2012年05月06日

国歌「君が代」の成立過程

今日で大型連休も終わりですね。
カレンダー通りだと4月28~30日、5月3~6日の合計7日間、5月1・2日を休みにすれば連続9日間の大型連休です。
これらのお休みの多くは祝日・祭日なのですが、どれだけの方が認識されていたでしょうか?

 4月29日 みどりの日
 5月3日 憲法記念日
 5月4日 みどりの日
 5月5日 こどもの日

祝祭日には、昔はどこの家でも国旗を掲揚したものですが最近ではほとんど見かけませんね。

この連休に、新聞スクラップの整理などをしていたのですが、国歌成立についての記事を見つけましたので転載しておきます。


「君が代」の旋律 ~その成立過程
皇學館大學教授 錦 かよ子

 元号が明治に改められた翌年、明治二年七月に英国王子エヂンバラ公の来朝にあたり、国歌の楽譜の提出を求められた。元首などが国賓として外国を訪問した折に、歓迎式典で両国の国歌を奏する儀仗敬礼などが、国歌慣例であったためである。しかし当時の明治維新政府の中枢は、誰一人として各国に国歌が存在し、外国儀礼上それが不可欠のものであることを知らなかった。
 このやうな事態を解決すべく、国歌の創作が薩摩藩軍楽隊員たちの熱意によっておこなはれた。なぜ薩摩藩が尽力したのか。それは、西洋式の軍隊を訓練するために、幕末からオランダ式の軍楽隊を訓練してゐたため、西洋音楽との接点が少なからずあったからと考へられる。
 明治二年には横浜で薩摩藩士による軍楽隊が改めて設立され、イギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長であるジョン・ウィリアム・フェントンは薩摩藩軍楽隊隊員に、国歌あるいは儀礼音楽の必要性を叙説。薩摩藩歩兵隊長であった大山巌がそれを受け、大山の愛唱歌である薩摩琵琶の「蓬莱山」より「君が代」を歌詞として選定し、フェントンに作曲を依頼して初代国歌が作られたとされてゐる。
 この曲は、国王を言祝ぐ英国国歌が手本にされたのあらうと言はれてゐるが、旋律と言葉が遊離する奇妙なものであり、国民の心を捉へる国歌にはならなかった。日本の言葉のアクセントや音節を無視し、西洋の旋律に無理やり歌詞をのせたと思はれる。賛美歌のやうな旋律を持つ国家になったのは、フェントンが日本語を理解してゐなかったこと、そして彼の作曲能力にも問題があったと言はれてゐる。
 その後、曲の改訂は明治九年に、海軍音楽長である中村祐康が「楽譜改訂の儀」を上申して動き出したが、世情は安定せず、翌年西南戦争が起こるなどして、改訂作業は進まなかった。この年フェントンは任期満了のためイギリスに帰国してゐる。明治十一年、海軍軍楽隊は様式をイギリス式からドイツ式に改めることになり、現行の国歌に深く寄与することになる音楽教師フランツ・エッケルトがドイツから招かれ来日した。
 明治十三年一月、海軍省から宮内省に対して正式に「君が代」の作曲が依頼された。宮内省は「君が代」の作曲を公募にし、数種の楽譜が海軍省に届けられたが、応募作品の数や応募者名は明らかにされてゐない。海軍軍楽隊長、陸軍軍楽隊長、式部職雅楽課の一等伶人・林廣守、海軍省雇教師エッケルトの四人によって審査がおこなはれ、その結果、林廣守の「君が代」が選ばれた。
 実はこの曲、伶人・奥好義が林廣守の長男・廣季と相談をしながら作曲したものらしい。二人は当時若手の雅楽員で、奥は後に高等師範学校の教授になった人物であるが、その後の奥の談話によると「林廣守に命じられて、『君が代』の歌に譜をつけただけで、それが国歌であるとは知らなかった。複数の者が作曲に当たった場合、その作品に上級者が代表者として記名し、個人の作品とはしない。それが楽部の慣例である」と語ってゐる。それゆゑに林廣守作曲といふことになってゐるのである。
 新しい『君が代』は雅楽調の旋律、壱越律旋の音階が用ゐられた。これに、海軍軍楽教師エッケルトが西洋風の和音を付け、吹奏楽譜に編曲して、新国歌『君が代』を完成させたのである。
 エッケルトの編曲は、日本伝統の音楽に和音がなかったことを踏まへ、その特性を活かした素晴らしいものだった。最初と最後の二小節の伴奏は和音をつけずユニゾンで奏する。つまり「♪きみがよは」まではユニゾンで、「♪ちよに」からハーモニーが付けられ荘厳さを醸し出してゐるのだ。エッケルトは次のやうにも語ってゐる。「『きみがよは』の部分はたとひ千万人集まって歌はうとも、いかほど多数の異なった楽器で合奏するにしても、単一の音をもってしたい。ここに複雑な音を入れることは、声は和しても日本の国体に合はぬ気がする、云々」。
 明治十三年十一月三日、天長節御宴会において、宮内省雅楽部吹奏楽員によってこの新しい『君が代』が初演された。評判は上々だったさうである。
 国歌の音楽としての条件は、○尊厳にして高雅なること、○外国音楽の模倣ではなく、その国独特の音律によること、○誰にでもたやすく歌ひ得ること――などである。雅楽に基づく『君が代』は、このやうな条件にも合致した上に、単純、素朴な中に言ひ知れぬ美しさを秘めてゐる素晴らしい国歌となった。
 この『君が代』が明治三十六年、ドイツにおける世界国歌コンクールで一等になったといふ歴史的事実がある。あまり外国のものを褒めない英国人が『君が代』を天上の音楽であると言って激賞したと言はれてゐるのも、頷ける気がする。もう一つ付け加へておかう。二十世紀を代表する大指揮者カラヤンは、「世界の国歌のうち最も荘厳なもの」と称へてゐたといふ事実を。


平成23年12月12日付け 神社新報
( 『神社新報』 は歴史的仮名遣いで記される新聞です)  


Posted by 木霊 at 10:04Comments(0)伝統・文化