言葉も用いられており、私は非常に不快に感じましたが、さすがに ”生前” は消え、「退位」という表現に落ち着いたようです。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

一方で、陛下が位を退くことについては「譲位」という言葉もあり、「退位」と「譲位」についていろいろと議論があります。
政府は「譲位」ではなく「退位」という言葉を用いていますが、それはなぜなのか、腑に落ちる記事があったので以下に転載します。

大祓の時に「諸々聞食せと宣る」のあとに諸員が「オー」と唱へるのを「称唯」と書いて「イショウ」と読む。漢字の順番通りなら「ショウイ」と読むのは、「ショウイ」が「ジョウイ」と通ずるのを憚っての有職読みとされてゐる。古人は「譲位」でさへ憚ったのであり、まして「退位」の語を軽々しく使用するのは不敬なことに違ひない。


つまり、「譲位」を連想させる「ショウイ」という言葉すら使用することを避けたのだから、まして「退位」などを用いるのは不敬に違いないと昔の人達は思っていたのだろう、ということです。
そもそも「譲位」と「退位」は、共に位を退くことを意味しますが、そのニュアンスは少し異なります。
「譲位」は文字通り 位を ”譲り” 退くわけですが、「退位」は 位を退く ことを意味するだけです。
つまり意味的には 譲位<退位 であり、譲位は退位に含まれるわけです。
そして、その違いから、やがて「退位」には、天皇の意思と関係なく位を退かされる場合に用いられる、という理解になったとも言われます。

改めてまとめるならば、
 ・天皇が位を退く意思をもっての「退位」を「譲位」
 ・単純に天皇が位を退くことは一様に「退位」と言っていたが、上記のことから、意思を伴わない場合を「退位」
と使い分けるようになった、との解釈が一般的になっているようです。
そして、それ故に今回の御代替わりは「譲位」であって「退位」ではない、という論調が多数を占めているのでしょう。

さて、記事は次のように続けます。

 だが、その「退位」の語を、なぜ政府が使用し、特例法に明記し、これを国会で承認したのか。この点を踏まへて不敬かどうかを、情感だけでない、法制的課題としても理解する必要があるのではなからうか。
 政府は「譲位」の語を使用しなことに徹底してゐる。それは「譲位」といふと、それが天皇の意思ないしは発意によってなされることになるからとされる。それは憲法違反になるので、天皇が自らの意思で御位に就くことも、また退くこともできないとの法理を厳守しようとしてゐるのである。


以上 「神社新報」平成30年3月26日付 神奈川県瀬戸神社 佐野和史宮司の投稿記事より抜粋転載


日本国憲法の第4条には
天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。

とあります。つまり憲法の規定では天皇がその位に就くことも、また退くことも、全て憲法及び法律によって決められるものであって、天皇御自らの意思であってはならないと解釈されるのです。
したがって、「譲位」の語を用いることは、天皇が御自らの意思により帝位を退くことを意味するために、政府は「退位」を用いることにこだわるのだという理解です。

日本国憲法第9条を厳密に解釈するならば、自衛隊が存在することは憲法違反となる訳ですが、現実にはそうならずに世の中は廻っています。
今回の御代替わりにおける「譲位」と「退位」の用語使いは、自衛隊の問題に比べれば些細なことのようにも見えますが、しかし我が国の根幹たる皇室のこと。それも天皇陛下の御事ですので、万が一もあってはならないことです。
残念ながら、日本国内、否日本人の中にも天皇陛下の御存在、皇室の御存在を快く思わない人が存在する御時世ですので、万難を廃するのは止むを得ないとも思います。

しかし、翻って、その様な不自由な憲法がそもそもおかしいのではないかと、改めて思うのです。
今上陛下は、初代神武天皇より数えて第125代目。初代神武天皇が即位されてから、今年は2678年が経ちます。
たかだか施行後100年にも満たない日本国憲法で規制できるものではなく、実態に合わせて憲法を制定すべきであろうと思います。

先日の自民党党大会で、安倍晋三総裁は憲法改正に強い決意表明をされました。
日本人による、日本国らしい憲法を1日も早く制定して欲しいと強く願うところです。  

2016年12月06日

御神札を家庭に祀ること

皆さんのご家庭には神棚はありますか?
もしくは、神棚までは設けていなくても御神札をお祀りしていますか?

12月に入り、そろそろ来年の新しい御神札を準備されている方も居るのではないでしょうか?
伊太祁曽神社では11月23日の新嘗祭にあわせて大麻頒布始祭を執り行い、各地区の氏子総代に地区を代表して神宮大麻(お伊勢さんの御神札)と伊太祁曽神社剣先札をお頒ち致しました。
氏子の皆様には氏子総代を通じて、各家庭に届けられることになっています。
また、崇敬会の会員の皆様には伊太祁曽神社紙神札を12月の社報と併せて郵送しています。

近年は家庭に神棚を設けない、御神札を祀らない家庭が増えていると聞きます。
確かに氏子地区内については総代より頒布する御神札の体数を減らしてほしいという話をしばしば聞きます。
実際に戸数が減っている地区もありますから、その地区については御神札の減体は仕方がないことと思います。
問題は戸数が増えているのに御神札が増えない、戸数に変化がないのに御神札が減ってゆくことです。

この傾向は何も当社に限ったことではなく全国的に見られる傾向で、各神社で神宮大麻とそれぞれの御神札を奉斎する家庭を増やすように努力をしている話をしばしば耳にします。
その取り組の中で、常々私が疑問に感じているのは御神札を祀ってもらえるように 「簡易神棚」 を配布するというものです。
確かに御神札を奉斎しない方々の中には、祀り方がわからない、家に神棚が無いという理由を挙げる方がいます。
そういった方々に ”簡易”神棚 を無料で配り、御神札を祀る手始めにしようというのが取り組みの主旨だと思うのですが、どうにも ”簡易” というところが氣に入らないのです。
簡易神棚の存在を真っ向から否定するという意味ではなく、少なくとも御神札をきちっと祀ることを勧めるべき神社が、自ら 「 ”簡易” の神棚でも結構ですよ」 と言ってしまうことは、果たして良いのだろうかと思うのです。

御神札の頒布増体はそれ自体が目的ではなく、家庭祭祀の場をきちっと設けることで敬神崇祖の念を持ち、またはそれをしっかりと養ってゆくことが目的と思います。
このことは、つまりは日本に古来から伝わる伝統を大切にし、また地域に伝わる文化を継承することに繋がってゆくと考えます。

したがって、御神札を祀る意義をきちっと伝え理解してもらうことは、自然ときちっとした神祭りの意識に繋がり、つまりは ”簡易” ではない神棚に御神札を祀るという考え方になってゆくと思うのです。
神社が ”簡易神棚” を奨励するということは、「神祭りは簡素に行ってもよろしい」 とお墨付きを与えているように、私には感じられます。

こういった考え方から、伊太祁曽神社には、所謂 ”簡易神棚” や お札フォルダー と呼ばれるような頒布品は一切置いておりません。
極稀にそのようなモノがないか問い合わせがありますが、その際はきちっとした神棚を準備されることをお薦めしています。


常々、上記のようなことを考えておりました所、今回の神社新報には「神札を祀る意義の確認を」という論説があり、ほぼ私の考えに近いことが記されておりました。
神社新報より、一部を抜粋して転載します。

しかしながら、宮型・神棚等を増頒布のための手段として位置づけるのは、少し目的が違ふはずだ。もちろん神棚・宮型等によって各家庭に祭祀の場が設けられることで、結果として神札の増頒布に結びつき、その後の神宮・神社に対する真摯な崇敬へと向かふ可能性もある。ただし本来は、まづ信仰を広めるやうな営為こそが必要であらう。さらには仏壇を設けて先祖の位牌を祀ってゐる家庭に対しても祖霊祭祀の大切さを説くなど、より積極的に敬神崇祖の念の涵養を図るやうな取組みが大切なのである。
(中略)
さうした重層的な信仰の存在を認識し、さらには祖霊祭祀を含めた有機的な信仰の繋がりを啓発することにより、神宮・神社や神々に対する崇敬の念はいよいよ昂るといへる。しかし例へば、神宮大麻の増頒布に熱心になるあまり、氏神神社や崇敬神社に対する信仰との繋がりを見過ごすやうなことがあれば、地域において連綿と受け継がれてきたこれまでの信仰とは乖離してしまふことにもなりかねない。


我々神職はもとより、御神札頒布に携わる氏子総代や世話役の皆様にもしっかりと心に刻んで置くべきことかと思います。
  


2016年11月17日

七五三雑考

11月15日を過ぎ、七五三詣りは一段落するかとおもいきや、19日、20日の週末もそれなりに参拝予約が入っています。ありがたいことです。
そういえば最近は週の始まりを日曜日として記載するカレンダーもあり、週末=土日という感覚は薄くなってきているかも・・・。

さて、冒頭に「11月15日を過ぎ」と書きましたが、最近の若い親御さんたちにはその意味がわからない方も多いようです。
七五三のお祝いは11月15日に行われるものとされてきました。(その理由については諸説あり、また若干の地域差もありますが今回は省略。)
そして、日本人はお祝い事についてはその当日に行えない場合は、どちらかというと前倒しに行うのが良いという考え方がありますから、11月15日を過ぎると七五三の参拝は一段落するのが少し前までの流れでした。
今は、「七五三の祝日は11月15日」 とか 「祝日に都合がつかない場合は前倒しで祝う」 ということを教えてくれる人が周りにいないのでしょうね。

ここ数年、七五三の様子を見ていると写真屋さんの影響が非常に大きいように感じます。
一時期、8月頃に七五三の参拝問い合わせ(11月の予約ではなく8月に参拝したい)が重なった事があります。
後でわかったことですが、ある大手写真館が七五三の記念写真の早撮りキャンペーンを夏に行ったことが理由だったようです。
その後、写真は夏に撮るけど、七五三の時期となる秋にも同じ衣装を貸し出して参拝できるという方式に写真館が変更したらしく、近年は8月頃の参拝はなくなりました。
しかし11月15日が本来の祝い日だということを写真館ではお話が無いようで、ご存じない親御さんはまだまだたくさんいらっしゃるようです。

お祝いの年齢についても同様で、今年は5歳の女の子の問い合わせが数件ありました。
七五三というのは、
 3歳は髪置き・・・それまで産髪を切っていたのを伸ばし始める儀式で男女児ともに行う。
 5歳は袴着・・・初めて袴をつける儀式で男児が行う。
 7歳は帯解き・・着物の付け紐を取り縫帯をしめる儀式で女児が行う。
というお祝いをすることになっています。これらの儀式は古くは年齢や日にちが定められていたわけでは無いようですが、ある時代からそれぞれの年齢で11月15日に祝うとなっていったようです。
したがって、5歳の女の子であっても、7歳のお祝いを前倒しで行うということであれば分かるのですが、どうやら今回のお問合わせはそういうことではなかったようです。
つまるところ、3歳5歳7歳の3姉妹なので、写真屋さんから 「折角だから5歳の女の子もご祈祷してもらったら」 と言われたとか。
当方では5歳の女の子のお祝いは無いので説明申し上げました。
社入だけを考えれば、なんでも はいはい と言って受け入れれば良いのかもしれませんが、やはりそういうわけにはゆきません。
お祝いでない子供も晴れ着に着飾ってお参り頂くことは問題ありませんが、はやり意味のない祈願はしたくありませんので・・・。

また、男の子のお祝いは5歳だけと思っている親御さんも未だに多いですね。
一時期聞かれたのは 「関西では3歳の男の子を祝う習慣がない」 とか 「関東では(以下同文)」 というものでしたが、これはどう考えてもおかしい。関東でも関西でもどちらも、それは向こう、つまり関東では関西の、関西では関東の習慣として主張するのですから・・・。
思うに、これも写真屋さんの影響かなと推察しています。
大体、七五三のポスターなどをみると、3歳5歳7歳の子供が並んでいる場合、3歳と7歳が女の子で5歳だけ男の子という写真が多いです。
女の子のほうが晴れ着は華やかで写真映えしますし、3歳の女の子は被布を着せ、7歳の女の子は帯を締めると、着物の形態も異なるので、衣装屋さんや写真屋さん的には好都合な写真になります。
このイメージがあると、「男の子は5歳だけ」 となるのではないでしょうか?
あくまで私見ですが・・・。

そしてもう1つ。数え3歳の子供の参拝が非常に少ない理由も、写真の普及によると思っています。
数え3歳ということは、満年齢でだいたい2歳。生まれ月によってはまだ歩くのもおぼつかない場合もあります。
しかし写真などに写っている3歳児は割としっかりした姿ですので、結果 「本当は数え3歳なのかもしれないけど、うちの子はまだ小さいから来年」 ということになってしまうのではないでしょうか。

写真屋さん、貸衣装屋さんが悪いと言いたいわけではないのですが、七五三の本来の意味とはなんであるのかちゃんと説明してあげないと、やがてこういう習慣は廃れてしまう、もしくは本質と全く変わってしまうと思うのです。  


2016年03月11日

半旗

年前の今日、東日本大震災が発生しました。
あの迫り来る津波の映像は本当に恐ろしかったのと同時に、どこか映画のシーンのように現実からかけ離れた出来事のように目に映りました。
しかし、翌日から報道される新聞などの惨状を見て、実際に起こった出来事なのだと・・・。

丁度、あの地震が発生した瞬間は、東京のテレビ局から電話がかかってきており、担当者と通話している最中でした。
先方から用事があって掛けてきた電話でしたが、途中で 「地震で揺れているので一旦切ります」 と云われ通話が終了しました。
私は和歌山にいながら、まさに地震の瞬間に ”立ち会っていた” のです。
そして、地震の規模はどの程度だろうとインターネットニュースを見たり、テレビの速報で流れないか見ましたが、すぐには情報が出てこなかったのを記憶しています。
そして、暫く後で流れてきたのが津波の映像でした・・・。
北の町は少しずつ復興してきているとはいえ、まだまだ震災の爪痕が強く残る土地がありますし、仮設住宅で生活されている方もいらっしゃいます。
何よりも、あの地震で起こった 人災、原子力発電所の事故により、故郷に変えることが出来ない方がたくさんいらっしゃいます。
そして、地震や津波の被害によって命を落とされた多くの方々・・・。

震災犠牲者を悼むために、国の機関を始め、多くの公的機関では、半旗を掲げて弔意を表しています。
しかし、意外と正しい半旗の掲げ方を知っている人は少ないのではないでしょうか。

というわけで、半旗(弔旗)の掲げ方を記しておきます。

まず、弔意を表す旗の掲げ方は半旗だけではありません。
弔旗と呼ばれる旗の掲げ方があります。

弔旗は、喪章を付けて掲げる旗のことを言いますが、喪章の付け方は、国などで異なります。
日本の場合は、旗竿の先を黒布で覆い、その下に旗の長さと同じ黒布を付け、その下に旗を掲揚します。

半旗は、もともと洋上では弔旗が認識しづらいとして用いられるようになった弔意を表す旗の掲揚方法ですが、現在では半旗が主流となり、半旗を掲げることが出来ない場合に弔旗を掲げるのが一般的なようです。

半旗は、文字通り旗竿の半分の位置に旗を掲げることだと思われがちですが、実はそうではありません。
旗竿の天辺から、掲げる旗の一辺の長さから旗竿の1/2 の位置の間に、旗を掲げます。
旗が下がりすぎている印象を避けるために、多くは旗1枚分から旗竿の1/3 程度の位置に旗が揚がっているように感じます。

そして、大切なことは旗の位置と同時に、旗の掲げ方です。
半旗を掲げる際は、一旦旗竿の一番上まで掲げ、そして半旗の位置まで降ろしてゆきます。
半旗を下ろす場合も、一旦旗竿の一番上まで掲げ直し、そして降ろします。
あくまで、旗の上げ下げは、旗竿の一番上にあるのが前提となっています。



今日は、所用で外出していましたが、電力会社には半旗が掲揚されていました。
上の写真がそれです。
この半旗、ちょっとしたすぎる気がします・・・。  続きを読む


2015年11月02日

七五三考

11月になりました。今月15日は七五三の祝い日とされています。

先日の産経新聞のコラム産経抄に 七五三 について記されていました。(10月25日)
以下、抜粋します。(全文はこちらを参照)
▼757年施行の養老律令には、3歳以下を乳児と定めた項がある(『歳時の文化事典』八坂書房)。子供の死亡率は江戸期になっても高く、「七つまでは神のうち」と言われた。成長は神頼みというご先祖の苦悩を思えば、3歳から2年刻みで祝ったのもうなずける。
▼ただし、風習が時代に応じて中身を変えるのは仕方ない。かつて七五三といえば参拝に祈祷(きとう)だったのが、今では記念撮影が優先事項になりつつあると、先日の小紙生活面が報じていた。わが子の晴れ着姿を写真に収めておしまい、というご家庭も中にはあるらしい。

実態は確かに記されているようになりつつあります。
しかし、参拝・祈祷から記念撮影に優先事項が変わったということは 七五三 の本質が変化しつつあるということではないでしょうか。
つまり、神社への参拝・祈祷が主だった時代は 「子供の成長感謝と引き続いての加護を祈る」 ことに重きがあったけど、記念撮影が主となった現代は 「子供の成長を記録する」 ことに重きが移ったと言いかえることが出来るのではないでしょうか。

勿論、現代の親が 「子の成長感謝と更なる安泰」 を望んでいないとは思っていませんが、子供の死亡率が低くなった現代においては昔ほどその不安が無くなり、そういう意味における緊張感が緩んでいるということでしょうか。

七五三のお祝いは、3歳・5歳・7歳に行われるものですが、単純に2年刻みで無事な成長を祝ったのではなく、それぞれの年齢に行われる儀式があります。

3歳のお祝いは 「髪置き」 といい、胎髪を取り髪を伸ばし始める儀式です。
胎髪とは生まれたときに生えている髪のことです。
男児・女児ともに行います。

5歳のお祝いは 「袴着」 といい、この日から自分で袴を穿くことが出来るようになるというけじめの儀式です。
男児が行います。

7歳のお祝いは 「帯解き」 といい、つけ紐を除いて帯を締める儀式で、この日から一人で帯を結べるようになるというけじめの儀式です。
女児が行います。

それぞれに成長にあわせて、一人前になって行くステップとして行われてきた儀式であり、同時にそこまで無事に成長してきたことを感謝する儀式でもありました。
成長の記録を残しておきたいと、記念写真に力を入れる親御心はわかりますが、子供が無事に大きく育ってきたのは神仏のお蔭であることを忘れずに、ささやかにでも家族揃って感謝のお詣りをする心は忘れないで欲しいと思います。

  

2015年06月13日

屈するな!日本!!

先日世界動物園水族館協会(WAZA)が日本動物園水族館協会(JAZA)を除名するという報道が流れました。
日本伝統の追い込み漁によるイルカ入手が適切ではないとのWAZAの主張によるものです。
JAZAはその正当性を繰り返し主張してきましたが、結局受け入れられることなく今回の事態となったわけです。

JAZA加盟会員の間で話し合いが行われ、会員の多数が選んだのはWAZA加盟継続。
これにより、追い込み漁によるイルカ入手はやめることになります。
WAZAは、動物の血統を管理するほか、世界の動物園間の動物のやり取りに関与しているのでこの情報網は希少動物の繁殖、入手に有利に働き、そこを懸念した会員からは加盟継続の主張がされたのでしょう。
中国や韓国などはWAZAに加盟せず繁殖や個別の関係で動物を入手していますが、JAZAはその道を選択しませんでした。
JAZAの結論はある意味において ”仕方のないこと” という気もしますが、このやり方何かを思い出しませんか??

そして、これは日本だけの問題ではなく、アジア諸国の水族館などで飼育されたりショーで使われているイルカは日本が追い込み漁で捕獲したイルカだとか。
今後、追い込み漁による捕獲を行わないということは、これらの国々でも困ったことになって行くかもしれません。


そんな世間の流れの中、こんなニュースが入ってきました。

“妨害”SS 鯨研に賠償金3億円支払いへ
日本テレビ系(NNN) 6月10日(水)14時44分配信


SSとはシーシェパードのことです。言うまでもなく、反捕鯨団体の世界最大手(笑)です。
記事は以下の通り。

 日本鯨類研究所などは、日本の調査捕鯨船への妨害活動に関して環境保護団体シー・シェパードから約3億円の賠償金を受け取る見通しとなったことを明らかにした。
 アメリカの第9巡回裁判所は2012年12月、シー・シェパード側に対し、日本の調査船やその乗組員を攻撃することなどを禁止する仮差し止めを出している。しかし、これに反して妨害活動が続いたため、昨年12月に連邦高裁はシー・シェパードに賠償命令を下した。
 これを受けて、日本鯨類研究所とシー・シェパードは賠償の交渉を行ってきたが、シー・シェパードが争っていた法廷侮辱罪をめぐる最高裁判所の判断が現地時間8日に出され、シー・シェパードの上告は棄却された。
 こうしたことから、シー・シェパード側が255万ドル(約3億円)の賠償金を日本鯨類研究所と共同船舶に支払うことで合意した。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150610-00000037-nnn-bus_all



この裁判、どうやらアメリカで行われたようですが、アメリカでこういう判決が出されたというのは大きな一歩になるのではないでしょうか。


先ほど、”このやり方、何かを思い出しませんか?” と記しました。
日米開戦前の ”ハルノート” と構図が似ていると私は感じました。

日本はWAZA加盟継続以外の選択肢はとらないだろう → イルカの追い込み漁はやめることになる

この筋書きありきな気がするのです。
そんな流れの中でのこの判決は、何かが動き始めるきっかけになってくれればよいのですが。

それでは、イルカの追い込み漁をやめさせたり、捕鯨を禁止にしたりするのは何故なんでしょうか?

こんな記事もありました。長いですが、例の如く全文引用します。

イルカ漁騒動で大儲けするのは誰か?
ダイヤモンド・オンライン 6月12日(金)8時0分配信

世界動物園水族館協会(WAZA)から4月、会員資格を停止された日本動物園水族館協会(JAZA)。背景には反捕鯨団体による圧力があったと言われている。反捕鯨団体は、日本を悪者にすることで大金を稼いでいるのが実情だ。

● JAZA会員資格停止騒動の裏に 反捕鯨団体の圧力が
 5月27日、日本動物園水族館協会(JAZA)の会員用ホームページが国際的ハッカー集団「アノニマス」からサイバー攻撃を受け、会員の電話番号やメールアドレスが流出していたことがわかった。
 JAZAといえばその少し前、4月下旬に、和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を「残酷だ」と問題視する国際機関「世界動物園水族館協会」(WAZA)から会員資格停止を通達されたことを受け、今後は追い込み漁で捕獲したイルカの購入をしないという苦渋の決断を下したことで国内外から注目された。
 WAZAという団体は、過去には北海道のクマ牧場を劣悪な環境だと改善勧告するなど動物愛護の精神に溢れている。イルカショーも基本はアウトという立場をとっているので改善を求めてくるなどは予想できたが、なんの前触れもなく「会員資格停止」という強硬手段に出た。個人的にはこれが非常に不可解だったのだが、JAZAの荒井一利会長が記者会見で述べたところによると、反捕鯨団体の影響らしい。
 「WAZAの通告の裏には反捕鯨キャンペーンがあったと思う。いじめという言葉が妥当かは分からないが、圧力があったのは間違いない」
 ややこしい話だが、反捕鯨団体に圧力をかけられたWAZAがJAZAに圧力をかけたという図式だというわけだ。ただ、そうだとすると別の疑問も浮ぶ。イルカ漁やらイルカショーへの抗議は年がら年中やっている。これだけでWAZAが動くとは到底思えない。
 だが、この「情報流出」を聞けば合点がいく。

● サイバー攻撃でイルカ漁情報を世界に拡散 ハッカー集団と反捕鯨団体の「連携プレイ」か
 JAZAの会員用ホームページには、各地で開催される会議の情報や報告のほか、加盟する施設がイルカなどを入手する方法や繁殖の記録なども保管されていた。また、流出されたと思しき情報がアップされていたのが、水族館でイルカやシャチを展示することなどに抗議をするサイトだったという。しかも、流出が判明したのは3月。WAZAから資格停止の通達があった1ヵ月ほど前のことだ。
 まず、アノニマスが日本の水族館の“イルカにまつわる内部情報”をネットに漏れさせる。次に反捕鯨団体がこれを取り上げて、鬼の首をとったかのように大騒ぎをし、「こんな酷い状況を放置しておいていいんですか? 」とWAZAを締め上げる。この“連携プレイ”によって、日本側にとって寝耳に水の「資格停止」となったとは考えられないか。
 もちろん、すべては推測だが、近年の反捕鯨団体とアノニマスの動きを考えれば不思議ではない。
 あらためて言うまでもないが、反捕鯨団体の本当の狙いはJAZAではなく、和歌山県太地町である。彼らが心底憎むイルカ追い込み漁を頑なに続けているというのはもちろん、この地が世界でも有数の「イルカ供給基地」ということが大きい。
 財務省の貿易統計によると、2009年9月~14年8月の鯨類などの生体輸出は計354頭。輸出先は中国216頭、ウクライナ36頭、韓国35頭、ロシア15頭など12ヵ国に及び、米国も1頭ある。現在、イルカ漁の生体販売は太地町以外に実績はない。つまり、これらの国の水族館のイルカ展示やイルカショーは、太地町が支えているのだ。
 反捕鯨団体「シーシェパード」(以下、SS)は、日本の捕鯨船への嫌がらせを誇らしげに「クジラ戦争」と呼ぶ。そのロジックで言えば、太地町は「イルカ戦争」の最前線。ここを潰せば戦局は大きく変わる。だから、SSの活動家は太地町に潜入して、漁師たちに嫌がらせをするなど“妨害工作”を働く。
 町役場や漁協に世界中から嫌がらせのファックスなど「紙爆弾」が送られるのも、戦意を喪失させるためだ。このように最前線で奮闘するSS活動家の“後方支援”に乗り出したのがアノニマスだ。13年11月に和歌山県や太地町のほか、22のサイトを名指しでサイバー攻撃すると宣言し、「我々の怒りの大きさを直視せよ」という声明を発表しているのだ。
 こういう経緯をあらためて振り返れば、WAZAによる「会員停止処分」は、実は反捕鯨団体やアノニマスによって綿密かつ周到に準備された“奇襲作戦”であった可能性は極めて高い。

● シーシェパードが仕掛ける「イルカ戦争」 動物愛護PRで大金が儲かる
 追い込み猟で捕獲したイルカをJAZA加盟水族館が買わないということになれば、「日本随一のイルカ供給基地」である太地町に大きなダメージを与えることができる。だが、そんな戦果以上に、太地町を孤立させることは、反捕鯨団体にとって大きなメリットがある。
 それは、「反捕鯨活動のPR」だ。
 反捕鯨団体に限らず動物愛護団体というのは、一般人はもちろんのこと、環境系企業や大富豪からの「寄付」によって成り立っている。当然、メジャーな活動にはたくさんのカネが集まるし、どんなに素晴らしい活動でも、「知る人ぞ知る」というようなマイナーなものだと集まりが悪い。だから、どうしても知名度がキモになる。
 これに加えて、じゃんじゃんカネが集まるためには必要不可欠な要素がある。「悪者」だ。
 動物愛護団体の「正義」を際立たせるためには、なんの罪もないいたいけな動物を、自分たちの利益のために殺すという「悪者」がいなくてはならない。そういう意味では、太地町はうってつけだ。
 ほとんどの日本人はイルカもクジラも食べない。ここに手をつけなくてはいけないほど、飢えているわけではない。にもかかわらず、一部の人々が自分たちの利益のためにイルカやクジラを殺しまくる。そんな野蛮な行為をやめてと訴えても、「文化」とか「調査」だと反論して耳を傾けない。
 そんな“悪の漁師町”がメディアによって世界に広まれば、必然的に反捕鯨団体のプレゼンスもあがる。「こんな酷い大量虐殺がまだ行われているとは知らなかった。こりゃなんとかしないと」という“意識高い系”のセレブやら、動物愛護なんかをCSRにしている環境系企業からチャリンチャリンとカネが集まるという仕組みだ。
 だから、動物愛護団体はエボラ出血熱を広めた原因でもあったブッシュミート(野生動物食)はあまり声高に批判しない。アフリカではイルカと同じく知能の高いほ乳類とされているゾウなどを殺して食料にする人々がいるが、これは貧困や食料問題のせいで明確な「悪者」がいない。南北問題なんかも複雑にからみあっていて、ヘタをすると、矛先が先進国へブーメランのように跳ね返ってくる恐れもある。その点、イルカやクジラの場合、安心して日本を「悪者」にすることができるというわけだ。
 いやいや、宇宙船地球号の仲間たちを守るラブ&ピースな人たちが、そんな打算で動くわけがないだろう、とブーイングが寄せられるかもしれないが、事実として、このような「対立軸」をつくりだすことに成功した動物愛護団体には巨額のカネが舞込んでいる。
 その代表がご存じ、SSだ。

●  映像を駆使する巧みな“広報戦略”で SSの収入は8年で10倍以上に
 産経新聞によれば、SSの04年の収入は120万ドル(約1億4000万円)に過ぎなかったが、8年後の12年には1365万ドル(約16億2000万円)と急成長を果たしている。ここに貢献したのが、日本という「悪者」の存在であることは言うまでもない。
 捕鯨船に体当たりをして邪魔をする。イルカ漁の網を切る。この8年間で、悪の組織に対して猛然と立ち向かう反捕鯨団体という対立軸を見事に確立したのである。そこで彼らの武器になったのが「映像」だ。
 SSはかねてからイルカ漁や捕鯨を行うデンマーク領フェロー諸島などで大暴れし、「エコテロリスト」なんて呼ばれて問題視されていたが、メジャーになったのは07年からスタートしたアニマルプラネットの「クジラ戦争」という番組によるところが大きい。
 SSの抗議活動に密着して、彼らがいかに捕鯨船を邪魔するかを迫力満点の映像で紹介するリアリティ番組はすぐに大人気となり、シーズン2にいたってはアニマルプラネット史上2位の高視聴率を叩き出して130万人が視聴をした。SSが日本の捕鯨船に対して派手なアクションをとる時は、だいたいヘリコプターが飛ぶ。これはテレビカメラで空撮をおこなっているからだ。彼らの抗議活動は、いかに“いい画”を撮るかでもあるのだ。
 こうした「映像作品」によってSS関連グッズが売れる。番組を見たハリウッドセレブから多額の寄付も寄せられる。こういう流れが一度できてしまうと、もう止まらない。
 視聴者やスポンサーは「悪者」には、よりそれらしいふるまいを望むものだ。そして活動家たちは、日本を強引にそういうキャラクターにしたて上げていく。
 たとえば抗議活動中、日本の捕鯨船にSSの活動家が乗り込んできたことがある。彼らは捕まる気マンマンで歯ブラシなんかのお泊りセットも持参し、「天ぷら食べたい」とか言いたい放題だったというが、後に解放されてから、「酷い虐待を受けた」などと言い出した。寄付ビジネスのためというのはわかるが、日本からすれば、やはり気分のいいものではない。

● クジラ戦争で培ったノウハウで イルカ漁が断罪された
 そんな「クジラ戦争」で培われた映像による対立軸設定の集大成が、太地町のイルカ漁を扱ったドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」である。
 和歌山県のホームページで、《イルカの捕殺現場を隠し撮りし、命が奪われていく所をセンセーショナルに映し出してい》るとあるように、日本側は撮影手法や構成がかなり偏っていると批判している。
 実は、この映像作品を手がけたのはSSのOBだ。彼らが10年以上も磨き上げてきた「対立軸を煽る」という手法がふんだんに使われているのは、ある意味で当然だろう。
 実際にその効果もてきめんに出ている。「ザ・コーヴ」がアカデミー賞をとってからというもの、太地町や漁協への「紙爆弾」は激しさを増し、「変態民族め」という誹謗中傷や、戦時中の死体画像とともに南京事件と結びつけるような文面もでてきたという。
 このような反捕鯨団体の緻密なPR戦略によって、日本は完全に「悪者」に仕立て上げられてしまっているというわけだ。こういう状況で、「伝統文化だ! 」とか「お前らだってスポーツハンティングしているだろ」みたいな反論をしたり、お役所のホームページで「公式見解」を示したりしても、ほとんど意味はない。というか、逆効果だ。
 たとえるなら、北朝鮮が核実験を世界中から非難されて、国営テレビの女性キャスターが怒って反論をしているのを見た我々が、「やれやれ、またおかしな理屈をふりかざしているよ」と思うのと同じような感想を抱かれるのがオチだ。

● 日本側が態度を硬化させれば逆効果 映像コンテンツでPRし返せ
 では、どうするか。彼らの「勝因」は反捕鯨活動というものを、さながらアメリカンプロレスのようなエンターテイメント性のある映像コンテンツにしたことである。これにカウンターを打つには、やはり映像やエンターテイメントで日本の正当性を訴えるしかない。
 ドキュメンタリーをつくるのもいい。実際に、同じくSSの標的になっているフェロー諸島では、イルカ漁がいかに地域文化や経済に根ざしているかというPRビデオをつくっている。アニメやマンガがクールジャパンだというのなら、そういう武器を使うのもいい。
 SSのような反捕鯨団体が最も喜ぶのは、今回のような圧力を受けて、日本国内で「文化を守れ」とか「欧米にガタガタ言われる筋合いはない」という世論が高まることだ。
 日本が態度を硬化させて、ノルウェーやアイスランドのようにIWC(国際捕鯨委員会)を無視して商業捕鯨を継続してくれれば、なおさら都合がいい。国際世論から孤立すれば、なんの気兼ねもなく「正義」の戦いを遂行できる。以前の大戦の時から、日本はこういう西側諸国の包囲網戦略に弱い。
 日本のイルカ漁、捕鯨関係者のみなさんは相手の挑発に乗ることなく、ぜひとも「PR」という戦いの方に力を入れていただきたい。
窪田順生


日本が今すべきことは何か。  

Posted by 木霊 at 15:00Comments(0)伝統・文化

2014年09月08日

厄年に子供が生まれた場合

『諸國風俗問状答』 という書物があります。
昭和17年に刊行されていますが、文化10年ころに編纂に取り掛かった 「諸國風俗問状答」 を活字化したもののようです。

この書物の中に 「和歌山風俗記」 というのがありますが、そこには厄年についてこんなことが書かれています。

一、男四十一歳に男兒出生して、四十二歳の歳になれば、四十二の二つ子といみきらひて産れし時、他人の子になすとて捨子として、他人の方へ拾いもらふやう使し置、禮物の酒肴などおくりてもらひ戻す事なり。・・・(中略)・・・男四十二の年(ママ)に二歳なる子にても、女子なれば、却つてよしとの云ひならはせなり。


つまり、男性が41歳の時に男の子が生まれると、「42の2つ子」といって縁起が悪いとされ、一旦(形式的に)捨て子にして他人の子とするのが良い。拾ってもらう人にはお礼をして子供を返してもらう。男性42歳の時に2歳の子供がいてもそれが女の子であれば良いことだととも云われる。

という意味でしょうか。尚、江戸時代に記されたものですから、ここで記されている年齢は全て数え年です。
42歳というのは男性の本厄(大厄)です。新生児は数え年では1歳ですから、父親が41歳で生まれた子は、翌年2歳になります。
つまり42歳の父親に2歳の子供となるわけです。

厄年に生まれた子に災難がないようにと、形式的に捨て子にする習慣はいろんな形で全国にあるようです。
私が知っているのは、出産する母親が厄年の場合というものです。
同じように、拾ってくれる人を予めお願いして、その家の玄関に置いて捨て子にし、その後返してもらうという風習でした。

「和歌山風俗記」ですから、和歌山の風習としては父親が本厄で、その子供が男の子で2歳というのは災難になるということでしょうか。
ですから、生まれたときに一旦捨て子にして他人の子として、他人の子を引き取ることで自分の子ではないという形にするのでしょう。

現在、和歌山でこの習慣に従っている方っているのでしょうか・・・。  


Posted by 木霊 at 12:03Comments(0)伝統・文化