2011年11月23日
離婚に際しての式典?
気になったニュースの2件目です。
結婚式に対して「離婚式」というのが最近行われるそうです。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20111121/116114/?ref=top-shin
一緒に生活してきた関係を抹消して、それぞれが新たな1歩を踏み出すためのケジメの儀式という位置付けとのことですが、その内容を見ると私にはおよそ理解しがたいものです。
そもそも流れが結婚式を模倣して組んでいますから、意味不明なものがいくつかあります。
ちょっと挙げてみますと・・・
「旧郎旧婦」・・・結婚式の「新郎新婦」に対しての意味なのでしょうが、そもそも日本語として意味不明です。
「裂人(さこうど)」・・・結婚式の「仲人(なこうど)」に対してなのでしょうが、仲人は結婚する二人の仲を取り持った方という意味です。それに照らし合わせるのなら二人の仲を引き裂いたひとということ?
そういう意味ではないと注記がありますが、それならそんな役割をつくる必要がそもそもないと思います。
友人代表の挨拶なども必要なのでしょうか?
「離婚届への署名捺印」・・・人前式などで執り行われる婚姻届への署名などに対しておこなうのでしょうが、この行事のみが私的には「まぁ理解できなくも無い」というレベルです。
この後に、子供を育てることに関しては二人が協力してゆくことを誓うようですが、なんかこれも割り切れない行事ですね。勿論子供の視点からすれば、両親共に仲良く接したいと思いますし、「子の福祉」という観点からも当然必要なことではありますが・・・。
「結婚指輪をハンマーで叩き壊す」・・・指輪交換に対してだそうです。なんかここまでくると笑ってしまいます。ちなみに「旧婦」は指輪を質に入れて現金化するということで「旧郎」の指輪だけが行われたそうですが、私は元奥様の判断に賛同します。
「会食」・・・そもそもこんな会食で何を話すのか良く分りませんが、その間に結婚生活を送った期間のスライドが上映されるそうです。何のために?意味不明です。
ちなみに参列者は「喪服」に身を包んだ方もいらしたいるとか。確かにどんな服装で出席したらよいのかすら困惑してしまいますね。
記事の最後には
別れを祝う離婚式を挙げられるのは、ある意味“いい夫婦”でないとできないことなのかもしれない。
と締めくくっていますが、確かにこんな式ができるのは「それなりに円満な別れ」がまとまった場合しか出来ませんね。そもそもそんなことが出来るのであれば、少し努力すれば夫婦として継続できるのではないかとも思いますし、それでも離婚するとしても「それなりに良い関係」でお付き合いが出来るようにも思いますから、この式の意味が良く分りません。
そして、もっとも根本的な疑問が、一体「何に対して離婚を告げる(報告する・誓う?)」のかということ。
なんか一番大事な部分が抜け落ちて、見た目だけの行事を行っているように思います。
私なら、両者揃ってこんな行事をするくらいなら、それぞれが別々に親しい友達と一緒に会食や飲み会を開いて、友人・知人に再出発を誓うほうがよっぽど良いと思います。
「ちょっとしたつぶやき」のつもりが随分と長くなってしまいました。
でも内容的にはどうでもよいことなので、分類は「ちょっとしたつぶやき」のままにしておきます。
結婚式に対して「離婚式」というのが最近行われるそうです。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20111121/116114/?ref=top-shin
一緒に生活してきた関係を抹消して、それぞれが新たな1歩を踏み出すためのケジメの儀式という位置付けとのことですが、その内容を見ると私にはおよそ理解しがたいものです。
そもそも流れが結婚式を模倣して組んでいますから、意味不明なものがいくつかあります。
ちょっと挙げてみますと・・・
「旧郎旧婦」・・・結婚式の「新郎新婦」に対しての意味なのでしょうが、そもそも日本語として意味不明です。
「裂人(さこうど)」・・・結婚式の「仲人(なこうど)」に対してなのでしょうが、仲人は結婚する二人の仲を取り持った方という意味です。それに照らし合わせるのなら二人の仲を引き裂いたひとということ?
そういう意味ではないと注記がありますが、それならそんな役割をつくる必要がそもそもないと思います。
友人代表の挨拶なども必要なのでしょうか?
「離婚届への署名捺印」・・・人前式などで執り行われる婚姻届への署名などに対しておこなうのでしょうが、この行事のみが私的には「まぁ理解できなくも無い」というレベルです。
この後に、子供を育てることに関しては二人が協力してゆくことを誓うようですが、なんかこれも割り切れない行事ですね。勿論子供の視点からすれば、両親共に仲良く接したいと思いますし、「子の福祉」という観点からも当然必要なことではありますが・・・。
「結婚指輪をハンマーで叩き壊す」・・・指輪交換に対してだそうです。なんかここまでくると笑ってしまいます。ちなみに「旧婦」は指輪を質に入れて現金化するということで「旧郎」の指輪だけが行われたそうですが、私は元奥様の判断に賛同します。
「会食」・・・そもそもこんな会食で何を話すのか良く分りませんが、その間に結婚生活を送った期間のスライドが上映されるそうです。何のために?意味不明です。
ちなみに参列者は「喪服」に身を包んだ方もいらしたいるとか。確かにどんな服装で出席したらよいのかすら困惑してしまいますね。
記事の最後には
別れを祝う離婚式を挙げられるのは、ある意味“いい夫婦”でないとできないことなのかもしれない。
と締めくくっていますが、確かにこんな式ができるのは「それなりに円満な別れ」がまとまった場合しか出来ませんね。そもそもそんなことが出来るのであれば、少し努力すれば夫婦として継続できるのではないかとも思いますし、それでも離婚するとしても「それなりに良い関係」でお付き合いが出来るようにも思いますから、この式の意味が良く分りません。
そして、もっとも根本的な疑問が、一体「何に対して離婚を告げる(報告する・誓う?)」のかということ。
なんか一番大事な部分が抜け落ちて、見た目だけの行事を行っているように思います。
私なら、両者揃ってこんな行事をするくらいなら、それぞれが別々に親しい友達と一緒に会食や飲み会を開いて、友人・知人に再出発を誓うほうがよっぽど良いと思います。
「ちょっとしたつぶやき」のつもりが随分と長くなってしまいました。
でも内容的にはどうでもよいことなので、分類は「ちょっとしたつぶやき」のままにしておきます。
Posted by 木霊 at 14:06│Comments(2)
│ちょっとしたつぶやき
この記事へのコメント
木霊さま
お久しぶりで
ございます。
離婚式なるもの
串子も不思議に
思っておりますが
結婚式に対しての
抵抗意識かな と
解しております。
ただ単なる言葉として
結婚は明のイメージが
ありますが
離婚は暗のイメージなんでしょうか。
最近は離婚することで
明になる方も多いようですが…。
木霊さまのおっしゃる通り、
これからも仲良くアピールは
離婚式しなくとも
できると思いますね。
離婚を負(暗)と
とらえる方が
離婚式をすることで
それを払拭したいのでしょうか。
お久しぶりで
ございます。
離婚式なるもの
串子も不思議に
思っておりますが
結婚式に対しての
抵抗意識かな と
解しております。
ただ単なる言葉として
結婚は明のイメージが
ありますが
離婚は暗のイメージなんでしょうか。
最近は離婚することで
明になる方も多いようですが…。
木霊さまのおっしゃる通り、
これからも仲良くアピールは
離婚式しなくとも
できると思いますね。
離婚を負(暗)と
とらえる方が
離婚式をすることで
それを払拭したいのでしょうか。
Posted by 串子 at 2011年11月23日 15:21
串子さま
コメントありがとうございます。
私が疑問に感じたのは「離婚式」の目的と形態が一致していないのではないかという点なんです。
二人のけじめというのであれば二人とそれを見取ってくれるかたにすればよい。若しくは、神社やお寺、教会で式をされたのであればその場所にその報告をするのが筋ではないかと。
紹介しているサイトに記されているように、「離婚式」に招かれた友人達が本人達への接し方に困惑しながら出席しているというところに、一番大きな不自然さを感じるんです。
これからも仲良くやってゆくなら、わざわざ結婚指輪を壊すことを見せびらかす必要はないと思いますし、二度と会いたくないのであれば当然こんな儀式はナンセンスです。
もし仮に「離婚式」なる行事に意味を見出して行うのであれば結婚式を模倣した進行ではなく、その本旨に沿った進行を考え出して行う必要があると、私は考えるのです。
コメントありがとうございます。
私が疑問に感じたのは「離婚式」の目的と形態が一致していないのではないかという点なんです。
二人のけじめというのであれば二人とそれを見取ってくれるかたにすればよい。若しくは、神社やお寺、教会で式をされたのであればその場所にその報告をするのが筋ではないかと。
紹介しているサイトに記されているように、「離婚式」に招かれた友人達が本人達への接し方に困惑しながら出席しているというところに、一番大きな不自然さを感じるんです。
これからも仲良くやってゆくなら、わざわざ結婚指輪を壊すことを見せびらかす必要はないと思いますし、二度と会いたくないのであれば当然こんな儀式はナンセンスです。
もし仮に「離婚式」なる行事に意味を見出して行うのであれば結婚式を模倣した進行ではなく、その本旨に沿った進行を考え出して行う必要があると、私は考えるのです。
Posted by 木霊
at 2011年11月23日 16:15
