2015年12月18日

・・・遺産

「遺産」といっても、誰かが亡くなってその相続を行う 「遺産」 ではありません。
最近、何かと耳にする 「世界遺産」 などの 「○○遺産」 についてです。

当初からこの 「世界遺産」 という用語には違和感を感じておりました。

い‐さん【遺産】
1,死後に遺した財産。即ち人が死亡当時に持っていた財産。所有権・債権などの権利のほかに債務も含む。相続財産。
2,比喩的に、前代の人が遺した業績。「文化―」


『広辞苑』 には上記のように記されています。
勿論、「世界遺産」 は2の意味でつかわれている訳ですね。

前日テレビを見ておりましたら 「夜景遺産」 というものを紹介していました。
ググってみると、こんなサイトがあり、事務局があるのですね。
「日本夜景遺産」 http://www.yakei-isan.jp/

素晴らしい自然や文化財、そして美しい夜景を観光資源として活用する、そこには ”あまり” 異論がないのですが、どうしても 「遺産」 という表現が気になる、というより個人的には気に入らないのです。

なにか 「遺産」 とつけられた時点でその場所なり風景は死滅して時間を停められてしまったような気がするからでしょうか。

「夜景遺産」 のニュースを見てそれほど時間が経たない中、こんなサイトの紹介も別件で頂きました。
代々木競技場・神宮の森世界遺産登録推進準備委員会

 代々木競技場は20世紀の最も美しい建築のひとつです。いまから約50年前、建築家・丹下健三によって設計された吊り構造のスタジアムは、内部空間はプレーヤーと観衆とが一体になり、外観は代々木という歴史ある風致地区に違和感なく溶け込む名建築として知られています。
明治神宮の森は、荒地につくられた人工の森が、約100年を経て多様な生物が共存する豊かな森へと成長した世界的にも稀有な例です。この植栽は、植生遷移の考え方をもとに本多静六博士らが100年先を見通して計画し、後世に残されたものです。
 先人たちによって残されたこうした建築・環境は、東京の真ん中にありながら、のびやかで晴れ晴れとした都市景観を育み、人々の憩いの場としてずっと愛されています。私たちは、代々木競技場および明治神宮の森一帯は世界遺産に登録してもらうべきだと考えています。
 しかし、こうした世界遺産となるべき都市景観を、ないがしろにするような建設計画が2016年6月に着工されます。渋谷区および三井不動産グループによる渋谷区庁舎建替え計画ですが、現在5階建ての旧庁舎、4階建ての公会堂を解体し、15階建ての新庁舎、6階建ての公会堂、そして公園側に39階建て・高さ約143mもの高層マンションが建設される予定です。
 代々木競技場第二体育館前の広場からわずか百数十mの位置に、こうした中高層建物がそびえ立てば、代々木一帯の都市景観を破壊し、公園通りを行き交う人々にも著しい圧迫感を与えます。歴史的建造物の眺望景観を保全するために、パリやロンドンのように一帯に厳格な高さ規制等を行うのが基本です。ちなみにケルン大聖堂は世界遺産ですが、対岸に高さ100m超の高層ビル建設計画のために、登録抹消の危機にさらされました。
 先人たちが100年の計で残してきた世界遺産にもふさわしい都市景観を、一部の人々の利益のために破壊してしまうのは、先人たちにも将来の世代にも申し訳ないと思います。ぜひ区庁舎建替え計画を見直して下さい。


キャンペーンの主旨には大いに賛同するところですし、代々木の森を守るために 「世界遺産」 に認定されることは非常に効果が大きいことも十分に理解した上で、この運動には賛同しかねるという自分がいます。
やはり 「遺産」 が直感的に引っかかるのでしょうね。

世界遺産は world heritage を訳した言葉ですが、
heritage
1,((文語)) (生まれながらに)受け継いだもの,親譲りのもの;継承物,遺産(◆特に,環境保護運動の中では,後世に伝えるべき自然環境・古代遺跡などを指す);伝承,伝統;天性,運命.
2,((文語)) 生まれながらの権利(birthright)
3,((文語)) 〔法律〕(1)相続された[され得る]もの.(2)世襲財産,相続財産,(特に)世襲の地所.

とありますから、「遺産」 としてしまった時に受ける日本語の語彙とはちょっと違うかもしれません。


かつて、著名な歴史学者 A・トインビー が伊勢の神宮を参拝した際に、「パルテノン神殿と並ぶ素晴らしさ」 と称賛し、その場にいた多くの日本人が高名な学者のこの言葉に日本文化を誇らしく思ったそうです。
しかしこのトインビーの賞賛に異を唱えたのが、我が母校の元学長先生。
「パルテノン神殿は既に遺跡となってしまっているが、伊勢の神宮は現代においても日々祭祀が営まれている。一緒にして欲しくない。」 と反論されたそうです。
多分、私の中には、この話が強く残っているのでしょう。