2011年08月03日

日本人と原子力発電

茅輪祭との関係でしばらく「つぶやき」をお休みしていましたが、片付けも概ね目処がついたので再開したいと思います。

東日本大震災の影響で発生した福島第1原子力発電所の事故。この事故を受けて今後の電力供給のあり方が議論されています。現代社会において電気のない生活は考えられないので必要であることは間違いありませんが、原子力発電所が今後も必要かどうかについては、大きく議論が分かれるところです。

私としては、なるべく近い将来、原子力に頼る発電方法から脱却する必要があると感じているところです。
勿論、いま現在の生活というものがありますから、即座に原発を停止させることに賛成するものではありません。

折りしも、7月25日付『神社新報』に宮城県神社庁の参事さんが記した「震災が齎した教訓」という記事がありましたので、一部抜粋して紹介したいと思います。

 福島原発の原子力事故が起きたことで天災や人災などというようは範疇を超える近代文明そのものが齎した災害になってしまったと思えてならない。その近代文明とは、人間の利益のために科学技術によって自然界を支配し、物質的欲望の追及を目指した文明のことであり、その象徴こそが原発ということになる。自前のエネルギー確保を大義名分として、自然界にほとんど存在しないプルトニウムという猛毒の物質まで発電に利用し、生み出された電力で豊かなくらしを享受しようとしてきた。そして今、その原発がかくも甚大な災難を齎しているのである。
 日本人はもともと自然の恩恵を感じながら同時に自然に対する人間の無力さを心得、感謝と畏敬の念を抱きながら、自然の中の一員として生きてきたのだが、文明の進歩、近代化が進むにつれ、人と自然との関係は次第に薄れて歪んだものとなってしまった。
(以上、原文歴史的仮名遣い)


正に、神道的見地からすると「脱原発」を進めるべきという文章だと思いますが、いかがでしょう?