2014年11月04日

おまつり

11月になりました。秋は多くの神社でお祭りが斎行されますが、概ね秋祭りも終わったのではないでしょうか。

さて、いつも良く引用させていただいている 「神社新報」 から今回もちょっと引用させていただきます。
コラム的欄 「杜に想ふ」 に 「まつりの幟」 と題して、筆者が久しぶりに故郷へと列車の旅で帰る道中に感じたことが記されていました。
車窓に祭礼幟を見つけ、過疎化が進んでいるであろうその地域の祭礼の様子を思い浮かべた記述に続いて、次のような一節がありました。

東京暮らしが長くなったせゐもあるのか、知らず知らずのうちに神社の祭りは賑やかであって当たり前といふ錯覚に陥ってゐた。しかし、過疎地帯の神社では、露店が境内に立ち並ぶこともなく、総代が収穫したばかりのお米や野菜を持ち寄り、日々と変はらない静けさの中で神職と一緒にそれらを神前に供へて神を祭り、直会で互ひの労をねぎらふ、慎ましくも真心こもった祭礼が毎年繰り返されてゐるのが現実だらう。


その後、実際にはその祭礼をされている地域の方々も本当は若者が集まって賑やかに祭礼がおこなわれることを望んでいるだろうと続きます。そして、結びには次のように記されています。

神社の祭りは公共の祭祀、神社が公共の空間であるならば、限られた人間だけで祭祀がおこなはれればそれで良しといふわけにはゆくまい。久しぶりに祭礼の幟旗を目にして、改めて祭祀の厳修の難しさを思ひ知らされたのである。


新聞やテレビで報道される祭礼の様子はどれも賑やかなものばかりであり、場合によっては奇抜なものほど取り上げられる傾向があります。
その結果、多くの方は祭りは賑やかでなくてはならないと錯覚し、時には話題になるように変わったことをしようと思いつきます。
いろんな形で取り上げられることは良いことですが、祭りの本旨から外れて話題性を追いかけるようになってしまっては、それは既に祭りではなく「お祭り騒ぎ」でしかないと思うのです。
お祭りには、地域振興や観光振興といった祈りとは別の側面も持ち合わせています。しかし 「人が集まるから」「面白いから」 というだけの理由で、縁もゆかりもない行事をはじめてゆくのはいかがなものかと思うのです。

10月の最終日は、ハロウィンという西洋の行事が日本でも広く知れ渡りあちらこちらで仮装騒ぎが行われたとニュースで流れていました。
おそらくハロウィンの本旨とはずれてしまっているであろう日本での賑わいですが、もともと賑わい部分だけが導入されたような経緯ですからそれはそれなのでしょうし、楽しんでいる人たちを無礙に非難する気はありません。
こうしたいわゆる宗教(創唱宗教、布教をして広めてゆく宗教)の行事が、世界規模で画一的なのは当然として、日本古来の宗教(というよりは習俗習慣)としての神祭りは地域特性が極めて顕著なものだと思います。
しかし、今日的なメディアの発展と移動物流の高速化により、そういった地域差が少なくなっているのはなんとなくさびしい気がします。
勿論、お祭りは賑やかであるにこしたことはありませんが、その地域にはその地域にあった賑やかにする方法があって、それを見出して欲しいと思うのです。


タグ :お祭り

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