2018年11月23日

ブラック・フライデーではなくて新嘗祭です!

先日から 「ブラック・フライデー」 というポスターを目にします。
一体なんだろうと思っていたら、要は 「安売りの日」 ということなんですね。

何でもアメリカの風習で、感謝祭の行われる11月第4木曜日の翌日を意味するのだそうで、この日は感謝祭プレゼントの売れ残り品一掃セールのため安売りがされたのだとか。
そういえば 感謝祭 を Thanksgiving Day として広めようという動きが過去にあった気が・・・。
結果は皆さんご存知の通り定着しませんでしたが・・・。

アメリカやカナダではThanksgiving Day は祝日だそうで、その翌日の金曜日は祝日ではないけれどお休みとするところも多いのだとか。
仕事や学校が休みで安売りしているとなれば、買い物客は殺到しますよね。


とまぁ、突如降って湧いた感が私には満載のブラック・フライデーの正体はわかりましたが、今日11月23日はブラック・フライデーよりも日本人としては大切にしなくてはならない新嘗祭の日です。
新嘗祭とは宮中祭祀の1つで、天皇陛下が神嘉殿で親しく執り行われるお祭りです。
五穀豊穣を祝って、夜に2回神事を行われるのです。
そして、全国の多くの神社でも新嘗祭が執り行われます。(宮中の祭祀と、各神社で行われる祭祀は別のものです)

現在11月23日は勤労感謝の日という祝日になっていますが、これも新嘗祭に由来する祝日なのです。

ブラック・フライデーは数年前から日本にも入ってきているのかも知れませんが、まだまだ定着している感じはありませんし、果たしてこの先定着するのかもよくわかりません。
それよりは、1000年以上昔から脈々と行われている新嘗祭に焦点を当てて、日本国民皆で祝える様なことを考え出してくれないですかねぇ・・・。

売れれば何でも良いという発想は好きになれません・・・。  


2018年11月23日

GHQと天皇の退位

明年は日本の近代化以来はじめての崩御によらない御代替わりとなる予定です。
大日本帝国憲法の制定時にも天皇の退位について議論があったようですが、最終的に御代替わりは崩御のみによるとされました。
新しい天皇が御位に就くことを「践祚(せんそ)」と言います。
現代では「即位(そくい)」と言いますが、本来「践祚」と「即位」は別物であり、「即位」とは広く天皇の御位についたことを知らしめることを言ったそうです。

先帝崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、先帝の譲位による践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
つまり今回は、明治以降はじめての受禅践祚となるのです。

さて、日本国憲法制定の際にも受禅践祚を認めるかどうかについてGHQとやり取りがあったという記事を見つけましたので、資料として転載しておきます。

GHQも退位を認めなかった… 「野心的な天皇が退位して首相になっては困る」 政府「天皇に私なし。すべては公事」

産経新聞 2016.10.10 09:44


 先の大戦に敗北した日本は占領下に置かれ、連合国軍総司令部(GHQ)に「象徴天皇制」を含む新憲法を突きつけられた。
 GHQは皇室制度の存続だけは認めたものの、天皇の神格化を排除するため、大日本帝国憲法(旧憲法)第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を放棄させ、新憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した。
 さらに第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定め、大日本帝国憲法と同格だった皇室典範を一般法に格下げした。
 GHQは他にも天皇の権威を失わせる施策を次々と推し進めたが、天皇の譲位(生前退位)には慎重だった。
 昭和21年8月30日、民政局のサイラス・ピークは、内閣法制局第一部長の井手成三を呼び出し、生前退位をめぐり次のようなやり取りをした。

 ピーク「天皇ノ退位ヲ認メヌ理由」

 井手「上皇制度ナド歴史的ニモ弊害アリ寧(むし)ロ摂政制度ノ活用ヲ可トス」

 ピーク「昔ハ退位ハアツタカ」

 井手「然リ」

 ピーク「退位ヲ認メルト今上陛下ニ影響スルコトヲオソレタカ」

 井手「ソノヤウナ顧慮ニ出デタモノデハナイ。寧ロ一般抽象的ナ論究ノ結果ナリ」

 会談は3時間に及んだ。女性天皇の是非も議題になったが、井手が男系維持を説明するとピークはそれ以上追及しなかった。
 外務省特別資料部の調書「皇室に関する諸制度の民主化」(23年10月)によると、GHQは当初、天皇の自由意思を認める意向を示していたが、「野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、首相にでもなることがあっては困る」と考え、生前退位を認めない方針に転換したという。
 GHQとの交渉の末、政府は皇室典範草案を完成させ、21年11月26日、第91回帝国議会衆議院本会議に提出。男女平等や民主主義をうたった新憲法との整合性についてさまざまな議論が繰り広げられた。
 社会党衆院議員の及川規(ただし)は衆院本会議で生前退位に関してこう主張した。
 「天皇の絶対的自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現する所以(ゆえん)であると確信する」
 貴族院でも京都帝国大名誉教授の佐々木惣一が「個人的の立場からじゃなしに国家的見地から、自分はこの地位を去られることがよいとお考えになることもないとは限らぬと思います、こういう場合に、国家はこれに付きまして何らかの考慮をしなくてもよいものでありましょうか」と語った。
 これに対し、国務相の金森徳次郎は「天皇お一人のお考えによって、その御位をお動きになるということは恐らくはこの国民の信念と結びつけまして調和せざる点があるのではないか」と反論した上で、こう断じた。
 「天皇に私(わたくし)なし、すべてが公事であるという所に重点をおき、ご退位の規定は今般の典範においてこれを予期しなかった」
 結局、衆議院と貴族院合わせて約1カ月の議論の末、皇室典範案は無修正で可決され、翌年の1月16日に公布、5月3日に施行された。(広池慶一)
  

2018年06月14日

RADWIMPS と ゆず

先日、神道青年地区連絡協議会定例総会に出席してきました。
(あっ、正しくは神道青年近畿地区連絡協議会定例総会です。)

この会は、近畿地区2府4県の青年神職(概ね40歳以下)が集まって結成されている会で、年に数回の集まりがあります。
私は既に卒業していますが、長年近畿地区の役員に名を連ねていたので現在参与という肩書でご案内を戴いています。

さて、この会の冒頭、兵庫県神社庁泉庁長からご挨拶を頂きました。
その中で、RADWIMPS の HINOMAEU と ゆず の ガイコクジンノトモダチ の2曲の歌詞について紹介がありました。
ゆずの ガイコクジンノトモダチ は知っていましたが、RADWIMPSは、映画 「君の名は・・・」 の主題歌等に使われたバンドというだけで、この曲は知りませんでした。

そして、その翌日に次のニュースを目にします。

『日の丸や「御国御霊」は全て侵略戦争の旗や言葉』
RADWIMPSの『HINOMARU』に抗議し、廃盤と2度と歌わない事を求めるライブ会場前行動呼びかけ
https://snjpn.net/archives/54903


この記事によると、例のツイートは6月8日21:00とありますが、泉庁長がこの曲を聞いたのは遅くとも6月7日のことですから、この呼びかけなどで話題になって知ったものではありません。
そもそも、随分と若い曲をお聞きになるのだなぁと感心したものです。

さて話がそれましたが、こういったネガティブキャンペーンを売っている一方、実際にこれらの曲の評価はどうなっているのか気にしてみました。
といっても、一個人が街頭インタビューやアンケートを取るのもどうかと思いますし、そもそも東京や大阪などの都会でやらないとその意味は薄いように感じますので、違う方法をとりました。
今は、店舗でCDなどを購入するよりも圧倒的にインターネットでダウンロードする方式が主流ですので、一体ネットでのダウンロード数がどんな状況なのかを見れば、ある程度は曲の評価が見えるだろうと考えたのです。
その結果は次のとおりです。
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2018年05月14日

京都大学の立て看板

京都大学のキャンパスから外に向けて掲げられた立て看板が話題になっています。
平成30年5月13日付読売新聞朝刊の「編集手帳」にはこんな風に記載がありました。

編集手帳

戦前の、ある旧制中学の話だ。紳士たれ、と語る校長はライバル校にイートンやハローなど英国のエリート養成校の名を挙げた。ゲートル着用を命じる将校には「我が校は自由を尊重する」とやり返した
教師はシェークスピアやノバーリスを教えた。スボンの折り目だけはきちんとつけるように。学校からの指示に、生徒は毎晩、霧吹き、寝押しを欠かさなかったという
抵抗や反抗することではない。自分はこう生きるのだと、強い意志を示すことが自由だと教わった―。この中学に通い、後に京都大の学長を務めた西島安則さんの弁である
これも自由を巡る論争か。京大のキャンパスの外周、学生らが公道に立てかけた数々の看板は条例違反だと、大学が撤去に乗り出した。「立て看板は京大の文化。自由な学風はどうなる」。学生が反発し、騒動になっている。
双方、たかがタテカン、されどタテカンなのだろう。「結晶は完璧になると成長しない。整いすぎる時には異質なものが必要だ」。西島さんはこんな言葉も遺した。正論、大人の常識にどう抗うか。自由を持ち出す学生には覚悟と独創性がいる。
平成30年5月13日 読売新聞 編集手帳


なんとなくもっともらしい事が書かれている気がして 「なるほど」 と思ってしまう人もいるかも知れませんが、この文章はちょっとおかしいと思いませんか?

以前であればそのままブログを続けて書いていましたが、少し改行を多く取るので、もう一度読み返して考えてみて下さい。







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2018年03月15日

こども食堂

鳴神子ども食堂

「こども食堂」って聞いたことありますか?
最近、テレビなどでも時々取り上げられるので、聞いたことあるという方はいらっしゃるかもしれません。
実際に言ってみたことある方、いますか?

名前だけ聞くと
子供たちが料理したものを食べる場所だろうか?
とも思ったりしますが、そうではなくて
・両親の共働きなどで孤食になっている子供たちを温かい環境で食事をしてもらう
・子供と地域の大人との繋がりをつくる
などが目的で始まったものだそうです。

先日お邪魔したのは「鳴神こども食堂」。実は2回目の参加です。
最初誘われた時は、その主旨などから、行って一緒に座った子供たちとおしゃべりしながら食べるのだろうかなどと思っていましたが、少し遅れてしまったので子供たちは食事が終わって遊んでいました。
皆さん食べ終わった頃にちょっとした講座のようなものがあって、子供たちも一生懸命聞いていたのが印象的でした。

今回は始まってすぐ位の時間に到着。来ている子供たちは、ほぼお母さんと一緒。中にはご両親だったりお祖母ちゃんだったりと一緒の子もいました。いずれにしても こどもだけ での参加はいなさそう。
そういう意味では、この辺りでは 「孤食」 の子供たちは少ないのかもしれません。

一緒に食事をさせてもらいながら、子供たちやお母さん方の様子を見ていましたが、まず感心したのは 野菜・魚を主とした煮物中心の料理を子供たちも喜んで取っていること。
メインのカレーも、実は大根が入っていて、しかも茄子は擦って入れられていると、調理ボランティアのスタッフからこっそりと教えてもらいました。

この日のメニュー(一例)

また、お母さん方は、子供たちの食事中は勿論、子供が食べ終わって遊んでいる間も、スマホをいじる様子は殆ど無く、子供の様子を見ていたり、母親同士で情報交換していたりと、非常に良い雰囲気でした。

地域ごとに抱える問題は異なりますし、なによりどこも有志ボランティアによる取り組みですから、画一的な手法はありません。
食堂ごとに特色も違うと思います。でも、足を踏み入れてみることで、その地域の様子は分かると思います。
こども食堂の取り組みは全国各地で展開されているようですので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
  

2017年09月28日

日本をリセット??

政治ネタの連続投稿でスミマセン。
もっともこのブログは神社とは直接関係ないけれど、間接的には関係がありそうなことを、私が思うがままに書き記すためのブログなのですが・・・。

さて、衆議院が解散されましたが、その解散を前に、小池都知事が新党を立ち上げました。
( 「しんとう」と入力するとまず「神道」がでてくるのが私のPC・・・苦笑)

この小池新党に対するマスコミの注目度は大きく、既に大きな話題となっており、おそらく今回の選挙戦では 希望の党 の獲得議席がマスコミの大いに注目するところとなるでしょうし、そこに焦点をあてて選挙報道もなされると思います。
しかし、本当に日本の未来を考える方々には、ここから先の文章を読んで、希望の党に票を投じるのが是か否か、よく考えてほしいのです。

その新党「希望の党」にはやくも注目が集まり、どうやら難破寸前(既に難破していたという声はとりあえず置いといて)だった民進党前原丸は、乗組員(党員)の救済処置として「希望の党」からの出馬を認めるという発言をしたようですね。

民進党からの出馬でとうなるのか先行き不安だった候補者の方々にとっては、文字通り「希望の党」になったかもしれませんが、早々と民進党からの離党を決め、「希望を持って」小池新党の扉を叩いた人たちにとっては果たして「希望の党」と言えるのでしょうか。

とまぁ、冗談めいた話はさておき、この 希望の党 の結成には気をつけておかなくてはならないところがあると、私は感じています。


私がいろいろな政治家さんの意見を拝見拝聴する際に最も氣にしているのは、「この人は一体自分の生活するこの日本という国をどのように考えているのだろうか」という点です。
極端に言うと、どれだけその人が唱える施策政策が優れていて納得できうるものであっても、この1点がどうしても納得出来ない場合は、私はその人を心から信用することはできません。
逆に、どれだけ施策政策行動に疑問を感じようとも、この1点がしっかりと合致し、そしてゆらぎ無いと見える方であれば、出来る限り応援したいと考えます。


この私にとってキーとなる1点において、新党結党記者会見の中で、小池代表は信じられない発言をしました。

ニュースなどでも取り上げられていますが
「しがらみのない政治、大胆な改革を築く。日本をリセットするために希望の党を立ち上げる」
と宣言したそうですね。
これは私にとっては全く持ってアウトな発言です。

「日本をリセットする」
この言葉はどういう意味なのでしょうか?

かつて坂本龍馬は 「日本を今一度せんたくいたし申候事」 と、姉 乙女 に宛てた手紙で書いています。
雰囲気的にはこの坂本龍馬の言葉に似ていますが、言っている内容は全く違うと解釈できます。

洗濯とリセットでは全くことなります。
リセットとは全てを元に戻して最初からやり直すことを言います。
洗濯は違いますよね。洗濯してもその服は新品のようにはなりません。


日本をリセットする

なんとなく、日本が再出発するようで、キャッチーな感じはします。
でも、これ解釈によってはとんでもないことです。

日本が初期状態に戻るとはどういうことなんでしょう?
そもそも日本はいつから始まっているのでしょうか?

一般に、神武天皇の御即位から日本の国は始まったと考えられます。
現在、国民の祝日である 2月11日の建国記念の日も、その背景には戦前の紀元節があり、紀元節は神武天皇の御即位に由来する日です。

さて、その日本をリセットするとはどういうことなんでしょうか?
これまでの2700年近い歴史を無にして再出発するという意味にもとれます。
「小池代表の中ではそこまで考えてはいない」 という反論も出てきそうですが、しかし我が国の政党の代表者がそんな見識では困ります。
蓮舫氏が民進党党首だったときにも、あちらこちらでお話したり書き記したりしましたが、政党党首(代表)たる者、もし与党となれば首班指名を受ける訳です。つまり我が国の舵取りをする立場になるわけです。そういう立ち位置にあるということを自覚すべきだと思います。
小池都知事が、ただの都知事であったり、一国会議員であればそこまでは言いません。
まぁ見識の甘い人だなぁくらいで見逃します。
しかし、政党代表者となると看過できません。

しかも、昨夏には天皇陛下から、ご自身の身の振り方にについて御発言がなされた状況です。
政府は御発言を鑑み、平成30年を目安に御代替わりを進めています。
天皇の御代替わり、それも近代日本になって初の譲位が行われようとするこのタイミングに 「日本をリセット」 という発言は、ひとつ間違えば亡国発言とも取られかねない暴言です。

いやいや、そんな解釈は右翼的解釈だと仰る向きもあるかもしれませんが、やはり政治家として、そして(理論上条件が揃えば)首班指名を受ける可能性のある立場になる人間としては、やはり不見識だと思うのです。
少なくとも、私はそのような見識の人に、日本の舵取りはおまかせできないと思うのです。

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2017年09月28日

大義なき選挙?

衆議院が解散されました。
マスメディアでは「大義なき解散」などというフレーズが既に流れていますが、そもそも衆議院の解散に大義は必要なのでしょうか?
そしてもし必要だとして、今回の解散には本当に大義はないのでしょうか?

衆院の解散って…そもそも何? 1回600億円の「ビッグイベント」 475人の衆院議員を「一気にクビ」


上記リンク先では「再来年10月に予定している消費税10%への引き上げ」や「森友学園・加計学園に関連する疑惑隠し」などが「大義」として掲げています。
衆議院の解散権は内閣が持っていますが、衆議院の解散は同時に多くの閣僚自身も失職する(参議院から入閣している議員や、国会議員ですら無い閣僚は関係ない)ため、そう簡単に切れるカードではなく、そもそも解散に際して 「大義」 が必要であるといった規則もありません。

首相の「解散権」これでいいの? 実は憲法に明記なし


上記リンクでは、首相の持つ解散権自体に疑問を投げかけ、しかも 「なぜいまなのか。」 と解散の理由(=大義という理解で良いのかと)もよくわからないと続けます。


ところで、 「消費前増税」 についてはまだ実施は随分と先ですし、そもそも消費税10%への増税の是非については前回の衆議院選挙の争点だったように記憶しています。
結局のところ与党が勝ち増税の民意を汲み取ったが、その後の情勢により引き上げ時期を延期しているのが現状ではなかったでしょうか。
その意味では、今回の選挙における争点として 「消費税」 を挙げるのは少しおかしくないでしょうか?

では 「森友・加計両学園問題」 についてですが、これについては国会において首相の答弁等はありましたが、少なくとも選挙の争点として、つまるところ 「いわゆるミソギ選挙」 という意味合いは、少なくとも首相にも与党にもないだろうと想像します。

したがって、上記2つに関しては、「マスメディア自らが考え出した 安倍首相の解散大義」でしかありません。


むしろ、安倍首相は以前より、そして直近でも特に 憲法改正と国家安全保障について強く主張しており、憲法第9条への自衛隊明記という 「加憲」 という手法による憲法改正を具体的に表明しています。
文面についてはまだ発表はされていませんが、とにかく憲法上と実態に齟齬が生じている 「自衛隊」 の存在について、ちゃんと整合性が取れるようにしようというこを表明しているわけです。

とすれば、この点についても今回の衆議院解散による国民の判断を問う 「大義」 の1つとして捉えても良いはずなのに、残念ながらそういう報道はほとんど見受けられません。



衆議院の解散が実行され、いよいよ本格的に選挙戦となりましたが、マスメディアの報道だけに流されずに、自らも情報収集と判断して選挙に臨みたいと思います。


*尚、例によってリンクを張った2つの記事に関しては、削除対策としてこの下の部分にコピペをしております。  続きを読む


2017年05月10日

慧眼

慧眼は普通 「けいがん」 と読みますが、仏教用語で 「えげん」 という用語が同じ文字であるようです。

さて、こんかいのタイトルは 「慧眼(けいがん)」 です。
念のため、慧眼とは・・・。
けい がん [0] 【慧▼眼】
物事の本質を見抜くさとい眼力・鋭い洞察力。また,それをもつこと。 「 -の士」 〔同音語の「炯眼」は鋭く光る目,また,鋭い眼力のこと。一方,「慧眼」は「炯眼」とほぼ同様にも用いるが,物事の本質や裏面を見抜く鋭い洞察力のことをいう〕
http://www.weblio.jp/

で、何が慧眼かというと、この高校生の投書。

批判ばかりの議員は退場を

しっかりしたティーンエイジャーです。

  

2016年07月13日

ジコチュウ

「ジコチュウ」 とは 「自己中心」 な人を指して呼びます。

舛添前都知事の任期途中降板により、急遽行われることとなった都知事選。
候補者についていろいろと情報が飛び交いましたが、いよいよ明日の公示を控え、候補者の大勢が決まったようですね。
先出しジャンケンとも言われた小池百合子氏に対し、昨日立候補を表明した鳥越俊太郎氏は後出しジャンケンでしょうかね。

さて、私のFacebookFriendに、
団塊の世代を含めた1940年代生まれの世代には、大きな選挙の候補者で出馬するなど、「中央政治の最前線」に出ることを今後控えてもらったらどうだろうか

と提案されている方がいます。

その理由について彼は
1940年代生まれの日本人は、戦前戦後を通じて「本来の日本人としての価値観」を崩され、表向きはともかく、内心では「自分が良ければ良い」と考える政治家が極めて多いからだ。つまり、国民全ての利益を考えられるような政治のトップに立つ真の政治家には向いていない。とりわけ団塊の世代がそうなのだが、鳩山由紀夫(47年生)しかり菅直人(46年生)しかり、舛添要一(48年生)もそうだった。これは保守勢力にも同じことが言えるが、1940年代生まれの日本人は、公の政治を自分だけの利益にしがちであったため、日本国民の政治全体に対する信用を無くしてしまった。

と述べています。

ところで、今日本人は総じてジコチュウになりつつあるように感じます。
先般から何件かの殺人事件や傷害事件の犯人は、面識のない方に対して危害を加えており、その理由は極めて自己中心的なものだったりするように感じます。
これらの事件はテレビや新聞で報道される情報による印象なので、実際のところはよくわかりませんが・・・。  

2016年05月06日

天声人語

かつて朝日新聞の天声人語といえば、入学試験の問題などに使用されることもあったと記憶しています。
それ故か、受験生を持つ家庭は軒並み購読新聞を朝日に変えたとか・・・。

今の天声人語はかつて程の文章力が無いと聞いています。私は滅多に読まないので真偽はわかりません。
一時期、産経新聞の産経抄が良文を記していると感じたことがありますし、それより少し前だったように記憶していますが讀賣新聞の編集手帳が秀逸だと感じた時期もありました。

まぁ、産経抄や編集手帳については私の個人的印象なのですが、いずれにしても朝日新聞の天声人語といえば一時期は大したものだったのだと思います。


さて、先日こんなサイトの情報が流れてきました。

【拡散】共産党≒SEALDs≒朝日の証明、大変なことに。
https://samurai20.jp/2015/07/sealds/ (平成27年7月13日)


昨年7月の記事ですからいささか古いものです。なぜ今頃こんな記事が上がってきているのかという疑問もありますが、ちょっと興味深いことが書かれていましたので取り上げます。

リンク先の記事では、朝日新聞の天声人語を拾って考察している部分があるのですが、その中にこんな一文があります。
勝手に決めるな。それは、決めるのは私たち、主権者は私たちだという叫びである。
投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる。
(中略)哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。
人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。
注目すべきは 「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。」 という一文です。
この文章は、ここにも記されているように天声人語の筆者の考えではなく、柄谷という哲学者の言葉だということですが、しかしながらこれに同調する論調は、この思考に同意するものとも受け取れます。

日本国憲法では国民主権を謳っていると学校で習います。しかし日本国の主権者は国民であるということは、条文の中に見ることは出来ません。いわゆる前文に記されるのみです。(ここで ”いわゆる” 前文 としていますが、その理由については長くなるので割愛します)

一旦、主権在民という捉え方を受け入れるとして、天声人語では 「国民が主権者たる社会は、選挙によって意思決定をするのではなく、デモによって意思決定をするものだ」 と主張しているということになります。

すなわち、天声人語文脈を忠実に解釈するならば、日本国憲法が施行された69年前、主権者が国民となった瞬間から、選挙によって選出された代表者が政治を担う民主主義国家ではなく、主権者がデモを行って主義主張をすることこそが、国のあり方であるということになります。
いつだったか忘れましたが、某報道番組(と主張しているTV番組)で、メインキャスターが 「日本の民主主義は終わりました」 と発言したことがありましたが、つまるところ朝日新聞の見解によると 日本国憲法が施行された時から日本は民主主義国家ではなくなったということになりますね。

しかしながら、主権者がデモを行って主張をし、それにしたがって政策が行われるべきであるという考え方は、日本国憲法の前文に記されている内容に反することであり、その行為は 「憲法違反」 と言わざるを得ないように思われます。
それとも、朝日新聞社の主張が、我が国のあり方として正しいのであれば、憲法が誤っている、つまり憲法を改正しなくてはならないということになります。

いろいろと思うままに書き散らかしましたが、兎にも角にも、この天声人語の文章はヒドイものだと思うのです。