2014年08月15日

欲しがりません・・・勝つまでは・・・

今日は終戦の日です。
終戦記念日という人もいますが、この表現は適切ではないと思ってます。
ちなみに、本当の意味で(国際認識として)日本が終戦を迎えるのはもう少し後なのですが、まぁそれはそれとして・・・。

「欲しがりません勝つまでは」
「贅沢は敵だ」
などというのは戦時中の標語として有名ですね。
「贅沢は素敵だ」なんて変形があったとか、なかったとか・・・。

さて、先日朝日新聞社はこれまで報道してきた日本軍による従軍慰安婦の強制連行について誤報であったと発表しました。
誤報でなく捏造であって、その捏造の為に我が国はいったいどれほどの不利益を被ったのか真摯に考えてほしいと思うところではありますが、この新聞社はどこ吹く風な様子です。この件についても書きたいことは沢山ありますが今日は触れません。

いずれにしても、この従軍慰安婦の強制連行のような事実確認が取れないことも沢山吹き込まれて自虐史観の下で教育を受けてきた我々戦後世代には、自国に自信を持てない人が沢山います。しかし、最近は本当の日本を知ろうという人たちが随分と増えてきていると感じます。

先日、とある友人がSNSに 「この誤った歴史認識は敗戦によってもたらされた勝者目線の歴史であるから、改めるにはもう一度戦争をして勝つしかないのかもしれない」 と書いていました。
しかし彼は同時に、「原子爆弾が投下されて街が壊滅的に破壊された中で、彼の土地の人たちは新型爆弾を落とした連合軍を憎むのではなく、街を復興させなくてはならないと決意した」 とも書いていました。ここにある意味日本民族の素晴らしさがあるとも。

世界の常識からすると 「再び戦火を交えて勝利しない限り、敗者は勝者の意の下に動かされてしまう」 のかもしれません。
我々日本人も例に漏れず占領軍が残していった歴史観、教育方針、憲法などの諸制度等々に縛られてきました。
しかし停戦から70年近くを経た近年、ようやくこれらの呪縛から抜け出そうともがきだし、否、もがけるようになってきました。

私は捻じ曲げられた歴史観などを元に戻すには、倍の時間がかかるだろうと思っています。
つまり、今大きく舵を切れても、元に戻せるのは150年先ということです。当然、今生きている人たちは誰一人としてその成果を目にすることはできません。
それでも、やらなくてはいけないことです。日本という国が、日本という形で未来も存続するために。日本人が、日本人として生活するために。

本当の日本を取り戻すことは 「欲しがりません、勝つまでは」 ではなく、実行したいものです。