2013年11月16日

祈るということ

昨日11月15日は七五三の祝い日とされています。
七五三という呼び名や、その祝い日が11月15日と定められたいわれ等々については、「木の国神話の社 禰宜日誌」に記したことがありますし、いろいろなところでいろいろな方が記されたりお話しされていますので、ここでは割愛します。

さて、11月15日前後の週末になると、お祝いの子供たちが両親などと一緒にお参りに来られます。
多くのご家族が 七五三詣りの祈願をされ、御垣内で祝詞をあげてもらい、鈴祓いを受けるという参拝をされています。

お子様の晴れの日なので、大抵の御家族がカメラを持参して写真や動画を撮影されていますが、伊太祁曽神社では御垣内での撮影はご遠慮いただいています。
これは、神域内では撮影をするものではないというのも勿論ありますが、同時に家族の皆さんにはちゃんとお祝いの子供のこれまでの成長と今後の健勝を祈願してほしいという想いもあるからです。
我々神職は参拝者の祈願を神様にお伝えする役割を担ってはいますが、祈願主はあくまで参拝に来られた方々。
その祈願主が写真やビデオの撮影に一生懸命ではいけません。

ところで、中には子供に晴れ着を着せて写真だけ撮りに来ているご家族も見受けられます。
写真を撮りに来ることについてはあまり煩いことを言うつもりはないのですが、参拝すらしない家族というのはさすがにいただけませんね。七五三の意味を完全に忘れてしまっています。

そういえば、境内で行事が行われている時に、その参加者の中には全く参拝をしない方もしばしば見受けられます。
勿論、駐車場やそういった場所で行われている行事もありますので、そういう場合は気づいていないのかもしれません。
しかし、本殿を横切って参拝も一礼もしない方が最近増えているように感じます。それも結構良い年齢の方々に・・・。

祈るということ、手を合わせるということを、忘れてしまった日本人が増えているのでしょうか。
昔はよく「神様仏様が見ている」「お天道様が見ている」といって、他人の目がなくても悪いことはしないという教育が行われていました。
ここしばらく世間を騒がせている、食材表記偽装事件はこういった「神様仏様が見ている」という感覚を忘れてしまったからでしょうか。