2018年05月02日

神社の参道の中央を歩いてはいけないのか?

ここ数年、神社での参拝作法などをテレビや雑誌などで取り上げてくれています。
一時期に比べると、手水をきちっと取ってから参拝する人が増えたようにも思います。

ところで、神社での参拝作法を説明する一連の流れの中で、「参道の中心は神様の通り道だから通ってはならない」というのがあります。
確かにもっともらしく聞こえるので実践している参拝者も多くいらっしゃいますし、同行者が参道の中心を歩いていると注意している人もしばしば目にします。
一方で、我々神職は祭典での参進などでは参道の中心(正確には少しだけ中心を外すのですが)を歩きます。

参道の中心を歩くことについては興味深い資料があります。
江戸時代前期に編集されたとされる 『神拝式類集』 という書物に次にような文章があるそうです。
凡参道歩行於中央事、可有思慮

およそ参道の中央を歩行するのこと、思慮あるべし とでも読むのでしょうか。
「参道の中央を歩くときは慎みの心を持ちなさい」という意味であろうと解釈されています。

この書は参宮の次第について纏めたものとのことで、つまりは神職ではなく一般に向けたものということになります。
したがって、江戸時代前期頃においては 「参道の中央を歩くべきではない」 ということにはなっていないのですね。

これは非常に興味深いことです。  

2018年04月30日

アベガー、アベガー

4月8日に松山刑務所から逃走した平尾容疑者が逮捕されたとの報がありました。

愛媛県の松山刑務所から逃走し、瀬戸内海の向島に潜伏しているとされ、警察は何度も山狩りをして捜索しましたが発見できませんでした。
警察は当該に出た形跡がないとして捜索を続けていましたが、逮捕されたのは広島市南区。向島から直線距離で65kmも離れているということです。

逃走中のニュースでは「治安が・・・」とか「危険で夜も眠れない・・・」などの報道もありましたが、平尾容疑者は窃盗犯であり、また収監中は模範囚であったとのことですので、これらの報道には私は少し違和感を持っていました。
逃走したのが連続殺人犯とか無差別殺人班とかであれば、報道のコメントも分かるのですが・・・・。
(実際に逃走にあたって窃盗もおこしているようなので、全く治安に問題がなかった訳ではありませんが、ニュースの意図はたぶん違うので・・・)

さて、平尾容疑者の身柄を拘束した報に対して、SNSでもいろんなコメントが流れていましたが、やはり中には意味不明なものがありました。

結局、島にはいなかったってこと。
島にいる!とずっと探してた適当さの責任は誰がとるの?

そもそも、松山刑務所だっけ?
塀のないところ。
塀のない刑務所を長年受け入れてきた住民の責任、刑務所は刑務所として、分厚く、背の高い塀を作ってこなかった今までの法務大臣や法務省、自民、公明、民主の過去と今の政府、自治体の責任やろ。
コレも安倍晋三の政権で起きてる。

刑務所はしょせん刑務所。
塀は必要。
塀のない刑務所なら、わざわざ実刑にする必要もない。
実刑は塀のある社会と完全隔離されたところで刑が執行されるから刑務所やろ。
そんな刑務所になんて、塀の中になんて行きたくない!として犯罪の抑止にもなってる。


前段はわかります。私もそう思います。
島からは出ていないと山狩りを何度も行って、結局の所島からは出ていたというのは、警察の捜査能力が疑われます。
これは大きな問題だと思います。

しかし中段はおかしいですね。
調べてみると松山刑務所というのは古くからあったようです。現在の「大井造船作業場」が開設されたのは昭和36年のことのようです。
その後、昭和47年に刑務所の敷地が移転したり、平成15年に増築されたりしています。
したがって

「分厚く、背の高い塀を作ってこなかった今までの法務大臣や法務省、自民、公明、民主の過去と今の政府、自治体の責任」

という意見はわかりますが、「安倍晋三の政権で起き」たことではありません。
なんでも 「アベガー、アベガー」というのはやめましょう。

そして後段ですが、なぜ塀のない刑務所が存在するのかということです。
刑務所は基本的には刑を執行する場所として存在しますが、社会復帰のための支援をする施設という側面を併せ持つ刑務所もあります。
松山刑務所大井造船作業場は社会復帰支援色の極めて強い施設であり、日本で唯一の塀のない刑務所として知られています。
ここでの受刑者の生活は、非常に厳しい規律での生活であり、些細なミスでも厳しい指導を受けるようです。睡眠時以外は高い緊張感を持った生活を強いられるため、本所に戻ることを希望したり、また喫煙や飲酒などの規則違反によって本所に移送される受刑者もいるそうです。
これだけ厳しい環境での生活を送るため、出所後の再犯率は非常に低いという特徴があるようです。また仮釈放が早くなり、刑期が短くなるという利点もあるそうです。

「刑務所になんて、塀の中になんて行きたくない!として犯罪の抑止にもなってる」

というのは、御説ご尤もでありますが、一度でも犯罪を犯した人間を認めないというのもいかがなものであろうかと、難しい問題です。

開放型刑務所の存在意義については「なるほど」とは思いますが、しかし開所以来、平成30年4月までに17件20人の逃走事案があったというのは大きな問題だと思います。この点については、しっかりと改善や見直しが必要ではないでしょうか。
  


2018年03月28日

「譲位」と「退位」

以前、このブログでは「譲位」と「生前退位」について取り上げました。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

都合、何度か御代替わりについても記してきました。
余談ですが、先般とあるアナウンサーが 「御代替わり」 を 「おん、だいがわり」 と読んでいました。これって「みよがわり」のはずなんですが・・・。

さて、御代替わりまであと1年余りとなり、関連の報道も増えてきました。
当初は「生前退位」などという言葉も用いられており、私は非常に不快に感じましたが、さすがに ”生前” は消え、「退位」という表現に落ち着いたようです。
http://itakiso.ikora.tv/e1240321.html

一方で、陛下が位を退くことについては「譲位」という言葉もあり、「退位」と「譲位」についていろいろと議論があります。
政府は「譲位」ではなく「退位」という言葉を用いていますが、それはなぜなのか、腑に落ちる記事があったので以下に転載します。

大祓の時に「諸々聞食せと宣る」のあとに諸員が「オー」と唱へるのを「称唯」と書いて「イショウ」と読む。漢字の順番通りなら「ショウイ」と読むのは、「ショウイ」が「ジョウイ」と通ずるのを憚っての有職読みとされてゐる。古人は「譲位」でさへ憚ったのであり、まして「退位」の語を軽々しく使用するのは不敬なことに違ひない。


つまり、「譲位」を連想させる「ショウイ」という言葉すら使用することを避けたのだから、まして「退位」などを用いるのは不敬に違いないと昔の人達は思っていたのだろう、ということです。
そもそも「譲位」と「退位」は、共に位を退くことを意味しますが、そのニュアンスは少し異なります。
「譲位」は文字通り 位を ”譲り” 退くわけですが、「退位」は 位を退く ことを意味するだけです。
つまり意味的には 譲位<退位 であり、譲位は退位に含まれるわけです。
そして、その違いから、やがて「退位」には、天皇の意思と関係なく位を退かされる場合に用いられる、という理解になったとも言われます。

改めてまとめるならば、
 ・天皇が位を退く意思をもっての「退位」を「譲位」
 ・単純に天皇が位を退くことは一様に「退位」と言っていたが、上記のことから、意思を伴わない場合を「退位」
と使い分けるようになった、との解釈が一般的になっているようです。
そして、それ故に今回の御代替わりは「譲位」であって「退位」ではない、という論調が多数を占めているのでしょう。

さて、記事は次のように続けます。

 だが、その「退位」の語を、なぜ政府が使用し、特例法に明記し、これを国会で承認したのか。この点を踏まへて不敬かどうかを、情感だけでない、法制的課題としても理解する必要があるのではなからうか。
 政府は「譲位」の語を使用しなことに徹底してゐる。それは「譲位」といふと、それが天皇の意思ないしは発意によってなされることになるからとされる。それは憲法違反になるので、天皇が自らの意思で御位に就くことも、また退くこともできないとの法理を厳守しようとしてゐるのである。


以上 「神社新報」平成30年3月26日付 神奈川県瀬戸神社 佐野和史宮司の投稿記事より抜粋転載


日本国憲法の第4条には
天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。

とあります。つまり憲法の規定では天皇がその位に就くことも、また退くことも、全て憲法及び法律によって決められるものであって、天皇御自らの意思であってはならないと解釈されるのです。
したがって、「譲位」の語を用いることは、天皇が御自らの意思により帝位を退くことを意味するために、政府は「退位」を用いることにこだわるのだという理解です。

日本国憲法第9条を厳密に解釈するならば、自衛隊が存在することは憲法違反となる訳ですが、現実にはそうならずに世の中は廻っています。
今回の御代替わりにおける「譲位」と「退位」の用語使いは、自衛隊の問題に比べれば些細なことのようにも見えますが、しかし我が国の根幹たる皇室のこと。それも天皇陛下の御事ですので、万が一もあってはならないことです。
残念ながら、日本国内、否日本人の中にも天皇陛下の御存在、皇室の御存在を快く思わない人が存在する御時世ですので、万難を廃するのは止むを得ないとも思います。

しかし、翻って、その様な不自由な憲法がそもそもおかしいのではないかと、改めて思うのです。
今上陛下は、初代神武天皇より数えて第125代目。初代神武天皇が即位されてから、今年は2678年が経ちます。
たかだか施行後100年にも満たない日本国憲法で規制できるものではなく、実態に合わせて憲法を制定すべきであろうと思います。

先日の自民党党大会で、安倍晋三総裁は憲法改正に強い決意表明をされました。
日本人による、日本国らしい憲法を1日も早く制定して欲しいと強く願うところです。  

2018年03月15日

こども食堂

鳴神子ども食堂

「こども食堂」って聞いたことありますか?
最近、テレビなどでも時々取り上げられるので、聞いたことあるという方はいらっしゃるかもしれません。
実際に言ってみたことある方、いますか?

名前だけ聞くと
子供たちが料理したものを食べる場所だろうか?
とも思ったりしますが、そうではなくて
・両親の共働きなどで孤食になっている子供たちを温かい環境で食事をしてもらう
・子供と地域の大人との繋がりをつくる
などが目的で始まったものだそうです。

先日お邪魔したのは「鳴神こども食堂」。実は2回目の参加です。
最初誘われた時は、その主旨などから、行って一緒に座った子供たちとおしゃべりしながら食べるのだろうかなどと思っていましたが、少し遅れてしまったので子供たちは食事が終わって遊んでいました。
皆さん食べ終わった頃にちょっとした講座のようなものがあって、子供たちも一生懸命聞いていたのが印象的でした。

今回は始まってすぐ位の時間に到着。来ている子供たちは、ほぼお母さんと一緒。中にはご両親だったりお祖母ちゃんだったりと一緒の子もいました。いずれにしても こどもだけ での参加はいなさそう。
そういう意味では、この辺りでは 「孤食」 の子供たちは少ないのかもしれません。

一緒に食事をさせてもらいながら、子供たちやお母さん方の様子を見ていましたが、まず感心したのは 野菜・魚を主とした煮物中心の料理を子供たちも喜んで取っていること。
メインのカレーも、実は大根が入っていて、しかも茄子は擦って入れられていると、調理ボランティアのスタッフからこっそりと教えてもらいました。

この日のメニュー(一例)

また、お母さん方は、子供たちの食事中は勿論、子供が食べ終わって遊んでいる間も、スマホをいじる様子は殆ど無く、子供の様子を見ていたり、母親同士で情報交換していたりと、非常に良い雰囲気でした。

地域ごとに抱える問題は異なりますし、なによりどこも有志ボランティアによる取り組みですから、画一的な手法はありません。
食堂ごとに特色も違うと思います。でも、足を踏み入れてみることで、その地域の様子は分かると思います。
こども食堂の取り組みは全国各地で展開されているようですので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
  

2017年09月28日

日本をリセット??

政治ネタの連続投稿でスミマセン。
もっともこのブログは神社とは直接関係ないけれど、間接的には関係がありそうなことを、私が思うがままに書き記すためのブログなのですが・・・。

さて、衆議院が解散されましたが、その解散を前に、小池都知事が新党を立ち上げました。
( 「しんとう」と入力するとまず「神道」がでてくるのが私のPC・・・苦笑)

この小池新党に対するマスコミの注目度は大きく、既に大きな話題となっており、おそらく今回の選挙戦では 希望の党 の獲得議席がマスコミの大いに注目するところとなるでしょうし、そこに焦点をあてて選挙報道もなされると思います。
しかし、本当に日本の未来を考える方々には、ここから先の文章を読んで、希望の党に票を投じるのが是か否か、よく考えてほしいのです。

その新党「希望の党」にはやくも注目が集まり、どうやら難破寸前(既に難破していたという声はとりあえず置いといて)だった民進党前原丸は、乗組員(党員)の救済処置として「希望の党」からの出馬を認めるという発言をしたようですね。

民進党からの出馬でとうなるのか先行き不安だった候補者の方々にとっては、文字通り「希望の党」になったかもしれませんが、早々と民進党からの離党を決め、「希望を持って」小池新党の扉を叩いた人たちにとっては果たして「希望の党」と言えるのでしょうか。

とまぁ、冗談めいた話はさておき、この 希望の党 の結成には気をつけておかなくてはならないところがあると、私は感じています。


私がいろいろな政治家さんの意見を拝見拝聴する際に最も氣にしているのは、「この人は一体自分の生活するこの日本という国をどのように考えているのだろうか」という点です。
極端に言うと、どれだけその人が唱える施策政策が優れていて納得できうるものであっても、この1点がどうしても納得出来ない場合は、私はその人を心から信用することはできません。
逆に、どれだけ施策政策行動に疑問を感じようとも、この1点がしっかりと合致し、そしてゆらぎ無いと見える方であれば、出来る限り応援したいと考えます。


この私にとってキーとなる1点において、新党結党記者会見の中で、小池代表は信じられない発言をしました。

ニュースなどでも取り上げられていますが
「しがらみのない政治、大胆な改革を築く。日本をリセットするために希望の党を立ち上げる」
と宣言したそうですね。
これは私にとっては全く持ってアウトな発言です。

「日本をリセットする」
この言葉はどういう意味なのでしょうか?

かつて坂本龍馬は 「日本を今一度せんたくいたし申候事」 と、姉 乙女 に宛てた手紙で書いています。
雰囲気的にはこの坂本龍馬の言葉に似ていますが、言っている内容は全く違うと解釈できます。

洗濯とリセットでは全くことなります。
リセットとは全てを元に戻して最初からやり直すことを言います。
洗濯は違いますよね。洗濯してもその服は新品のようにはなりません。


日本をリセットする

なんとなく、日本が再出発するようで、キャッチーな感じはします。
でも、これ解釈によってはとんでもないことです。

日本が初期状態に戻るとはどういうことなんでしょう?
そもそも日本はいつから始まっているのでしょうか?

一般に、神武天皇の御即位から日本の国は始まったと考えられます。
現在、国民の祝日である 2月11日の建国記念の日も、その背景には戦前の紀元節があり、紀元節は神武天皇の御即位に由来する日です。

さて、その日本をリセットするとはどういうことなんでしょうか?
これまでの2700年近い歴史を無にして再出発するという意味にもとれます。
「小池代表の中ではそこまで考えてはいない」 という反論も出てきそうですが、しかし我が国の政党の代表者がそんな見識では困ります。
蓮舫氏が民進党党首だったときにも、あちらこちらでお話したり書き記したりしましたが、政党党首(代表)たる者、もし与党となれば首班指名を受ける訳です。つまり我が国の舵取りをする立場になるわけです。そういう立ち位置にあるということを自覚すべきだと思います。
小池都知事が、ただの都知事であったり、一国会議員であればそこまでは言いません。
まぁ見識の甘い人だなぁくらいで見逃します。
しかし、政党代表者となると看過できません。

しかも、昨夏には天皇陛下から、ご自身の身の振り方にについて御発言がなされた状況です。
政府は御発言を鑑み、平成30年を目安に御代替わりを進めています。
天皇の御代替わり、それも近代日本になって初の譲位が行われようとするこのタイミングに 「日本をリセット」 という発言は、ひとつ間違えば亡国発言とも取られかねない暴言です。

いやいや、そんな解釈は右翼的解釈だと仰る向きもあるかもしれませんが、やはり政治家として、そして(理論上条件が揃えば)首班指名を受ける可能性のある立場になる人間としては、やはり不見識だと思うのです。
少なくとも、私はそのような見識の人に、日本の舵取りはおまかせできないと思うのです。

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